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【ゲーム】コーエーのシブサワ・コウと奥さんのインタビュー記事、奥さんが女傑すぎて面白すぎ(笑)

デジタルゲーム

信長から乙女ゲームまで… シブサワ・コウとその妻が語るコーエー立志伝 「世界初ばかりだとユーザーに怒られた(笑)」 | 電ファミニコゲーマー企画記事
http://news.denfaminicogamer.jp/projectbook/koei


 コーエーテクモ(元光栄)の社長・襟川陽一氏(シブサワ・コウ)と、その奥さんで会長の襟川恵子氏の二人への超ロングインタビュー。シブサワ・コウ氏のインタビューは以前4gamerの記事で読んだ事があったのですが、

シブサワ・コウ,「川中島の合戦」から「三國志13」までを語る。コーエーテクモを引っ張るクリエイターは,筋金入りのコアゲーマーだった - 4Gamer.net
http://www.4gamer.net/games/302/G030244/20151225064/


 奥さんのインタビューは初めて読みました。そしてこの人のエピソードがめっぽう面白い(笑) 「こんなことにこの人が関わっていたのか!」という仰天エピソードが多すぎて、もう楽しすぎるので、数々の伝説を列挙していきます。


光栄の開業資金を工面した

襟川が「マイコンショップを開きたい」と言い出したときも、私は自分の持っている土地を担保に入れたり、当時まだ470円だった任天堂さんの株を売却したりして、開業資金を工面できたんです。確かあの任天堂さんの株が、3,000〜4,000株くらいあったかと記憶しています。

 まあ、内助の功的なエピソード。これは序の口。



開業当初はパッケージ他を担当していた

ええ、印刷物等は私が作っていました。当時は、宣伝広告もコピーライトも、全て私がやっていました。そうそう、この『川中島の合戦』のパッケージも広告代理店の人に英字新聞を買ってきてもらって、その場で作りました。ちょうどフォークランド紛争中で、そんな記事を参考にしながら作ったんです。

 最初は当然小さい会社だったから、そういう事もあったでしょう。



ファミコン参入時、卸売りに先に金を払わせた

そこで、私は「それなら流通の会社に来ていただこう」と、習字の達人に和紙で招待状を書いてもらい、帝国ホテルで「『信長の野望』のファミコン参入の発表会を開く」と日本中の卸売様にご案内して、昼食会を開いたんです。


 そうです。そうして呼びつけた上で、昼食会の席上で私は「コーエーのゲームは、現金で全て先払いでお願いします」と言ったんですね。


  そこで、私は「コーエーに将来性があるとお考えの方2、3社の方とだけでもお付き合いいただければ、それで幸いです」とひたすらお願いしました。
 そのあと、任天堂さんには流通業者の方々から、「訳の分からない女が、頭のおかしいことを言っている」とか「非常識極まりない」とかの、たくさんクレームの電話が来たそうです。なにしろ前代未聞のことで、きっと九州から北海道まで私への悪口が飛び交っていたのでしょうね。


 そうしてしばらくしたら、もう銀行に大金がバンバン振り込まれてきました。(笑)。


 最初は全額前払い。次回からは半金前払いでした。金利も当時は高かったので、すばらしい仕組みですね。私は義父の会社で手形の不渡りは懲りていますから、いつもニコニコ現金決済です。

 この辺りって1980年代のファミコン全盛期時代の知られざるトンデモないエピソードじゃないですか(笑) このエピソードが読めただけでも、この記事は読んだかいが有ったと思いましたわ。しかしすごい事するよな(笑)



光栄のファミコンソフトに一万円超の値をつけて売った

 確かに、以前は価格が高いと言われましたが、ワードプロセッサのソフトが10万円していた時代だったんです。しかも、ゲームソフトはストーリーにサウンド、グラフィックスがあって、インタラクトデザインにプログラミングもある。当社はワープロソフトも作っていましたが、当社のゲームソフトは理系と文系の融合で、それよりもずっと大変だと思っていましたから。
 ただ、『三國志』のときに1万4800円にしたときには、さすがに「1万円を超えるなんてだれも買わない……」と、社員・流通・ショップの全員に反対されましたけどね(笑)。


 もう当時は襟川との離婚も辞さない覚悟で、14,800円でいくと一人で全員と戦っていました。大の男が女の細腕をだれ一人も応援してくれないんです。でも、私は「必ずこの価格でも大ヒットするはずだ」と思っていました。

 ファミコン時代の光栄ゲームの伝説的高値は、全てこの人のせいだったのか(笑)



コーエー乙女ゲーム路線を立ち上げた

アンジェリーク』(※)ですね。女性向けのゲーム自体はもう、コーエーがゲームを作りはじめた当初から、ずっと作りたかったのです。


 ただ、当時は社員が男性しかいなかったので、それでは女心はわからない。ですから、私は女性を採用しました。でも、当時の女性社員はすぐに結婚して、退職してしまったので……結局、『アンジェリーク』を発売するまでに10年かかりましたね。


 90年代になって、やっと女性たちのチームが作れたので、「ルビー・パーティ」と名づけて開発をはじめました。

 これは驚いた。ルビー・パーティは、女性社員たちが上司に直訴して作った社内ベンチャー的なチームだとばかり。この人がいないとアンジェリークもコルダも遙かなる時空の中でも無かったのか。


感想

 奥さんが社内の色々に関わっていたというのは初耳で色々面白かったけど、なんと言ってもファミコン参入時のエピソードが強烈過ぎますわ(笑) 他にも光栄立ち上げ時の話とか、色々盛りだくさんなのですが、奥さんの話で全部持っていってしまった感がある記事でした(笑)