【アニメ】「視聴者に考察を促す作り」と「独りよがりな作り」は紙一重

ASCII.jp:甲子園を日本最大の興行たらしめる「物語のルール」をアニメに取り入れる! (1/5)|まつもとあつしの「メディア維新を行く」
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今回は平澤プロデューサーに、現在放送中の『ブブキ・ブランキ』について聞く。


 アスキーのサイトに、現在放送中のアニメ「ブブキ・ブランキ」のプロデューサーへのインタビューが掲載されていたのだが、これが色々な意味で興味深いというかの内容だったですよ。

平澤 じつはこのフェチシズムが、作品の魅力を形成すると同時に、若いアニメファンにとってはややハードルの高いものにしていると、ネット上の反応から感じています。

―― ハードル、ですか?

平澤 長くアニメに親しんできた比較的年齢層の高い人たちや、映画好きの人からは好評なのですが、若い方には1話、2話と回を重ねた後でも「物語がよく分からない」と言われてしまうことがあるんです。

―― 確かに、特番がスチームパンク的なところからスタートしたのに、第1話はラピュタ的な世界観で驚かされました。それぞれの世界の描かれ方に『ニヤリ』とできるか、『えっ!?』となるかで、楽しみ方が全然違ってきそうですね。

平澤 そのギャップは正直なところ我々が思っていた以上に大きなものがありました。フェチ的要素、そして絵作りの魅力などで訴求すれば、お客さんはついてきてくれるだろうと。でも、それが結果的に高いハードルに感じさせてしまった、と反省もしています。

 いま多くの作品が、作品のほうから敷居やレベルを下げて、相対的に視聴者のほうが賢く――上から目線で――作品を語ることができる構造を取っています。ライトノベルやアプリゲームの多くがそうであるように、作品を主体的に読み解く努力を省ける作りになっているわけですね。お肉に喩えればどんどん柔らかくなっている。

―― 食べやすいけれど、噛む力は弱くなってしまいますね……。

平澤 そうかもしれません(笑) とはいえ、そこは僕の読み違いなので、主人公の目的や、ブブキとブランキの関係など、物語の構造や作品の魅力を伝えていく工夫をこれからも続けていきます。

 作品を読み解く大きなヒントは、じつはオープニングに隠されています。第3話以降は登場人物、王舞や炎帝などすべての要素が描かれていますので、迷ったときには見直してみてください。

 実はワタシはこのブブキ・ブランキというアニメについて結構辛らつな感想を書いているのですが(http://d.hatena.ne.jp/Perry-R/20160320/p3)、こんな風に語られたら「ブブキ・ブランキに辛い人間は、物語を理解できないバカ」ということになり、そう呼ばれたくないために必然的にブブキ・ブランキを褒めるしかなくなる……、このプロデューサーも上手い手を使うもんだと感心しました(笑)


 まあ、冗談はともかく、プロデューサーの意図を理解したうえで「ブブキ・ブランキ」には辛い点をつけざるを得ないですよね。視聴者に媚びた作りにせずに、硬派に作ってみました、視聴者は隅々まで見て話に食らい付いて来い、という言い分だと思うのですけど、それって独りよがりな言い分じゃないの? と言いたい。

 例え、作品が謎だらけで理解しずらいとしても、それを苦にさせない魅力があればオッケーだと思いますよ? この先どうなるんだろうワクワク、みたいな「引き」に繋がる訳ですから。でもこのアニメの場合は、「最初から訳がわからんし、ストーリーの構成の仕方がドヘタなので見ていてイライラするだけ」という作品ですからねぇ。

 物語の折り返し点を過ぎてから、いきなりキャラをどっと増やして収拾がつかない状態にしたり、実は日本以外の国もブランキを保持していて、それが16年前から使えなくなったとかの設定を今更付け加えたり、真面目に話を追いかけるのが馬鹿らしくなってくるんですよね。それを「見るほうの咀嚼力が無いから付いてこれないんだ」とは言われたくないですよ。作っているほうが独りよがり状態で、まともな作品になってない、という面の方が強いのでは。

 最終回しか残ってないのに「ブランキとは一体何?」「宝島って何?」「16年前だかに、突然礼央子様が歴史の表舞台に出てきた理由は?」とかいう根本的なところが説明されてないのですが、これを最終回で見事に納得出来る説明を付けてくれるのでしょうか。しっかりラストを締めてくれて満足させてくれるならいいですけど、「謎の部分は視聴者の想像に任せます」みたいな投げっぱなしだったら大口は叩けないと思うし。こうなると、最終回がどーなるのか、ますます気になってきたぞぅ。