感想:科学番組「コズミックフロント☆NEXT」『天文学の革命児! エドウィン・ハッブル』

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コズミックフロント☆NEXT http://www.nhk.or.jp/cosmic/
放送 NHK BSプレミアム(毎週木曜 22:00~23:00)。

【※以下ネタバレ】
 

天文学の革命児! エドウィン・ハッブル (2016年11月24日(木)放送)

 

今回の内容

http://www.nhk.or.jp/cosmic/broadcast/160908.html
天文学の革命児! エドウィン・ハッブル


美しく神秘的な宇宙の姿を次々と映し出す「ハッブル宇宙望遠鏡」。
その名は、あるアメリカ人天文学者からつけられた。
エドウィン・ハッブル(1889-1953)。天の川銀河が宇宙の全てと考えられていた時代、ウィルソン山天文台で「宇宙には無数の銀河が存在すること」さらに「宇宙が膨張していること」を発見。人々の宇宙観を根底から覆し、アインシュタインハッブルのもとを訪れるほど。
そして膨張宇宙の考え方は、「ビッグバン理論」へと発展し、現代宇宙論の礎となっていく。


しかしその人生は天文学の世界では異端児そのもの。ウォルト・ディズニーなどハリウッド社交界での華やかな交遊、逆に学会ではすぐ喧嘩を起こすトラブルメーカー。そもそも大学での専攻は天文ではなく法律。そんなハッブルはどのように「20世紀の最も偉大な天文学者」となったのか。ハッブルの遺品は死後、長く非公開とされ、その人物像や発見の舞台裏は謎とされてきた。


すばる望遠鏡」建設の立役者、国立天文台の家正則博士はハッブルに魅せられ20年近くかけて、その足跡を調査。見えてきたのは世紀の大発見の源泉となったハッブルの宇宙への熱い情熱。
人類の宇宙観を根底から覆した男、エドウィン・ハッブルの知られざる戦いの物語。


●20世紀最高の天文学者

 アメリカ人天文学者エドウィン・ハッブル(1889~1953)は、「20世紀最高の天文学者」「ガリレオ以降で最大の発見をした天文学者」と評価される人物である。彼の発見は人類の宇宙観を根底から覆した。



●生い立ち

 ハッブルは1889年生まれ。子供のころから星が好きで、大学では天文学を専攻していたが、在学中に父親が亡くなり、家族を養うため大学を辞めて働かざるを得なくなる。その後、生活が安定したため大学に入りなおすが、今度は第一次世界大戦が勃発し、兵士として欧州に出征することになった。しかし天文学の夢があきらめきれないハッブルは、戦地からウィルソン山天文台の台長に自分を雇ってくれるように頼み、台長はその心意気に「待ってます」と返事をした。そして戦地から帰ったハッブルはウィルソン山天文台で働くようになった。



●富豪たちの科学への投資

 19世紀末、アメリカは好景気に沸きかえり、富豪たちが次々と誕生した。そんな富豪たちはこぞって天文台に出資し、アメリカ各地に世界最高レベルの望遠鏡を備えた天文台が作られた。富豪たちは「アメリカは富で世界の一流国となった。次は科学で世界をリードしよう」という考えだった。ウィルソン山天文台もそういった背景で作られた天文台だった。



●渦巻き星雲問題

 望遠鏡の性能が向上すると、ある問題が浮上した。それまで「星雲」と呼ばれぼんやりした雲のように思われていたものが、実は渦を巻いていることが分かったのである。渦巻き星雲の正体をめぐって、二つの意見が対立した。一つは「ガスが回転しているもので、銀河系内にある」という一派。もう一つは「銀河系のような星の集まりであり、銀河系の外にある」という一派。渦巻き星雲の正体は、距離を測定しなければ解明できない。



●星雲までの距離を測る方法

 実はこの時代、既にある星までの距離を測る方法が確立されていた。それは「セファイド型変光星」を利用するもの。この星は文字通りある周期で明るさを変化させ、その周期は質量によって決まっていた。ということは、周期を測れば質量がわかり、質量がわかれば明るさがわかり、明るさがわかれば地球からどれくらい離れているかわかる。



ハッブルの大発見

 1923年10月、ハッブルはアンドロメダ星雲の中に変光星を見つけ出した。そしてその周期から、アンドロメダ星雲は90万光年離れていると割り出した。つまり星雲は銀河系の外にあるものだったのである。この発見は、「銀河系が宇宙のすべて」という当時の人たちの世界観を根底から覆した。



●宇宙は広がっている

 1929年、ハッブルはさらなる発見をした。様々な銀河までの距離と「赤方偏移」について調べたのである。赤方偏移とはドップラー効果により遠ざかる物体ほど赤く見える、という現象で、赤いほど早く遠ざかっている。そしてハッブルは遠い銀河ほど早く遠ざかっている、という事実を見出した。これを説明する理屈はただ一つ、「宇宙は広がっている」という事だった。これらの発見により、ハッブルは時の人となりアインシュタインのような学者から、ハリウッドスター、ウォルト・ディズニーまで、様々な人たちが周囲に群がることとなった。



●孤独な晩年

 しかしその後のハッブルはあまり幸せとは言えなかった。ウィルソン山天文台の同僚たちは「星雲=銀河系内のもの」説の信奉者たちだったのでハッブルとそりが合わなかったし、そもそもハッブルは社交的な性格ではなかったので、周囲と衝突を繰り返した。

 そして1949年に心臓発作で倒れ、仕事に戻れないまま1953年に63歳で亡くなった。夫人はハッブルの遺品の公開を20年以上拒み、またハッブル自身の生前の希望により、墓がどこにあるのかいまだに公開されていない。また同僚たちはハッブル銅像を建てるとか肖像画を飾るとか、まったくしようとしなかった。ハッブルがどれだけ周囲から嫌われていたかわかる。

 しかし1990年に打ち上げられた宇宙望遠鏡は、彼の名前を取り「ハッブル宇宙望遠鏡」と名付けられ、さまざまな重要な発見を行い、今も活躍している。


感想

 天文学の大偉人ハッブルの大特集。こういう伝記みたいな回は大好き。


ハッブル 宇宙を広げた男 (岩波ジュニア新書)
ハッブル宇宙望遠鏡 25年の軌跡 (小学館クリエイティブ単行本)