島田教授の日本語史講座、面白すぎる! 「ら」抜き言葉で抜けてるのは「ら」じゃなかった!
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島田教授の日本語史講座、面白すぎる!
— 荻窪圭 (@ogikubokei) 2017年11月3日
「ら」抜き言葉で抜けてるのは「ら」じゃなかった! pic.twitter.com/cYLm0dxvlF
このツイートで「らぬき言葉」についての真面目な研究の内容について紹介しているのですが、これがめっぽう面白いです。
ら抜き言葉は日本語の乱れ……?
「ら抜き」言葉という物がありますよね。
ら抜き言葉(ラヌキコトバ)とは - コトバンク
https://kotobank.jp/word/%E3%82%89%E6%8A%9C%E3%81%8D%E8%A8%80%E8%91%89-656381
動詞に可能の助動詞「られる」がついた「食べられる」「出られる」「見られる」などから「ら」を抜いた、「食べれる」「出れる」「見れる」などの言い方の称。
「全く最近の若い連中は、らを抜くなんて全くなっとらん。美しい日本語が乱れていく……ブツブツブツ」と、特定の層からは目の敵にされる言葉ですが、どうもこれ、別に「若い者が日本語を乱している」とかではなく、過去にも起きていた原語の変化が現在にも繰り返されているだけ、という事らしいのです……、いったいどういう事?
過去に起きた日本語の変化
過去に「XXできる」という意味の言葉は以下のように変化しました。
・行かれる(IKARERU)→行ける(IKERU)
・歩かれる(ARUKARERU)→歩ける(ARUKERU)
と変わったのです。「行ける」「歩ける」は今普通に使いますよね。ここで注目すべきなのは変化した時に何処が変わったか、です。ローマ字にすると解りますが
IK《AR》ERU→IKERU
ARUK《AR》ERU→ARUKERU
と元の言葉から「AR」が抜けて変化しています。
抜けているのは「ら」ではなく……
さて、では現代問題になっている(?)「ら抜き言葉」ですが……、実は起きているのは過去と同じ現象で「ら」が抜けているのではなく「AR」が抜けているのです。
・見られる(MIRARERU)→見れる(MIRERU)
・食べられる(TABERARERU)→食べれる(TABERERU)
は
MIR《AR》ERU→MIRERU
TABER《AR》ERU→TABERERU
こう考えると「最近の言葉の乱れは許せない、美しい日本語を取り戻せ!」とか叫ぶのは野暮な事……、みたいですねぇ。