【※以下ネタバレ】
波乱万丈!ラーメンと日本人 震災・革命・復興 激動のドラマ (2018年9月5日(水)放送)
内容
日本人の国民食であるラーメンは、今やアメリカやインドでも食べられている国際的な食べ物。その歴史をたどる。
波乱万丈!ラーメンと日本人 震災・革命・復興 激動のドラマ
http://www.nhk.or.jp/historia/backnumber/353.html
エピソード1 革命とラーメン
日本人のソウルフード「ラーメン」
日本人の食と切っても切れない「ラーメン」。ラーメンのルーツのひとつは大正時代の札幌にあった!「革命」のあおりで北海道へやってきた外国の人々に、食堂のおかみが出した「麺」とは…北の大地の、ラーメンにつながる奇跡。
大正時代。大久昌治・タツ夫妻は、札幌にやってきて、北海道大学の前で学生目当ての「竹家食堂」を開くが、昌治は料理は素人だったので店は閑古鳥状態だった。ある日、昌治は知人の紹介で中国人料理人・王文彩を雇い入れる。王はロシアに住んでいたが、ロシア革命で命からがら日本に脱出してきた過去があった。
王の作る麺料理・肉絲麺(ロースーメン)は大評判で、大学に留学している中国人学生たちが店にやってくるようになった。学生たちは辛亥革命の後、国家の将来を担うエリートとして大学に留学してきていた。
しかし「肉絲麺」は日本人には読めないので、日本人客が文句を言うばかりか、中国をバカにするような言動をして、店の空気はどんどん悪くなった。タツは王の口癖「ハオラー(出来たよ)」をヒントに、肉絲麺を「ラーメン」と呼び変えることにした。「ラーメン」という言葉は日本人でも言いやすいので、以前のようなトラブルも無くなった。
エピソード2 震災とラーメン
およそ100年前、中国の麺料理が東京・浅草で劇的に改良され日本の麺類として定着していったのが「ラーメン」誕生の大きな流れでした。やがて流行の味として人気を集めた東京のラーメン。関東大震災で東京が壊滅的打撃を受けたときも、人々を力づけたのは「ラーメン」だったのです。
浅草の「来々軒」は、ラーメンのスープを塩味から醤油味にした「醤油ラーメン」を開発。これが大ヒットした。
ところが大正12年(1923年)関東大震災が発生し、関東は焼け野原となった。そして被災者向けのガイドブックが発行され、その中にはおススメの仕事の一つとしてラーメンの屋台が推薦されていた。屋台さえあれば仕事ができ、さらに一日6~8万円は収入の有る割の良い仕事として紹介されていたため、多くの人たちがラーメンの屋台を引いた。やがて人々は仕事の場所を地方都市に移し、かくしてそれがご当地ラーメンを生み出すきっかけとなった。
エピソード3 戦後復興とラーメン
戦後の闇市にも登場した「ラーメン」
戦争の時代、ラーメンはいったん姿を消しますが、終戦とともに日本が空腹をかかえた人々であふれると「ラーメン」は瞬く間によみがえりました。実はここに「世界の大国」の思惑が…。戦後復興とラーメンの意外な関係の秘話です。
太平洋戦争の時代、日本では小麦粉が手に入らなくなりラーメンは日本から姿を消した。昭和21年5月、食料不足に苦しむ市民は社会党・共産党の呼びかけに応じて、25万人規模の大デモを敢行した。アメリカとソ連が対立し始めていた時代で、アメリカは日本がこのままでは共産主義国家になってしまうと慌てて、日本に食糧支援として千トンの小麦粉を送った。この小麦粉のおかげで日本でまたラーメンが食べられるようになったのである。
そして戦後、ラーメンは国民食となった。2011年の東日本大震災の際には、避難所に全国からラーメン店関係者が集まり、被災者にラーメンを振るまった。ラーメンが復興の手助けとなったのである。