コズミックフロント☆NEXT http://www4.nhk.or.jp/cosmic/
放送 NHK BSプレミアム(毎週木曜 22:00~23:00)。
【※以下ネタバレ】
今回の内容
http://www4.nhk.or.jp/cosmic/x/2017-05-11/10/2290/2120185/
旧ソ連幻の宇宙船ブラン スペースシャトル計画
約30年前の1988年に旧ソ連が一度だけ打ち上げた幻の宇宙船“ブラン”があった。東西冷戦の最中、アメリカに対抗して作られたもう一つのスペースシャトルだ。開発の指揮をとったのは、知られざる天才技術者ヴァレンティン・グルシュコ。彼はブランを宇宙に運ぶため史上最強のエンジンを開発するなど手腕を発揮するが、時代の波に翻弄される。幻の巨大宇宙船に託された秘密と開発の舞台裏に当時の貴重な映像で迫る。
かつてソ連はアメリカのスペースシャトルにそっくりの宇宙船「ブラン」を開発していた。しかしブランは一回しか宇宙を飛ぶことはなかった。何故だったのか。
●ブラン開発の経緯
アメリカは1970年代に、20トンもの荷物を載せて宇宙へ飛ぶスペースシャトルを開発し始めた。当時のソ連は、スペースシャトルの飛行目的は宇宙空間に核兵器を運ぶことで、シャトルからソ連を攻撃するのではないかと疑い、それに対抗するため、1976年から、自国版スペースシャトル「ブラン」の開発を始めたのだった。
●難航する開発
ブランは事実上スペースシャトルのコピーとして開発された。しかし、宇宙船のデザインは真似できても、様々な部分で苦労を強いられた。例えば、シャトルで使われている大気圏突入時の熱を遮る断熱材がソ連には無いので、それを一から開発する羽目になったり、ブランを輸送する巨大輸送機が無いのでそれも合わせて開発することになったり、と苦労の連続だった。
そしてようやくブランは完成した。ただし全てがスペースシャトルのコビーではなく、スペースシャトルが機体にエンジンを搭載しており、巨大燃料タンクとセットで打ち上げる形式だったのに対し、ブランはエンジンを持たず、巨大ロケット「エネルギア」に搭載されて打ち上げる、一種のグライダーだった。この方式だと、エネルギアはブラン打ち上げ以外にも使用することができるので、優れたアイデアだった。
●天才技術者グルシュコ
エネルキアを開発したのはロケット技術者ヴァレンティン・グルシュコだった。グルシュコは、ソ連の宇宙開発のリーダーだったセルゲイ・コロリョフの同僚で、コロリョフが存命の頃は、コロリョフがロケット打ち上げ計画全体を仕切り、グルシュコがロケットを開発する、という立場だった。
グルシュコは少年時代から宇宙旅行に興味を持ち、あのツィオルコフスキーと熱心に文通したほどだった。やがて成長したグルシュコは黎明期からロケット開発に携わり、あのスプートニクもガガーリンのボストークもグルシュコが開発したロケットで打ち上げられたのだった。
しかし、やがてグルシュコはコロリョフと月ロケット打ち上げの事で意見が対立し、袂を分かった。そしてコロリョフが進める計画とは別に、独自の月ロケット計画を推進しようとしたりした(ただし途中で挫折)。
コロリョフの死後、ソ連の宇宙開発のトップとなったグルシュコは、ブラン開発計画のリーダーとして史上最強のロケット・エネルギアの開発に成功した。
●冷戦の終わり
そしてエネルギアは、1987年に、まず第一回目の打ち上げで、レーザー衛星「ポリウス」を打ち上げ、衛星の軌道投入自体は失敗したものの、ロケットとして完全に機能した。ところが当時は米ソの冷戦が終わりかけている時期で、ポリウス打ち上げを知った当時のゴルバチョフ書記長は、宇宙の軍事利用が緊張緩和の動きに反する、として、ブラン計画の予算を削減した。
そのため、ブランは事実上最初で最後の飛行として、1988年11月に打ち上げられた。ブランは人の手を借りずに完全自動で操縦するようにプログラムされており、地球を二周した後、完璧な飛行で地球に帰還した。
しかし、1991年にソ連は崩壊し、ブラン計画は消滅した。その後ブランは倉庫にしまい込まれたままだったが、2002年に建物の屋根が崩壊しブランは押しつぶされてしまった。その後、混乱の中で、飛行しなかった第二号機が国外に持ち出され、いまはドイツの博物館に展示されている。