感想:NHK番組「ザ・プロファイラー 〜夢と野望の人生〜」『“心やさしき巨人”の挑戦〜ジャイアント馬場〜』

関連サイト→ ザ・プロファイラー 〜夢と野望の人生〜
※放送 NHK BSプレミアム(毎週水曜 21:00〜22:00)。
【※以下ネタバレ】


■番組概要

歴史好きの岡田准一が、時代を動かした人物たちの謎に挑む。
栄光と苦難の生涯を生きた先人たち、感動の人間ドラマ。

http://www4.nhk.or.jp/profiler/

“心やさしき巨人”の挑戦〜ジャイアント馬場

■番組内容

“心やさしき巨人”の挑戦〜ジャイアント馬場

日本のプロレス界に黄金時代をもたらしたジャイアント馬場。家業を手伝うため、少年時代から7年間もリヤカーを引き続けた彼は、16歳で憧れの巨人軍に入団する。その彼がなぜプロレスラーとなったのか?アメリカで大成功を収め、破格の契約金が提示されていたにもかかわらず、帰国の道を選んだのはなぜか?そして、38歳で日本のプロレス界を引退する夢を描きながら、結局、生涯リングに立ち続けることになったのはなぜか?


【司会】岡田准一,【ゲスト】逸見愛,【出演】大槻ケンヂ,馬場園梓

http://www4.nhk.or.jp/profiler/x/2015-11-11/10/153/2285306/


 1962年、馬場のアメリカ武者修行時代からスタート。プロレスキャリア2年の馬場は、あっという間にアメリカ屈指の売れっ子レスラーになった。


 馬場は1938年生まれ。野球は子供の頃からエースで四番。16歳のとき巨人にスカウトされ、ピッチャーとして将来有望だった。しかし風呂場で転んでガラスで手を怪我し、野球人生を断たれてしまう。馬場はその後力道山日本プロレスに入り、プロレスラーとしての人生を歩みだす。


 キャリア2年でアメリカ武者修行に出た馬場は、あっという間に人気レスラーになる。ところが1962年に力道山が急死し、日本からは帰国するように頼まれる。その際アメリカ側の引止めで、年俸一億円の10年契約が提示されたという。大学出の社員の初任給が25,000円だった時代にである。


 しかし馬場は日本のブロレスの為に帰国し、日本でも人気レスラーとなった。馬場は将来の計画として、38歳で引退してハワイに住み、数年はアメリカでのんびりプロレスをする、という事を考えていた。


 ところが、1972年、34歳のとき、日本テレビの勧めで自分の団体「全日本プロレス」を立ち上げることになる。夢見ていた人生計画は根底から修正を余儀なくされ、社員やその家族を食わすため必死に頑張らざるを得なくなった。ところが40歳を過ぎると体も衰え、客からは罵声も飛ぶようになる。しかしそのうち観客の意識も変わり、「馬場さん」と呼ばれる存在に変わっていった。1998年には元気で60歳還暦を迎えたが、翌1999年に61歳で亡くなった。


■感想

 出だしをいきなりアメリカ遠征時代の映像から始め、イチローや田中より早くアメリカに挑んで認められた男、みたいな紹介をするのが上手かった。


 あとは時系列順に経歴を紹介し、なんとザ・デストロイヤーやスタン・ハンセンにもコメントをもらってきていたのがプロレス好きとしては嬉しいところでした。猪木からの挑発やら、独立にいたる流れも、シンプルかつ正確に描かれていて、なかなかの好番組でしたよ。


 惜しむらくは、大槻ケンヂが「16文キックに当たりに行く」とか、茶化すようなことをしばしば口にしていたことですかね。こいつのおふざけコメントが無ければ最高だったのですが。