【歴史】感想:NHK番組「風雲!大歴史実験」『源平壇ノ浦の戦い ~源義経 おきて破りの真実~』

週刊 絵で知る日本史 16号 壇ノ浦合戦図屏風

風雲!大歴史実験 http://www4.nhk.or.jp/P3924/
放送 NHK BSプレミアム

【※以下ネタバレ】
 

源平壇ノ浦の戦い ~源義経 おきて破りの真実~ (2016年3月22日(火)放送)

 

内容

2016年03月22日
https://www.nhk.or.jp/docudocu/program/91623/1623434/index.html


今回は“源平壇ノ浦の戦い”。常識破りの奇策で平家軍を追い詰めた源義経は、なぜ最後は苦手とする“海戦”に勝利し平家を滅亡させたのか。勝因は“潮流の反転”とされ、その劇的な結末はドラマや文学の名場面となってきた。その真相を探るため、当時の海の戦いを大実験!そこには武芸の競い合いから命の奪い合いへ。決定的な戦いの変化があった!武士たちはなぜ敵の首を取り始めたのか。日本社会の大変化に迫る。


【出演】高橋英樹喜屋武ちあき本郷和人,【司会】徳田章

※再放送 2018年6月28日(木) 午後4時30分(90分)

 日本史での有名イベントを実際に検証してみる番組。


●源平の戦い

 12世紀、京都を中心に繁栄した平家だったが、1181年の平清盛の死をきっかけに源氏の反乱が起こり、京都を追われ、瀬戸内海方面に逃げることになった。源氏側の中心・源義経は様々な奇策で平家を打ち破っていった。

 そして1185年4月25日、最終決戦である壇ノ浦の戦いで平家は敗れ滅亡した。しかし平家は海賊討伐を経験し海の戦いに慣れてたのに対し、源氏側は関東平野出身で海は不慣れ。しかも壇ノ浦は平家方のリーダー・平知盛のホームグラウンドでもあった。それなのに何故平家は敗れたのか?



●潮流実験「”壇ノ浦”玉入れ合戦」

 ドラマなどでは、平家の敗北は潮流のせいだとされている。関門海峡は一日で潮の流れが東西に四回変化する。平家は最初は潮の流れを背に受ける形で優勢に戦いを進めたが、やがて潮の流れが逆転し逆流になってしまったため負けた、とされる。しかし海のスペシャリストの平家が、そんなことも知らなかったのだろうか。

 そこで実験。ボート部の学生に手漕ぎボートを二隻漕いでもらい、潮の流れがきつい場所で「背から受ける」「前から受ける」という立場で、相手の船に玉を入れる玉入れ勝負をにしてもらう。結果は、互いの立場を入れ替えてみても潮の流れは勝敗に関係なし。玉入れを弓矢に置き換えれば、潮の流れは戦況に関係ないことになる。

 戦闘に重要なのは彼我の距離であって、潮流ではない。そもそも潮流は源氏も平家も等しく受ける。つまり例えるなら「移動する電車の中で互いに向かい合っているようなもの」である。そう考えれば潮流と戦闘の勝敗に何の関係も無い事が理解できるはず。



●弓矢の有効射程距離実験「那須与一扇の的」

 伝承では源氏は陸地からも平家の船に矢を射たとされている。このエピソードで連想するのは、屋島の戦いにおける那須与一の話。屋島の戦いで負けて海に逃げ出した平家だったが、女官が船の上に扇を立て、源氏方に射てみよと挑発した。義経に指名された弓の名人・那須与一は、見事に扇を射落としたとされる。

 伝承では与一と船の距離は70メートル。そこで弓で国体優勝の経験者三人を集め、砂浜から沖に浮かべた船の的に向かって射てもらい、本当に可能なのか再現実験。結果は一人四射、合計一二射したものの的中はゼロ。

 壇ノ浦では陸地から平家の船までは300メートルあったとされ、陸からの弓による攻撃は勝敗には関係なかったと考えられる。



源平合戦以前の武士の戦い

 那須与一が扇を射落とした時、味方の源氏だけでなく、敵の平家もその技量を讃えたという。武士の戦いというのは、どちらかというとスポーツに近い「互いの技量の優劣を競い合うもの」だった。

 「今昔物語」には、源充(みなもとのみつる)と平良文(たいらのよしふみ)の合戦の様子が描かれている。二人は戦う場所と時間を決めて戦場に到着したが、互いに一騎打ちを希望して二人だけで戦った。そして結局勝敗が付かず、互いの技量を讃え合って引き分けにしたと言う。

 武士の戦いは「戦う日時をあらかじめ打ち合わせて決めておく」「戦う方法は話し合って決める」「非戦闘員は巻き込まない」といったルールがあった。戦場は武士の技量を比べ合う場であり、そのためきちんとルールが定められていたのであ。



●武士の技実験×3

 そんな武士たちが身につけていた武術の一つが、馬に乗って弓を射る技術。そこで実験。流鏑馬スペシャリスト三人を集めて、様々な状況で乗馬状態から弓を射てもらう。
 
・「馬上からの弓射 動く的を射る」
 ラジコンカーに的を取り付け、時速30キロ中盤で走らせて、その右後ろから追いかけつつ射る→9射中4射的中
 
・「馬上からの弓射 正面の的を射る」
 真正面の的に近づきながら射る→9射全て失敗
 
・「馬上からの弓射 後方の的を射る」
 的の横を通り過ぎてから、後ろを向きつつ射る→9射中4射的中
 
 動く的は左横に来た時に射ればよいので普通の流鏑馬の射方で問題なし。後ろに撃つのも腰をひねれば良いので応用的にいける。ただし前向きにいるのは体が窮屈になるので難しい。



●武士の技実験「敵の死角を突いて馬を動かす」

 弓は基本的に体の左側しか射ることは出来ない。体をひねって前や後ろもカバーできるが、右側は死角になる。ということは、敵の騎馬武者を見つけたら、すぐに相手の死角である右側に入ることが必要。という事で実験。

 日本古来の馬に拘る会の人たちに、鎧を付けて乗馬してもらい、その状態で敵の姿の絵(右向きとか左向きとか)の絵をぱっと見せ、死角に迅速に入り込むように馬を操ってもらう。結果は散々でとても臨機応変に動かすことは出来なかった。

 しかし武士たちは幼少のころからそういう訓練を積んできて、馬を自在に動かすなど当たり前、というレベルだったわけである。



●戦争の変化

 屋島の合戦那須与一が的を見事に射落とすと、平家の武士の一人はそれを祝福して舞を舞った。那須与一義経の命令で舞の男も射殺し、戦場は静まり返ったと言う。それは戦いのルールを無視する行いだった。

 義経は当時の戦いのルールを徹底的に無視しており、前述の屋島のエピソードだけではなく、一の谷の戦いでは「奇襲攻撃」である「鵯越の逆落とし」で平家の意表をつき散々に打ち破っている。

 源氏方は武士と認められないような低い階層の人間も参加しており、彼らは手柄を挙げるためにルールなど構っていられないような状態だった。また義経自身も正規の武士としての教育を受けていなかったので、戦場のルールを重視しなかった。



●弓矢の威力実験「船上での弓射」

 壇ノ浦での源氏の勝因は、と突き詰めると、源氏方は非戦闘員の船の漕ぎ手・舵取りをかまわず弓で射殺し、平家方は船のコントロールが出来なくなって敗れた、と推測される。そこで実験。

 先に登場した弓の名人三人に、今度は船の上から50メートル先の船の的に射てもらう。自分の船も相手の船も揺れているが、それでも12射中5射的中。戦闘力を奪うには十分な命中率である。



武家相撲

 当時の源氏の武士たちには、平家方にはなじみのない「武家相撲」という組み打ち技術が流行っていた。これは戦場で相手を討ち取るための格闘技術。壇ノ浦の戦いは、最後は船上での接近戦になったとされ、そのため源氏の武者が武家相撲で平家武者を討ち取るシーンが頻発したのかもしれない。



●平家のプライド

 壇ノ浦で源氏が非戦闘員の船員を殺し始めた時、何故平家方は同じことをやり返さなかったのか? 武士のプライド・美学を最後まで貫いたのか? 単に物量で負けていて既に矢が乏しくなっていたのか?

 戦場のルールを無視した義経の戦法により源氏は勝利したが、源氏の中にもそれを快く思わない者もいた様である。後に義経が頼朝に反乱を起こそうとした際、ついてくるものが誰もいなかった、というのがそれを現しているのかもしれない。

感想

 有名な壇ノ浦の戦いを様々な実験で検証。壇ノ浦関連だけではなく、当時の武士の技術を検証する、みたいな観点でも様々な実験を実施しており、90分間フルに楽しめる良番組でした。

 那須与一実験で的中はゼロという結果でしたが、一人は「扇を支える細い木の棒」に的中させており、ほぼ当たっていたと言っても過言ではない状態でした。70メートル先の目標ですよ? 達人って凄いと心底思いました。

 また、最後に源氏方の武士・熊谷直実(くまがい・なおざね)のエピソードが紹介されたのですが、これが結構泣かせました。直実は、武士として戦場で人を殺したので、死んだら救われずに地獄に行くと諦めていたところ、浄土真宗を起こした法然に「南無阿弥陀仏と唱えれば誰でも天国に行ける」と言われて、救われると知って号泣したとか。こっちもちょっとウルっと来ましたね。
 
 そうそう、途中で何故か乙女ゲームの画面みたいな場面が差し込まれ、アニメ顔で美形の源義経(声:榊原徹也)と美形の平知盛(声:石田彰)が出てきて、
義経「ワッハッハ、戦場のルールなど知った事か」
とか
知盛「くっ義経め。これではルール違反だ!」
とか
それっぽい台詞を言いあっていて、めっちゃ面白かったです(笑)
 
 

他の回の内容・感想はこちら

perry-r.hatenablog.com
 

「風雲!大歴史実験」内容・感想まとめ

 
 
源平の盛衰 (講談社学術文庫)