【NHK番組】感想:NHK番組「アナザーストーリーズ 運命の分岐点」『タイガーマスク伝説~覆面に秘めた葛藤~』

初代タイガーマスク大全集~奇跡の四次元プロレス1981-1983~完全保存盤 DVD BOX

アナザーストーリーズ 運命の分岐点 http://www4.nhk.or.jp/anotherstories/
放送 NHK Eテレ

【※以下ネタバレ】

ダイアナ妃の事故死、ベルリンの壁崩壊、ビートルズ来日...
人々が固唾を飲んで見守った、あの“出来事”。
あの日、あの時、そこに関わった人々は何を考えたのか?
それぞれの人生はその瞬間、大きく転回し、様々なドラマを紡ぎ出していきます。
残された映像や決定的瞬間を捉えた写真を、最新ヴァーチャルで立体的に再構成、
事件の“アナザーストーリー”に迫る、マルチアングルドキュメンタリー。

 

タイガーマスク伝説~覆面に秘めた葛藤~ (2016年10月5日(水)放送)

 

内容

http://www4.nhk.or.jp/anotherstories/x/2016-10-05/10/29485/1453028/
10月5日(水) 午後9時00分
アナザーストーリーズ 運命の分岐点「タイガーマスク伝説~覆面に秘めた葛藤~」


1981年4月23日、衝撃のプロレスラーがデビューした。初代タイガーマスク。コーナーポストに立ち、見たこともないスピードで繰り広げる華麗なファイトは“四次元殺法”と言われ、子供から女性までを魅了した。だがそのマスクの下で、当の本人だけが葛藤を抱えていた。裏方たちの思惑、アントニオ猪木の言葉、そして史上屈指の身体能力と言われた天才・佐山聡の苦悩。仮面の下に隠された素顔のヒーロー伝説に迫る。

 1981年から83年のたった二年少々の活躍の期間で伝説を作り上げたプロレスラー・タイガーマスクのドキュメンタリー。



●第一の視点 新間寿

 新間寿は、アントニオ猪木の団体・新日本プロレスで営業部長を務め、あの「猪木対モハメド・アリ」を実現させた人物である。ある日、新間は劇画原作者の梶原一騎タイガーマスク巨人の星、他)からある提案を受ける。それはタイガーマスクのアニメの続編が放送されるので、それに連動して現実にタイガーマスクをデビューさせないか、というものだった。ただし条件付で、タイガーになるレスラーはコーナー(リングの鉄柱)の上に立てる人間であること、という物だった。

 早速飛びついた新間は猪木に相談し、若手の佐山聡を抜擢することにした。佐山は体は小さかったが運動神経抜群で猪木お気に入りのレスラーだった。しかし当の佐山は当時イギリスで修行中で、現地で人気レスラーとなっており、「アニメのキャラに変身するために帰国する」という話を拒絶した。新間は渋る佐山を粘り強く説得し、「一試合だけ」という話で日本帰国を承諾させた。

 ところが新間は佐山を日本に戻らせることに焦る余り、タイガーのマスクを注文することを忘れていた。慌てて作らせたマスクは失笑モノの出来だったが、新間は佐山に「良く似合っている」とか心にもないことを言って無理やりかぶらせたという。

 1981年4月23日、蔵前国技館タイガーマスクがデビュー。観客は最初滑稽なマスクに野次を飛ばしたが、試合を始めた瞬間大絶賛となった。タイガーは前代未聞の衝撃的な試合を見せ、タイガーは一試合で伝説となったのである。



●第二の視点 佐山聡

 1983年。デビューから二年過ぎてもタイガー人気は全く衰えず、普段プロレスと全く関係の無いメディアがタイガーを特集し、レコードが発売され、主演映画の話まで出るほどだった。しかし当の佐山は舞い上がることも無く、淡々と試合をこなしていた。佐山自身はスターになったというような気持ちは無く、あくまで団体の一員として人気が出てお客が来るのはいい事だ、程度に考えていた。

 そもそも佐山は格闘技志向で、タイガーの様な派手なスタイルは決して好きではなかった。佐山はプロレスの練習の他にキックボクシングのジムに通うくらいで、格闘技スタイルの試合をやりたがっていた。猪木からは、将来新日本プロレスが格闘技部門を作ったときには選手第一号にすると約束されており、早くそちらをやりたがっていた。ところが猪木はタイガー人気を見て、タイガーをハリウッドの映画スターの様な世界的存在にしようと考えていた。

 不満を抱える佐山は、タイガーのコスチュームを、原作のマント+青タイツから、格闘技色の強いパンタロンに変えたりした。そしてついに8月、佐山は会社を電撃的に辞めてしまい、そのままタイガーは消えてしまった。その後、佐山は総合格闘技修斗」を考案して普及にあたり、1990年代には日本の総合格闘技の第一人者と目されるようになった。

 ところが、1995年、佐山はタイガーマスクとしてプロレスに戻ってくる。それはかつての少年ファンたちの想いが関係していた。80年代にタイガーマスクに熱狂した少年たちは、大人になってもタイガーを好きで居続けていた。そういう人たちを見て、佐山はタイガーから離れられないと悟ったのだった。今では佐山は総合格闘技とプロレスの二足のわらじを履いている。



●第三の視点 ダイナマイト・キッド

 タイガーマスク最大のライバルが、イギリス人レスラー、ダイナマイト・キッドで、デビュー戦の相手でもあり、その後も激闘を繰り返した。キッドはタイガーがいなくなった後、1985年にアメリカの団体に移籍し、そちらでもトップを取るが、1686年に大怪我をする。それでも無理をしてプロレスを続けた結果、体が蝕まれ、1996年に日本に来たときはもう見る影も無くやせ細っていた。翌1997年に引退すると、そのまま消息不明になってしまった。

 スタッフは粘り強く調査を続け、一ヶ月掛けてキッドの奥さんのドット・ビリントンを見つけ出す。キッドは脳卒中を起こして体が不自由になり、今では介護施設で暮していた。スタッフは、キッドこと本名トーマス・ビリントンにインタビューし、タイガーの想い出を語ってもらった。さらに、録画していた佐山のキッド宛のビデオメッセージを見せる。



●最後

 佐山は昨年心臓の病気で手術を受けた。それでも今でもタイガーとしてリングに上がっている。


感想

 内容は、昭和プロレスファンならほぼ知っていることばかりでしたが、やはり当事者本人の口からしゃべっているのを聞くのは別ですよね。また現在のキッドの映像を放送するとは、さすがNHK、やってくれた! という気持ちでした。

 今はすっかりおじさんになってしまった元少年たちが、タイガーへの思いを熱く語るシーンはグッと来ましたよ。それに、タイガーの試合映像を見ると(比喩でもなんでもなく)ホントに泣けてくるしねぇ。


昭和40年男 2016年2月号