感想:NHK番組「フランケンシュタインの誘惑 科学史 闇の事件簿」第8回『水爆 欲望と裏切りの核融合』

Judging Edward Teller

フランケンシュタインの誘惑 科学史 闇の事件簿 http://www4.nhk.or.jp/P3442/
放送 NHK BSプレミアム(毎月最終木曜日 21:00~22:00 放送)。

【※以下ネタバレ】
 
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第8回 『Case08 水爆 欲望と裏切りの核融合』 (2016年11月24日(木)放送)

 

内容

フランケンシュタインの誘惑 科学史 闇の事件簿「水爆 欲望と裏切りの核融合


人類に功も罪ももたらす「科学」。その知られざる姿に迫る。今回は人類史上最悪兵器「水爆」の父、エドワード・テラー。原爆を生み出した「マンハッタン計画」の科学者たちの多くが後悔の念を抱いて晩年を送ったのに対し、ひとりテラーは水爆の「無限の破壊力を実現する」欲望に突き進む。邪魔する者には容赦なく、かつての仲間さえ裏切った。水爆完成後も更なる大量破壊兵器開発に生涯をささげた、狂気の天才物理学者の闇に迫る!

●水爆に憑りつかれた男

 今回は水爆開発に主導的な役割を果たし「水爆の父」と呼ばれた物理学者エドワード・テラーをとり上げる。テラーは1908年ハンガリー生まれ。ユダヤ系で、幼いころから数学の才能を発揮し、やがてドイツに留学した。しかしドイツのナチス政権がユダヤ人迫害を始めたためアメリカに亡命した。

 テラーの専門の物理学で当時ホットな話題は「核分裂」で、それを利用した「原子爆弾」の実用化の目途が立ちつつあった。しかしテラーは、一歩先の「核融合による水素爆弾」に注目していた。核融合とは、原子核が融合して別の原子核に変化する際に莫大なエネルギーを生み出す反応で、身近なところでは太陽が核融合で光り輝いている。しかし核融合を起こすには一億度の熱が必要で、人工的な核融合はとても起こせないと考えられていた。だが、テラーは、原爆を実用化し、その爆発時の熱を利用すれば、核融合が起こせるのではと考えた。

 やがてアメリカは原爆開発をスタートさせ、計画の中心人物ロバート・オッペンハイマーは、科学者たちを呼び集め予備的な議論を行った。その時テラーは話を強引に水爆に持っていき、原爆はもう理論的にできることはわかっているので、水爆を研究すべきだ、と主張したりした。

 そしてオッペンハイマーをリーダーとする原爆開発計画「マンハッタン計画」が開始され、テラーも一員として参加した。しかしテラーの期待とは異なり、計画は原爆開発に注力しており、水爆のことは後回しにされていた。不満を持ったテラーは仕事を放り出して趣味のピアノを弾きまくったため、オッペンハイマーは仕方なくテラーを中心とする小規模の水爆研究チームを作った。

 1945年、原爆が完成し、広島・長崎に投下された。テラーは「原爆が完成したから、次は水爆の開発だ」と期待したが、研究者たちは、オッペンハイマーも含めてロス・アラモスを去ってしまった。テラー自身も大学に戻り細々と水爆の研究を続けるしかなかった。



●水爆の開発

 戦後、オッペンハイマーは原爆の父として英雄となり、また政府に大きな影響力を持つようになった。テラーは共産主義を恐れ、オッペンハイマーに水爆開発を進言したが、オッペンハイマーは理論上無限の破壊力を持てる水爆の開発に批判的だった。そのためテラーはオッペンハイマーを自身の研究を邪魔する存在として憎むようになった。

 ところが1949年にソ連が原爆実験に成功すると、アメリカ政府はソ連に対抗するため、1950年にさらに強力な水爆の開発をスタートさせ、テラーはそのリーダーとなった。いざ開発のための研究に取り掛かると、原爆の爆発では一億度の熱を維持できないことがわかり、開発は頓挫しかけた。しかしテラーは核融合が始まりかけた中心部分でさらに原爆を爆発させることで、外と内から圧縮し、一億度を維持することを思いつく。これは天才的なひらめきで、水爆開発に批判的だったオッペンハイマーも称賛したほどだった。

 しかしテラーは1951年には開発リーダーから外される。テラーは人を率いるリーダーとしての資質を全く欠いており、研究者たちからまるで支持されていなかったのである。翌1952年に初の水爆実験が成功するが、その場にテラーは居なかった。



●裏切り

 1953年、ソ連が水爆実験に成功した。するとオッペンハイマーソ連のスパイで情報を流したと疑われ、聴聞会にかけられた。オッペンハイマーの知り合いの科学者たちが証人として召喚され、大半はオッペンハイマーを擁護したが、テラーだけはオッペンハイマーが怪しいと証言し、これがきっかけとなってオッペンハイマーは公職を追放された。

 しかし、テラーもまた、オッペンハイマーを「売った」ことで、親友ハンス・ベーテも含めた他の科学者から距離を置かれることになった。その代わりにテラーに近づいたのが政治家や軍人だった。彼らは「水爆の父」テラーを称賛し、テラーは政府の軍事顧問の地位につき、オッペンハイマーの後釜に座る形となった。

 やがて世界で核兵器に対する反発が強まると、テラーは水爆の平和利用計画「プラウシェア計画」をぶちあげた。これは水爆で運河を掘ったり、地中から鉱物を取り出したりする、という物だったが、水爆の爆発が放射性物質をまき散らすという事については完全に無視していた。

 テラーは歴代の大統領の顧問となり、レーガン大統領時代の「スターウォーズ計画」にもかかわった。そして2003年に95歳で没した。


感想

 第二回の「原爆誕生 科学者たちの“罪と罰”」 http://perry-r.hatenablog.com/entry/20160714/p5 に関連した内容でしたが、テラーの場合は水爆開発について何の罪の意識も感じていない、というのが印象的。というか、放射性物質をまき散らしながら運河を掘るって……

 番組では「オッペンハイマーを売った後のテラーは、科学者仲間からつまはじきにされて辛かっただろう」みたいな感じに持って行っていましたが、大統領の顧問としてあれこれアドバイスできる地位に上り詰めたのだから、政界のフィクサーみたいな感じでめっちゃ満足だったのでは? 日本の政治記者なんかみんなそこを目指しているくらいだし。



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