感想:NHK番組「ニッポン戦後サブカルチャー史」第9回「おたく→オタク→OTAKU 〜オタクカルチャーと秋葉原〜 90年代(2)」(2014年9月26日(金)放送)


 NHK番組「ニッポン戦後サブカルチャー史」(全10回)の感想です。
(※以下、今回の話の結末まで書いてありますのでご注意ください)

NHK|ニッポン戦後サブカルチャー
http://www.nhk.or.jp/subculture/index.html

 NHK Eテレでの視聴です(放送:毎週金曜 23:00〜24:00)。


■概要

>「ニッポン戦後 サブカルチャー史」は、戦後から現在へと到る、ニッポンのサブカルチャーの変遷を辿り、その本質へと考察を深めていく、前代未聞!?の歴史番組です。
>今、世界を席巻する、ニッポンの「サブカル」。「クールジャパン」前夜に何があったのか?
>「大島渚」が、「新宿カルチャー」が、「天才バカボン」が、「YMO」が、「エヴァンゲリオン」が…何を変え、どう今につながるのかを巡る旅。ナビゲーターは演劇界の奇才、宮沢章夫。愛と独断に満ちたサブカルチャー論をお送りします。

第9回 おたく→オタク→OTAKU 〜オタクカルチャーと秋葉原〜 90年代(2)


■内容

>講 師/宮沢章夫
>受講生/風間俊介 福嶋麻衣子(アイドル・プロデューサー) マシュー・チョジック(編集者/ライター)

>今や世界に通用する言葉となった「OTAKU」。80年代、主にコミックマーケットに集まる人々を称していた「おたく」は、いかにして「OTAKU」となったのか?ニッポンのオタク文化は、フィギュア、マンガなどの作品をリミックスしたり、スピンオフを行う二次創作、コスプレファッションなど、新たな表現を生み出し、快進撃を続けている。その意味を考察する。電気街から趣味の都、「趣都」となった秋葉原の変遷も紹介。


 「おたく」という言葉の始まり。一説によると、1983年にエロ漫画雑誌「漫画ブリッコ」で、コミケにやって来る、服装に気を使わず、リュックを荷物でパンパンにしていて、互いを「おたく」と呼び合うような人間の事、をこう名づけたという(「ネクラ族」とかだとピンと来ないし、という理由で)。


 コミケの発展。1970年代にスタートした時は、少女漫画ファンの集まりだった。1980年代にアニメファンも参加するようになる。1989年、有名な「宮崎事件」発生。犯人の部屋に漫画とかが一杯だったことで「おたく」という言葉が一般化した。これで却ってコミケに興味が持たれて参加者は急増。1990年代はエヴァブームとか格闘ゲームブームとかそういうのもあって、ますます参加者増加。


 「エヴァ」や「攻殻機動隊」はアニメだけどカッコイイ。恥ずかしくない。だから「アニメが好き」という事が「恥じるべきこと」では無くなった。「おたく」は否定的な意味の無い「オタク」に変化。


 コミケの柱の一つは二次創作。キャプテン翼の二次創作で「やおい」という言葉も生まれました。「一本木蛮」(本人)コメント。「同人誌とかは中身を見てみないと解らない。コスプレは一目でわかる。コスプレは一番ストレートな二次創作」。


 秋葉原の発展。昔は電気街。しかし、「ここにくればどんなマニアックな部品でも揃う」という意味で、昔からオタク気質な街だったともいえる。1990年代にパソコンブームで家電の街からパソコンの街に。1998年「ラジ館」にフィギュアの店がオープン。あっという間にラジ館は電気関係からフィギュアのビルに早変わり。以後、そういうグッズの街になっていった。


 やがて海外でも日本アニメが話題に。映画「攻殻機動隊」はバカ売れ。そうして「オタク」は「OTAKU」に変化。海外では「OTAKU」はクールな響き。憧れる存在。


 このように表現がどんどん変わってきた「おたく/オタク/OTAKU」。今後もまだまだ変化していくでしょう。


■感想

 番組の存在自体は知っていたのですが、今までは深夜ラジオがどうのカムイ伝がどうのという全く興味のない世界だったので無視していました。しかし、先週が「セカイの変容〜岡崎京子エヴァンゲリオン・ゲーム〜90年代(1)」とかいう特集だったと後から気がつき、そろそろ見てやるかと手を出した次第。


 いきなり『エロ漫画雑誌の』ブリッコを取り出してくるのでビックリした。NHKの番組でブリッコの表紙が写るとかマジかよみたいな。あとは、コミケとアキバの変遷を軸におたく論を展開。流れとしては概ね納得出来る内容でしたが、問題が有ったとすれば、それはメリハリのなさ。見せるということをあまり意識していないようで、だらっだらだらっだら、映像を垂れ流すだけ。もっと先への興味をそそるような番組にして欲しかった。内容は興味がありましたが、見ているのが苦痛で仕方なかった。