雑談:何故アニメ・漫画・ゲーム原作の実写化でも、○○なら許せるのかを考えてみた


 数日前のテレビアニメ「あの日見た花の名前を僕達はまだ知らない。」(通称「あの花」)の実写ドラマ化発表のあと、「漫画とかアニメの実写化で成功したものは無い!」「いやいや、○○という作品は成功だろう」と論争が勃発していたのを見て、自分なりの考えを述べたことがありました(→http://d.hatena.ne.jp/Perry-R/20150621/p4)。


 その時は『重度の漫画オタ・アニオタの自分としては実写化映画/ドラマは原作を劣化させたものにしか見えないので認めない!』云々と書いたのですが、今週の週刊ダイヤモンドの「宝塚特集」を読んでみて、再度この話題について考えてみました。

週刊ダイヤモンド | 2015年6月27日号目次 | 特集「101年目のタカラヅカ
http://dw.diamond.ne.jp/category/special/2015-06-27
>未婚女性のみが舞台に立つ宝塚歌劇団。世界に類を見ないエンターテインメント集団は100年を生き残った。伝統的な決まり事が多い一方で、作品作りは挑戦的。タカラジェンヌは厳格な年功序列とシビアな実力主義が併存する組織の中で輝きを放つ。特異なる集団が持つ変革力、人材育成力の実態と構造を団員たちの生の声から明らかにした。


>映画、オペラ、落語、漫画、ゲーム… 常に時代を取り込んでいく バラエティに富んだ宝塚作品


 宝塚って結構オタ作品的なモノも舞台化しているんですよね。古くは「ベルサイユのばら」、最近では「逆転裁判」に「銀河英雄伝説」に「ルパン三世」etc。これらは、「アニメ/漫画/ゲームの実写化」なのに、まるで嫌悪感とか「こんなものは認めない」という反発とかがわいてこない。ということで、それはなぜかを自分に問いかけてみました。


 内容のおおよそを把握しているのは「ルパン三世」だけなのですが、これ、


・原作キャラとまるで顔が違う(女性が演じているわけだから)
・ストーリーも完全オリジナル。「原作の改変」どころか独自設定てんこ盛り(ルパンたちが過去にタイムスリップし、マリー・アントワネットと出会って云々、という話とのこと)


 というものらしい。「原作キャラとまるで違う」「ストーリーも原作とは無関係」ということで、これが映画とかテレビドラマなら、「ふざけんな、原作を無視しまくって! 責任者出て来い!!」と言いたくなるところですが、何故か宝塚だとまるで気にならない。



 その理由を突き詰めてみると、これは「舞台劇だから」というところに有るのではないかと思いつきました。舞台劇ですから、表現にも限界がある。つまり、あまりにも原作と違いすぎて、脳が上手く原作との比較対称として認識できず、「全然別の世界だから」ということで、好き嫌いの感情がわいて来ないのではないのか、という訳です。


 しかし、これがドラマとか映画になると、慣れ親しんだ世界なので、その途端に視界に入って原作との分析が可能になり、その結果オタ嗜好で「三次元キャラなんて二次元キャラより劣っている→原作を汚している」という怒りが湧いて来るのではないかなと。


 さて、突然ですが、人型ロボット開発とかの用語で「不気味の谷」という言葉が有ります。ロボットの顔が人間からかけ離れている時には特に何も感じないのに、顔をリアルにして人に近づけると、途端に「作り物の顔が気持ち悪い」という感情が吹き出してくること、です。


 アニメ/漫画/ゲームの実写化、というのもこれに近いものが有るのではないでしょうか(私の頭の中だけですが)。舞台劇はあまりにもかけ離れているからOK、しかし映画・ドラマは知っている範囲に近づいてくるからNG、みたいな。


 なにか不思議な線引きですけど、これが人の心の不可思議さというものであります。