【科学】感想:NHK番組「フランケンシュタインの誘惑 科学史 闇の事件簿」『科学者 野口英世』(2021年1月28日(木))

英文版 正伝 野口英世 - Dr. Noguchi's Journey: A Life of Medical Search and Discovery

フランケンシュタインの誘惑 科学史 闇の事件簿 https://www.nhk.jp/p/ts/11Q1LRN1R3/
放送 NHK BSプレミアム

【※以下ネタバレ】
 
※他の回の内容・感想は以下のリンクからどうぞ
perry-r.hatenablog.com
 

科学は、人間に夢を見せる一方で、ときに残酷な結果をつきつける。
理想の人間を作ろうとした青年フランケンシュタインが、怪物を生み出してしまったように―
輝かしい科学の歴史の陰には、残酷な実験や非人道的な研究、不正が数多くあった。
そんな闇に埋もれた事件に光を当て、「科学」「歴史」「倫理」に迫るシリーズが帰ってくる。


ナビゲーター/ナレーション 吉川晃司 (ミュージシャン)

 

科学者 野口英世 (2021年1月28日(木)放送)

 

内容

フランケンシュタインの誘惑(3)「科学者 野口英世
[BSプレミアム] 2021年01月28日 午後9:00 ~ 午後10:00 (60分)


日本人の誰もが知る偉人・野口英世。だが、その研究の多くは誤りだったことが今ではわかっている。なぜ野口は間違ったのか? 科学者・野口英世の、知られざる欲望の物語。


科学史の闇に迫る知的エンターテインメント。今回取り上げるのは、日本人の誰もが知る偉人・野口英世福島県の貧しい農家に生まれ幼少期の事故で左手が不自由になりながら、医師となり、単身渡米して研究医に。黄熱病や梅毒の研究でノーベル賞の候補にも挙げられた細菌学のスーパースターのひとりだ。しかし現在では、その研究の多くが誤りだったことがわかっている。なぜ野口は間違ったのか? 科学者・野口英世の欲望の物語。


【ナビゲーター/ナレーション】吉川晃司,【出演】岩田健太郎,榎木英介,【アナウンサー】武内陶子

 
 今回のテーマは「野口英世」。


●スター研究者となるまで

 野口英世(1876~1928)は1876年生まれ。貧農の出身で、さらに幼い頃囲炉裏で左手を大やけどして指が癒着してしまい、自由に使えなくなる。その後周囲の支援で左手の手術を受けて指を切り離す。周囲の人々に協力してもらい、英語・ドイツ語・フランス語を習得する。

 1896年、開業医の免許の試験を受け、難関を一発で突破する。しかし野口は当時細菌を次々と発見していたスター科学者たちにあこがれ、同じ道に進みたいと望んだ。

 そして、なんとか北里柴三郎研究所に入るものの、仕事は研究ではなく外国の書籍の翻訳などでしかなかった。1899年、研究所に来たアメリカの研究者フレクスナーを頼り、1900年に強引にフレクスナーの元に押しかける。フレクスナーは困惑するが、仕方なく自費で野口を助手として雇った。

 1903年、フレクスナーが新しく作られたロックフェラー医学研究所の所長となり、野口は一等助手として働けることになった。


 野口は、当時「世界最悪の病気」と呼ばれていた梅毒に挑み、まず梅毒の病原体だけを培養する「純粋培養」に粘り強く取り組み、ついに世界で初めてこれに成功、絶賛される。さらに梅毒の病原体から取り出した物質を感染が疑われる人に注射し、その反応から感染の診断を判定する方法を開発した。さらに梅毒の末期症状と疑われてた「進行麻痺」について、患者の脳から梅毒の病原体を発見し、梅毒が原因だと確定させた。

 短期間に梅毒に関して三つもの成果を上げた野口はスーパースターになった。


(※ただし現在では、純粋培養は出来ていなかったと考えられている。また感染有無の診断方法も認められていない)



狂犬病の研究

 野口は次に狂犬病の研究に取り掛かり、その病原体を発見したとして、所長のフレクスナーに発表させてくれるように頼んだ。フレクスナーはまだ研究が足りないとしたが、野口は他の人間に先を越されることを恐れて強引に押し切り、フレクスナーは後から追試することを条件に渋々許可した。

 この成果で野口は大賞賛されたが、その後フレクスナーと約束した狂犬病の研究をすることは無かった。また狂犬病の原因は細菌ではなくウイルスのため、光学顕微鏡では発見できるはずもなく、野口の発表は間違いだった。

 1914年、野口は正研究員に昇格し、1915年・38歳の時に日本に凱旋帰国し、盛大に歓待された。



●黄熱病に挑む

 1918年、今度は野口は黄熱病の研究を開始した。黄熱病は、中南米や西アフリカで流行し、致死率は20パーセントで「西半球の恐怖」と呼ばれていた。この病気は蚊が媒介することは判明していたが、病原菌はまだ見つかっていなかった。野口は黄熱病が蔓延するエクアドルに向かった。

 野口は、黄熱病の症状、高熱・横断・出血がワイル病と似ているため、同じ病原体が原因ではないかと考えた。そして病原体を発見したと発表し、ワクチン「野口ワクチン」を開発した。

 しかし、現在では野口が発見したのは黄熱病の菌では無かったことが判明している。黄熱病の原因はウイルスで、野口の使用していた顕微鏡では見つけることは不可能だった。

 しかし、当時は、野口は黄熱病のワクチンを開発した偉人としてたたえられた。



●野口の死

 1924年、アフリカで黄熱病が流行するが、野口ワクチンは全く効果が無かった。1926年には、学者マックス・タイラーは、野口の研究を批判し、野口はワイル病の病原体を見つけ、そのワクチンを開発しただけであるとした。ロックフェラー医学研究所は野口ワクチンの生産を中止した。

 1927年、野口は自ら調査のためアフリカ・ガーナに向かい、現地で黄熱病の病原体を発見したと報告した。しかし現地で黄熱病にかかり、1928年5月22日に死去。享年51歳。

 黄熱病のワクチンは、マックス・タイラーが開発し、ノーベル生理学・医学賞を受賞した。


感想

 「偉人」として超有名な野口英世のお話。渡航費用を飲んでしまったとかの人格的にアレだったエピソードは今回は無しで、医学界で猛烈に頑張り名声を得たものの、大半の「成果」が今は無かったことになっているね、という悲しい位置づけで描かれました。

 しかし調べてみると、今でも偉人という事で伝記が山ほどあるんですよね。「正しかったかどうかは問題じゃない、とりあえず猛努力したことを見習おう」というスタンスなんでしょうかね。死後に成果の大半を否定された堕ちた偉人だと思うんですけどね……
 
 
 

※他の回の内容・感想は、以下のリンクからどうぞ

perry-r.hatenablog.com
 
 
フランケンシュタインの誘惑(NHKオンデマンド)
フランケンシュタインの誘惑(NHKオンデマンド)
 
カルト的人気を誇る、NHKフランケンシュタインの誘惑」待望の出版化!
闇に魅入られた科学者たち―人体実験は何を生んだのか
 

【科学】感想:NHK番組「フランケンシュタインの誘惑 科学史 闇の事件簿 2021」『精神改造 恐怖の洗脳計画』(2022年3月24日(木))

CIA洗脳実験室~父は人体実験の犠牲になった~

フランケンシュタインの誘惑 科学史 闇の事件簿 https://www.nhk.jp/p/ts/11Q1LRN1R3/
放送 NHK BSプレミアム

【※以下ネタバレ】
 
※他の回の内容・感想は以下のリンクからどうぞ
perry-r.hatenablog.com
 

科学は、人間に夢を見せる一方で、ときに残酷な結果をつきつける。
理想の人間を作ろうとした青年フランケンシュタインが、怪物を生み出してしまったように―
輝かしい科学の歴史の陰には、残酷な実験や非人道的な研究、不正が数多くあった。
そんな闇に埋もれた事件に光を当て、「科学」「歴史」「倫理」に迫るシリーズ。


ナビゲーター/ナレーション 吉川晃司 (ミュージシャン)

 

精神改造 恐怖の洗脳計画 (2022年3月24日(木)放送)

 

内容

フランケンシュタインの誘惑「精神改造 恐怖の洗脳計画」
[BS4K] 2022年03月24日 午後9:00 ~ 午後9:45 (45分)


アメリカCIAの極秘プロジェクトMKウルトラ。東西冷戦のさなか洗脳技術の確立を目指し危険な人体実験が行われていた。科学は人の思考や行動をコントロールできるのか?


科学は、人の思考や行動を、どこまで意のままにコントロールできるのか? 1953年からアメリカCIAが極秘で推し進めた洗脳実験プロジェクト「MKウルトラ」。幻覚剤や電気ショックなど数々の危険な人体実験を行い、死者・廃人を多数生み出した恐るべきものだった。そのひとつ、カナダでの実験を指揮した精神科医ユーウェン・キャメロンの闇に迫る。よりよい社会を作るために精神疾患を治療しようと始まった研究の結末は―



【ナビゲーター/ナレーション】吉川晃司

 
 今回のテーマは「精神科医ユーウェン・キャメロン」。


●「精神の操縦」誕生

 精神科医ユーウェン・キャメロン(1901~1967)は、1901年スコットランド生まれ。ロンドンで博士号を取り、北米に渡ると、1928年・27歳の時に精神疾患の病院の責任者に任命された。

 当時、精神疾患は原因不明で、患者は鍵のかかった部屋に監禁され、ほぼ退院できないため、絶望の施設と呼ばれていた。治療としては、わざとマラリアに感染させたり(マラリア感染症法)、インスリンを過剰に投与したり(インスリン・ショック症法)、電気ショックを与えたり(電気ショック症法)、という乱暴な事をしているだけだった。キャメロンは、治療の手掛かりとして、患者の行動を写真に取ったり言葉を録音したりして正確に記録することを提唱した。

 1942年、41歳のとき、キャメロンはモントリオールマギル大学に招かれ、精神病院・アラン研究所の初代所長となった。キャメロンは、病院に鍵をかけて閉じ込めることを止め、入院ではなくデイサービス(通院)で治療を受けられるようにした。この画期的な試みで、キャメロンと研究所の名は世界的に有名になった。

 1950年、キャメロンはある論文で、薬物で昏睡状態を引き起こし性格を作り直す、という研究を知る。キャメロンは精神疾患はトラウマで脳にダメージを受けて発症すると考えており、脳を攻撃して昏睡状態を作り出せばトラウマは消え病は治る、と考えた。キャメロンはこれを「人間の白紙化」を名付けた。

 キャメロンは、まず幻覚剤LSDを試してみたが効果なし。次に電気ショックで、当時確立されていた方法の40倍、さらに二日に一回が限度のものを二十日間連続で試してみたがこれも効果なし。

 1953年、キャメロンは偶然から、統合失調症の患者にある言葉を繰り返し聞かせると患者が最終的に素直になる、という事を発見した。1956年、キャメロンは「サイキック・ドライビング/精神の操縦」という論文を発表した。

 キャメロンは、電気ショックで患者を昏睡状態にした後、患者をベッドに寝かせて外部からの刺激を遮断し、テープで「私はダメな人間だ」といったネガティブな言葉を繰り返して一日15時間・7日間聞かせ続ける。そのあと「あなたは紙きれを拾う」といった言葉を一日15時間・3日間聞かせると、患者は言われた通りに紙を拾うような行動を見せた。

 マイナスの言葉で脳を白紙化し、そのあと望ましい行動を書き込む。キャメロンは、精神疾患の新しい治療法を見つけたと考えた。マスコミはこれを賞賛し「役に立つ洗脳」と呼んだ。



●極秘「洗脳」計画

 1957年、キャメロンにCIAが接触してきた。朝鮮戦争では、北朝鮮側の捕虜になったアメリカ兵が共産主義を賞賛するようになった映像が流され、アメリカ側にショックを与えていた。これは共産主義側の洗脳によるものと考えられ、CIAはそれに対抗するため自分たちも洗脳の研究プロジェクト「MKウルトラ」を立ち上げた。これには80もの大学・研究機関が関わり、二百人の研究者が参加した。

 プロジェクトを仕切ったのは「CIAの毒殺部長」とあだ名されたシドニー・ゴッドリープ。ゴッドリープはカストロなどの毒殺を計画し、また諜報員に自殺用に毒薬を持たせるなどとしていた。

 CIAハはキャメロンのサイキック・ドライビングが洗脳に応用できると見て、七万ドル(一億円)の資金援助を行った。キャメロンの病院がカナダにあり、実験台にされるのがアメリカ人ではなくカナダ人だというのも好都合だった。

 キャメロンは、病院の患者たちに、同意も得ずに勝手に洗脳実験を開始。最初は統合失調症の患者だけだったが、そのうち症状に関係なく手当たり次第に洗脳の対象にした。

 その一方で、1961年に世界精神医学会議の会長となり、まさしく世界一の精神科医として認められていた。



●「洗脳」計画の失敗

 1961年。ケネディが大統領になると、金ばかりかかって成果の上がらないMKウルトラの見直しを命じた。CIAがキャメロンの病院を視察すると、諜報活動に使えそうな洗脳どころか、まともな成果は何一つ上がってい無いことが判明した。そのためCIAは資金を打ち切り、やがてMKウルトラ自体が中止されてしまった。

 キャメロンは定年前の1964年に大学を辞め、後任の所長には副所長だったロバート・クレグホーンが就任した。クレグホーンは前任者のサイキック・ドライビングについて調査し、記憶喪失を起こすだけで、治療法としては何の効果も無いと結論付けた。

 1967年、キャメロンは死去した。享年65歳。



●暴かれた罪

 1974年、ニューヨークタイムズは、スクープでCIAの洗脳計画「MKウルトラ」をすっぱ抜いた。キャメロンによって実験台にされていたと知った被害者たちは、アメリカ政府とCIAを訴えたがどちらもまともに対応せず、被害者たち1988年に和解に応じるしか無かった。支払われた金額は75万ドルだったか、裁判にかかった費用を差し引くと殆ど残らなかった。



●洗脳実験 恐怖の「成果」

 キャメロンが開発したサイキック・ドライビングは、その後洗脳ではなく別の分野で応用された。CIAによる拷問マニュアルでは、痛みによる尋問は真実を引き出す効果は薄いとして、感覚を遮断して精神を弱らせて真実を聞き出す手法が記載されている。また悪名高いグアンタナモ収容所で捕虜に対して行っていたのが、まさしく外界からの刺激を遮断して苦しめる手法だった。結局のところ、キャメロンが開発したのは、新しい精神病への治療法などではなく、新しい拷問方法に過ぎなかった。


感想

 暗い話題が目白押しのこの番組でも、特にロボトミーとか心理学実験とかの医療系の話題は見ていて憂鬱になりますが、そのラインナップにまた一つ気分が悪くなるエピソードが追加されました……、イヤー、見ていてキツイよねこういうの。

 父親が治療を受けに行ったら、別人になって帰って来た、とか、ロボトミーの時とそっくりの悲劇でウっとなりましたよ……
 
 
 

※他の回の内容・感想は、以下のリンクからどうぞ

perry-r.hatenablog.com
 
 
フランケンシュタインの誘惑(NHKオンデマンド)
フランケンシュタインの誘惑(NHKオンデマンド)
 
カルト的人気を誇る、NHKフランケンシュタインの誘惑」待望の出版化!
闇に魅入られた科学者たち―人体実験は何を生んだのか
 

【科学】感想:NHK番組「フランケンシュタインの誘惑 科学史 闇の事件簿 2021」『大英博物館 世界最大の泥棒コレクション』(2021年11月25日(木))

古代エジプトの魔術―生と死の秘儀 (mind books)

フランケンシュタインの誘惑 科学史 闇の事件簿 https://www.nhk.jp/p/ts/11Q1LRN1R3/
放送 NHK BSプレミアム

【※以下ネタバレ】
 
※他の回の内容・感想は以下のリンクからどうぞ
perry-r.hatenablog.com
 

科学は、人間に夢を見せる一方で、ときに残酷な結果をつきつける。
理想の人間を作ろうとした青年フランケンシュタインが、怪物を生み出してしまったように―
輝かしい科学の歴史の陰には、残酷な実験や非人道的な研究、不正が数多くあった。
そんな闇に埋もれた事件に光を当て、「科学」「歴史」「倫理」に迫るシリーズ。


ナビゲーター/ナレーション 吉川晃司 (ミュージシャン)

 

大英博物館 世界最大の泥棒コレクション (2021年11月25日(木)放送)

 
■内容

フランケンシュタインの誘惑「大英博物館 世界最大の“泥棒”コレクション」
[BSプレミアム] 2022年01月24日 午後5:16 ~ 午後6:04 (48分)


イギリスが誇る大英博物館。800万点以上の貴重な収蔵品の中でも人気の高い古代エジプト・コレクション。その多くは「違法」に集められ、無断で持ち出されたものだった―


今回はイギリスが誇る世界最大級の博物館・大英博物館。貴重な収蔵品の中でも人気なのが、ロゼッタストーンやミイラなど10万点を超える古代エジプト・コレクションだ。そのおよそ半分、4万点を収集した考古学者ウォーリス・バッジ。彼の収集方法は「違法」そのものだった。帝国主義の時代、軍事力を後ろ盾に現地の法令を無視してあの手この手で集められ、原産国から違法に持ち出した。人類の文化遺産。はたして誰のものなのか?


【ナビゲーター/ナレーション】吉川晃司

 
 今回のテーマは「考古学者ウォーリス・バッジ」。


●天才収集家誕生

 イギリスの考古学者ウォーリス・バッジ(1857~1934)は、エジプトやメソポタミアから考古学の文化遺産を違法に収集し、大英博物館に持ち帰った人物である。

 バッジは1857年にコーンウォール州で私生児として生まれる。貧しい暮らしの中で古代イスラエルの戦争物語に夢中になり、原語で読みたいと望み、学校はバッジに言語学者チャールズ・シーガーを紹介した。バッジはヘブライ語に加えシリア語も習得していった。

 10代初めに母親が他界し12歳で働き始めるが、シーガーはバッジを大英博物館に紹介し、考古学が学べるようにした。さらにシーガーは知り合いの元首相グラッドストンの力を借りて、バッジは22歳でケンブリッジに入学できた。バッジは奨学金を得て仕事を辞めて勉学に専念、アラビア語、古典エチオピア語、アッカド語も習得した。

 1883年に大英博物館に就職し、エジプト部門に配属された。バッジは古語古代エジプト文字も習得した。


 大英帝国は1882年にイギリスを征服した。1886年、バッジは29歳で古代の文化遺産の買い付けのためエジプトに渡った。英国総領事のイヴリン・ベアリングは、治安維持を優先しており、バッジにエジプトの文化遺産の国外持ち出し禁止を言い渡した。既に1880年エジプト考古学に関する文化遺産の国外持ち出しは禁止されていた。

 バッジは最初は普通に発掘を始めたが、成果が上がらないので、盗掘品の買い付けに方向転換した。語学力で現地の人間と直接交渉し、古代エジプト文字の知識で優れた遺産を見抜き、盗掘品と知りながら次々と購入した。盗賊たちも、エジプト考古局に見つかればとり上げられるか二束三文で買いたたかれるだけなので、喜んでバッヂに売った。

 遺産の国外持ち出しはベアリングに禁じられていたが、バッジはイギリス軍に頼み込み、中身を調べられない軍事貨物の名目でエジプト国内から運び出した。その点数は1500点にも及び、バッジはその成果で有名になった。


●至宝「アニのパピルス」の略奪

 「死者の書」とは、古代エジプトで、死者が死の世界で必要な呪文や祈祷文が書かれた書で、ミイラと共に埋葬される。古代エジプト人の死生観が書かれた貴重な資料である。特に「アニのパピルス」は美しい挿絵が書かれ、死者の書の中でも最上級の物と評価されている。

 1887年、バッジは再びエジプトに向かった。盗掘集団からの手紙で、立派な墓からパピルスの巻物が見つかったので、エジプト考古局が持ち出す前に取りにきてほしいとの要望があったからである。

 バッジは前回の行動で要注意人物としてマークされており、総領事ベアリングから文化遺産の国外持ち出しを止めるように警告された。さらにエジプト考古局長ウジェーヌ・グレボーからは違法行為には逮捕監禁もありうると脅されている。

 しかしバッジはそれらの言葉を完全に無視し、盗賊たちと共に墓に入り、盗掘に参加して「アニのパピルス」を手に入れた。そのあとエジプト考古局の差し向けた警官たちに逮捕されそうになるが、買収やその他の手段を駆使して逃れ、前回同様「アニのパピルス」を軍事貨物としてエジプトから持ち出したのである。



文化遺産の保護か 帝国主義の略奪か

 バッジは盗賊集団とのネットワークを構築し、エジプトのみならずメソポタミア地方でも文化遺産を収集していった。

 当時のイギリスでもバッジの行為を批判する人間は存在し、その一人がエジプト考古学の父と呼ばれたフリンダーズ・ピートリーだった。1887年、ピートリーは考古学とは博物館に展示するものをさがす事ではなく、古代の人々の暮らしを明らかにしていく学問だと非難した。しかし政府は、そのような批判に対して、大英博物館を信頼していると答えただけだった。

 1894年、バッジはエジプト・アッシリア部長に昇進。67歳で退官するまでに、エジプトから4万点、メソポタミアから5万点の文化遺産を収集した。

 バッジは自伝の中で、自身への批判に対して、考古学者がミイラを買わなければ、盗掘者たちはミイラを焼くだけだと主張し、文化遺産大英博物館で保護するのが正しいと言い張った。

 1934年、バッジ死去。享年77歳。



文化遺産は誰のものか

 第二次世界大戦以降、遺物の原産国から返還を求める声があがりはじめた。

 1970年、ユネスコは不法に取引された文化遺産の国外持ち出しを禁止する条約を定めた。返還を求められれば適切に対応しなければならないが、発行以前の取引には適用されない。

 1998年。ギリシャ大英博物館に返還を要求しているパルテノン神殿の彫刻群は、元々ペイントされていたが、大英博物館がそれをはがしていたことが判明し大騒ぎとなった。イギリス人の感覚では彫刻は真っ白が正しいため、文化財を保護するどころか、勝手に改変していたのである。

 2010年、中国やインドなど古代文明発祥の25カ国が文化遺産の返還を連携して求める事を宣言した。

 それに応じて、先進国も、2017年にはフランスのマクロン大統領がベナン共和国に遺物を返還、2021年には米国の聖書博物館がエジプトに遺物を返還した。しかし、大英博物館は、1753年の創設以来、一切の返還要求に応じていない。


感想

 いつもの酷い科学者の話ではなく、なんとなくもやーっとする類の話でした。それにしてもバッジの伝記を書いた作者が、バッジの大ファンらしく「バッジは正しい! 盗品の購入なんて当時みんなやっていた! 現地に置いていたってロクな管理がされないから大英博物館で保管するのが大正義!」と連呼しまくるのに苦笑いましたわ(笑)
 
 
 

※他の回の内容・感想は、以下のリンクからどうぞ

perry-r.hatenablog.com
 
 
フランケンシュタインの誘惑(NHKオンデマンド)
フランケンシュタインの誘惑(NHKオンデマンド)
 
カルト的人気を誇る、NHKフランケンシュタインの誘惑」待望の出版化!
闇に魅入られた科学者たち―人体実験は何を生んだのか

【歴史】感想:歴史番組「ダークサイドミステリーE+」2022年版「“怪しい歴史”禁断の魔力 ~あなたもだまされる!?~」(2022年6月14日(火)放送)

幕末 維新の暗号

ダークサイドミステリーE+ NHK https://www.nhk.jp/p/ts/ZG5NQK3K3P/
放送 NHK Eテレ。毎週火曜夜10時45分~11時15分放送。

www.nhk.jp
【※以下ネタバレ】
 

他の回の内容・感想

perry-r.hatenablog.com
 

驚きと感動の「闇」が、地上波に登場!


BSプレミアムでシーズン4が4月14日(木)スタートする話題の番組「ダークサイドミステリー」。その名作の数々が、コンパクト30分版に見やすくなってEテレに登場!


背筋がゾワゾワ、心がドキドキ、怖いからこそ見たくなる。世界はそんなミステリーに満ちている。世間を揺るがした未解決の事件、常識を越えた自然の脅威、いにしえの不思議な伝説、怪しい歴史の記録、作家の驚異の創造力…。こうした事件・出来事を徹底再検証!


ナビゲーター・栗山千明、語り・中田譲治、テーマ音楽・志方あきこのダークなトライアングルで迫ります。

 

“怪しい歴史”禁断の魔力 ~あなたもだまされる!?~ (2022年6月14日(火)放送)

 

内容

ダークサイドミステリーE+ “怪しい歴史”禁断の魔力 あなたもだまされる!?
[Eテレ] 2022年06月14日 午後10:45 ~ 午後11:15 (30分)


あなたは信じてませんか?幕末夢のオールスター集合写真!?源義経は死なず、大陸に渡りチンギス・ハンに!?教科書に載らない怪しい歴史を徹底検証!ウワサの真相に迫る。


私たちの常識は間違いだった?坂本龍馬西郷隆盛が一緒に写るお宝、夢の幕末オールスター集合写真は、消された歴史・闇の陰謀会議!?源義経は平泉で死なず北へ脱出、大陸に渡りモンゴル皇帝チンギス・ハンになった!?これは実際の証拠をもとに偉い学者も証明している?そんなロマンと魅力あふれる、しかし危険で怪しい闇の歴史を、徹底検証!なぜ人は怪しい歴史にだまされるのか?誰がニセ歴史を創るのか?真実は見えるか?


【出演】栗山千明,【語り】中田譲治

 今回は「2019年6月13日放送回」のダイジェスト版。
 ↓

【ミステリー】感想:歴史ミステリー番組「ダークサイドミステリー」『“怪しい歴史”禁断の魔力 あなたもだまされる!?』(2019年6月13日(木)放送)
https://perry-r.hatenablog.com/entry/2019/08/13/201235

perry-r.hatenablog.com

 
 今回のテーマは「ニセ歴史」


●幕末志士オールスター大集合写真?!
幕末維新おもしろミステリー50

 幕末の志士が勢ぞろいした「オールスター大集合写真」が存在する? 慶応元年(1865年)に撮影されたという集合写真は、中央の外国人を取り囲むような形で44人の武士が写っているが、説明によるとここにいるのは、明治維新頃に活躍した超有名人たち、坂本龍馬高杉晋作西郷隆盛桂小五郎中岡慎太郎伊藤博文大隈重信小松帯刀大久保利通、などの反幕府勢力たちで、さらに驚くことに幕府側の大物・勝海舟までが収まっているという

 明治維新の三年前に、幕府・反幕府の大物が一堂に会していた。つまり明治維新とは幕府側と志士側が裏で手を組んでいた、一種の八百長だったのか!?


 この写真は長崎の写真家・上野彦馬の家のスタジオで撮影されたとされているが、この写真を撮影できるようなスタジオは慶応四年/明治元年でないと存在しない。しかし慶応四年には坂本龍馬高杉晋作中岡慎太郎は既に死んでおり、ここに写っているのはおかしい。

 また明治元年10月に佐賀藩士を撮影した別の写真では、大集合写真の外国人と「中岡慎太郎横井小楠高杉晋作岩倉具視大隈重信」とされる人物が写っている。

 実は「大集合写真」は佐賀藩士の子孫が持っていた写真として、既に別の人たちを写した写真という事が判明している。この写真は、明治元年(1968年)に、日本で英語などを教えていた宣教師グイド・フルベッキが、彼の教え子で佐賀藩の英学校「致遠館(ちえんかん)」生徒の佐賀藩士たちと共に写した写真、通称「フルベッキ写真」と言われるものである。


 では、なぜその写真が「幕末志士オールスター大集合写真」などと言われるようになったのか? 話は昭和40年代に遡る。その頃日本は明治維新の志士たちがドラマなどで大人気となっていた。そして昭和49年(1974年)に肖像画家・島田隆資氏が、雑誌「日本歴史」で、この写真には有名志士が写っているという説を主張したのが始まりである。島田氏は既存の肖像画とこの写真の人物を比較し、最終的に23人の有名志士が写っていると断定した。そしてその中には、写真が一枚も残っていないとされる西郷隆盛も写っていると主張したのである。

 時は流れて昭和55年(1980年)、大隈重信たちの故郷の佐賀県佐賀新聞で、この写真が「幕末志士オールスター大集合写真」として紹介された。さらに五年後の昭和60年(1985年)には、鹿児島出身の政治家・二階堂進がこの写真を当時の中曽根首相に見せるシーンがニュースになっている。東京新聞は、記事でこの写真を取り上げ、この写真は佐賀藩士を写したもの、と確定して、これで一件落着した……はずだった。

 ところが、平成13年(2001年)には、また佐賀でこの写真が「幕末志士オールスター大集合写真」として有田焼に焼き込まれて100万円で発売された。しかもその写真では44人全員の名前が「特定」されていた。この時もすぐに東京新聞が偽物と否定されたものの、以後、何度否定されても、この写真は「幕末志士オールスター大集合写真」として蘇ってきてしまっているのである。



源義経とチンギス・ハンは同一人物だった?!
成吉思汗は義経なり

 源義経は1189年に31歳で死んだ事になっている。しかし「実は義経は生き延びて大陸に渡り、チンギス・ハンと名前を変え、大帝国を建設した」という説を、昔の日本人は大まじめに信じていた。

 大正13年1924年)に、小谷部全一郎(おやべ・ぜんいちろう)という牧師・教育者が「源義経=チンギス・ハン」説を唱えた「成吉思汗ハ源義経也」という本が大ベストセラーとなった。小谷部は、義経とチンギス・ハンを比較し、家紋が似ている、旗印も似ている、なにより馬を使った戦い方が共通する、云々の理由から、両者は同一人物だと主張した。

 もっとも「源義経=チンギス・ハン」と言っているのは日本人だけで、モンゴル側にはそんな話は全く無い。チンギス・ハンは、いつ生まれ、親は誰で、ということがはっきり記録が残っている。源義経が入り込む余地はない。

 しかし、「源義経=チンギス・ハン」説は小谷部がいきなり唱えたのではなく、あのシーボルトもその説を唱えたりしている。そして、この説は300年間の日本人の願いが作り出したものだった。


義経 願望伝説第1段階:義経は生きのび北海道へ!

 東北には「義経は本当は死んでなくて生き延びた」という言い伝えがあちこちに残っている。徳川光圀林羅山たちも「義経蝦夷に落ちのびた」云々という事を書きしるしている。もっとも、民衆の中で「不慮の死を遂げた英雄は実は死んでいなかった」と語られることは世界中に見られる事例である。


義経 願望伝説第2段階:義経の子孫が大陸ですごいことに!?

 1800年頃、蝦夷地調査のため派遣された間宮林蔵は、さらに樺太を経て大陸に渡り、現地人から「義経がこの地に来て、そのあと彼の子孫が中国の皇帝になった」云々という話を聞いたと言う。つまり大陸を支配した皇帝が日本人だという事になる。


義経 願望伝説第3段階:もし義経がチンギス・ハンであれば……!

 明治の外交官・末松謙澄もまた明治12年に「源義経=チンギス・ハン」説を主張した。なぜなら、当時の日本はヨーロッパから東洋の弱小国と馬鹿にされていたが、もしチンギス・ハンが日本人なら、日本人が興したモンゴル帝国がヨーロッパの国々を脅かしたことになり、ヨーロッパの国々を見返すことができるからである。


 やがて日本は日清・日露戦争の勝利のおかげで、大陸に進出していくようになった。そんななか、大正13年1924年)に小谷部「成吉思汗ハ源義経也」が出版される。日本人の義経が大陸で大活躍した、という話は日本人の心をとらえるものだった。もっとも当時の学者たちはこの説を完全否定し、確かな証拠が無いと切り捨てたが、小谷部は「学者は証拠にこだわり過ぎる」と反論し、全く話がかみ合わなかった。

 その後大陸に進出を続けた日本は泥沼の満州事変・日中戦争へと突入していくのである……



●教訓

 もし誰かが「学者が隠す歴史の真実がある」など言っていたら疑ってかかるべきである。「うまい話には大抵裏がある」のだから。


感想

 有名なフェイク写真(写真はフェイクではないけど説明が大嘘)と、義経死んでなかった伝説の二本立て。面白い話は「そんな面白い話が現実にあるのか?」と眉に唾つけて疑いましょう。
 
 

光と闇のナビゲーター 栗山千明
語り 中田譲治
テーマ音楽 志方あきこ

 
 

他の回の内容・感想は以下のリンクからどうぞ

perry-r.hatenablog.com
 
 
義経はジンギスカンになった! その6つの根拠
 
 

【科学】感想:NHK番組「フランケンシュタインの誘惑 科学史 闇の事件簿 2021」『アンチエイジング 欲望の人体実験』(2022年2月24日(木))

Il sogno dell’eterna giovinezza: Vita e misteri di Serge Voronoff (GrandAngolo) (Italian Edition)

フランケンシュタインの誘惑 科学史 闇の事件簿 https://www.nhk.jp/p/ts/11Q1LRN1R3/
放送 NHK BSプレミアム

【※以下ネタバレ】
 
※他の回の内容・感想は以下のリンクからどうぞ
perry-r.hatenablog.com
 

科学は、人間に夢を見せる一方で、ときに残酷な結果をつきつける。
理想の人間を作ろうとした青年フランケンシュタインが、怪物を生み出してしまったように―
輝かしい科学の歴史の陰には、残酷な実験や非人道的な研究、不正が数多くあった。
そんな闇に埋もれた事件に光を当て、「科学」「歴史」「倫理」に迫るシリーズ。


ナビゲーター/ナレーション 吉川晃司 (ミュージシャン)

 

アンチエイジング 欲望の人体実験 (2022年2月24日(木)放送)

 

内容

フランケンシュタインの誘惑「アンチエイジング 欲望の人体実験」
[BS4K] 2022年02月24日 午後9:00 ~ 午後9:45 (45分)


人類の夢「永遠の若さ」。1920年代、この夢を実現したというフランスの外科医が現れた。彼が開発した若返り手術は世界中でブームを巻き起こし数千人が手術を受けたが…


永遠の若さ、アンチエイジング。人類はこの夢を追い求めてきた。クレオパトラは金や真珠の粉末を風呂に入れ楊貴妃はヒトの胎盤を生薬として摂取し小野小町はコイの生き血をすすったという。1920年代、「若返り」手術で世界の注目を集めたフランスの外科医がいた。精力増進、記憶力回復、老化による病の防止などをうたってブームを巻き起こし、数万人がボロノフ式手術を受けた。だが追試がことごとく失敗、完全に否定される―


【ナビゲーター/ナレーション】吉川晃司

 
 今回のテーマは「若返り手術」。


●「若返り術」誕生

 セルジュ・ボロノフ(1866~1951)はロシア生まれの外科医。1866年ロシアに生まれ、1888年フランス・パリ大学医学部に入学すると、現代でも使用される手術器具「ペアン鉗子」を作った有名外科医ぺアンの助手として腕を磨いた。

 1893年、クリニックを開業し、当時非合法だった中絶手術を行って年間8万フラン(2億円)を稼いだ。1895年にフランス国籍取得。1896年に師匠ぺアンの推薦で、エジプト国王アッバース2世の宮廷医となり、1910年まで勤めてから帰国。

 1914年に第一次世界大戦がはじまると軍医として勤務し、1917年からはフランス最高権威のコレージュ・ド・フランス生物化学研究所に勤務するようになり、この頃から若返りの研究に取り組んだ。

 ボロノフは、エジプトにいたころ、去勢された宦官は老けて見えることに気が付いており、精巣には若さを保つ秘密があるのではと考えた。そして羊を実験台に、若い羊の精巣を取り出してスライスし、老いた羊の精巣に貼り付けてみた。すると老いた羊が元気になり、細胞研究の権威ルテレールに調べてもらうと、貼り付けた精巣が一体化しているとのことだった。

 1919年、ボロノフは失敗事例は隠して、羊の若返りに成功したとマスコミに宣伝してから学会で論文を発表した。科学者たちはその発表には懐疑的だったが、マスコミ(ニューヨークタイムズ他)はこの話題を大々的に報道し、ボロノフは「魔術師」などと持ち上げられた。



●「若返り手術」狂騒曲

 1920年からはボロノフは「人間の精巣にチンパンジーの精巣をスライスして貼り付ける」という手術を開始。最初の対象者二人はいずれも感染症で死亡したが、ボロノフはそれを公表しなかった。

 やがてボロノフは大金持ちの家の女性と結婚。また若返り手術を無料で開始して4人に施術し、その後。二年間で12人に手術を行った。ボロノフは自分の手術で人は20~30歳若返ると主張した。ただしボロノフは手術後の検査などはしておらず、本当に若返ったのかどうかという証拠は全く無かった。

 フランス外科学会は反発したものの、1923年ボロノフはルテレールと共同で論文を執筆し、学会をそれを受理した。学会は公式に「若返り」を認めたことになった。

 1923年にはボロノフは若返り手術を1000人以上に行い、費用は15000フラン(860万円)。手術を受けた中には、噂では、画家ピカソ、作家メーテルリンク、元首相クレマンソー、革命家アタュチュルク、たちがいると言われた。またボロノフは手術法を無料で公開し、弟子たちが15カ国で手術を行った。

 ボロノフは世界一有名な医者になり、社交界の人気者となった。1926年、60歳の時にはレジオンドヌール勲章を授与された。まさに人生の絶頂だった。



●地に落ちた「若返り手術」

 同じ頃、ボロノフはフランス政府の要請で、植民地のアルジェリアでボロノフの技術を利用し、生産性の高い羊「スーパーシープ」を作り出す計画を任された。

 生後3~4ヵ月の子羊に発情期の羊の精巣を貼り付け、一年後手術した羊の子供に同じ手術を行い、と繰り返して行くというものだった。ボロノフは、第三世代で、手術しない羊が体重30Kg、手術した羊が体重38.5Kg、と明らかに違いがあると報告した。

 ところが、1927年 六か国の調査団がアルジェリアを訪問した際、その内の一人イギリスのフランシス・クルーはボロノフの実験に疑問を抱く。本来なら一番初めに手術する/しないの対象の羊はランダムに選ぶべきだがそうなっていなかった。もし最初から体格のいい羊だけを選び抜いてその羊に手術をすれば、その子供が体格がいいのはある意味当然である。

 そしてクルーは追試を行い、全く成果が出ないことを確認、政府に報告した。また同様の実験を行った南アフリカとオーストラリアも成果が出ないため、それぞれ1930年と31年に実験を中止した。こうしてボロノフの信用は失墜した。


 結局のところ「若返り」の成功例は、思い込み、プラセボ効果だったと思われる。手術を受ける人間は、その二週間前から、禁酒・禁煙、健康的な食事、ストレスのない生活を送るようになっていた。そしてカリスマ医者のボロノフが若返りの効果を謳ってくれたので、手術を受けた後は、いかにも自分が若返ったと思ったのだと推測される。

 1930年代には、ボロノフの信用は失墜し、弟子たちは手術を辞めていった。1948年のフランスのニュース映画にボロノフが映っているが、その中ではボロノフはもはやからかいの対象として扱われていた。

 1951年、ボロノフは85歳で死去。ほとんどのマスコミは記事にせず、ニューヨークタイムズは一応記事にしたものの、インチキ医者扱いで、しかも名前の綴りが間違っていた。



アンチエイジング 夢は終わらない

 現在でも若返りを求める研究は続けられている。染色体の末端にありDNAを保護するテロメアが鍵で、テロメアが無くなると老化が起きることが解った。そしてテロメアを保護する長寿遺伝子・サーチュイン遺伝子が見つかったのである。

 老いたマウスにサーチュイン遺伝子を活性化する薬を与えると、マウスが元気になることが解った。科学者の中には、近い将来には、人は120~130歳まで元気で生きられるようになる、と語る人もいる。


感想

 この番組にピッタリの題材来ました。いやー、「失敗は隠ぺいして成功例だけ報告」とか、もう怪しい研究の典型。しかも「成功例」(と信じた)に対しても、きちんと検証しておらず「元気になった、やったやった」で済ませただけ、ってもうまともな研究じゃないですよコレ。

 そしてこんなオカルトめいた話に、マスコミが飛びついたのはともかく、フランス学会が論文にお墨付きを出したのは……、関係者は後から言い訳に必死になったのでは……

 と、まあ、面白い回でありました。
 
 
 

※他の回の内容・感想は、以下のリンクからどうぞ

perry-r.hatenablog.com
 
 
フランケンシュタインの誘惑(NHKオンデマンド)
フランケンシュタインの誘惑(NHKオンデマンド)
 
カルト的人気を誇る、NHKフランケンシュタインの誘惑」待望の出版化!
闇に魅入られた科学者たち―人体実験は何を生んだのか
 
 

【科学】感想:NHK番組「フランケンシュタインの誘惑 科学史 闇の事件簿 2021」『DDT 奇跡の薬か? 死の薬か?』(2022年1月27日(木))

沈黙の春 (新潮文庫)

フランケンシュタインの誘惑 科学史 闇の事件簿 https://www.nhk.jp/p/ts/11Q1LRN1R3/
放送 NHK BSプレミアム

【※以下ネタバレ】
 
※他の回の内容・感想は以下のリンクからどうぞ
perry-r.hatenablog.com
 

科学は、人間に夢を見せる一方で、ときに残酷な結果をつきつける。
理想の人間を作ろうとした青年フランケンシュタインが、怪物を生み出してしまったように―
輝かしい科学の歴史の陰には、残酷な実験や非人道的な研究、不正が数多くあった。
そんな闇に埋もれた事件に光を当て、「科学」「歴史」「倫理」に迫るシリーズ。


ナビゲーター/ナレーション 吉川晃司 (ミュージシャン)

 

DDT 奇跡の薬か? 死の薬か? (2022年1月27日(木)放送)

 

内容

フランケンシュタインの誘惑「DDT 奇跡の薬か? 死の薬か?」
[BS4K] 2022年01月27日 午後9:00 ~ 午後9:45 (45分)


DDT。戦後日本でシラミ駆除のために子供たちの頭に大量に散布している映像でお馴染みの殺虫剤だ。理想の殺虫剤・農薬として、世界中で「奇跡の薬」ともてはやされたが…


「疑惑の化学物質」DDT。戦後日本でシラミ駆除のために子供たちの頭に大量に散布している映像でお馴染みの殺虫剤だ。「安価」「即効性」「人体に無害」な理想の殺虫剤、さらに農薬として大量に使われ、「奇跡の薬」と世界中でもてはやされた。しかし1962年、海洋生物学者レイチェル・カーソンが「沈黙の春」でDDTを始めとする化学物質の危険性を指摘する。今なお続くDDT論争。「奇跡の薬」か、それとも「死の薬」か?


【語り】吉川晃司

 
 今回のテーマは「DDT」。


●奇跡の薬 誕生

 殺虫剤DDT(Dichloro Diphenyl Trichloroethane/ジクロロ・ジフェニル・トリクロロエタン)は、1939年にスイス・ガイギー社の科学者パウル・ヘルマン・ミュラー(1899年~1965年)によって開発された。

 当時ガイギ―社は新しい殺虫剤の開発を進めていた。天然の除虫菊やニコチンの価格がおりからの大恐慌で高騰していたため、安価な化学物質による殺虫剤の開発が求められたのである。

 ミュラーは開発すべき殺虫剤に以下の条件を課した。
1.害虫に対し猛毒性
2.哺乳類には無毒または微毒
3.即効性がある
4.匂いが無い
5.効果が長く持続する
6.安価で作れる
7.できる限り多くの害虫に効く

 ミュラーの同僚たちは、昆虫の口から入る「経口型」の薬の開発を目指していたが、ミュラーは全ての虫が食べる食べ物があるわけではないので、触れるだけで効く「接触型」を目指した。そして地道に化学物質の組成を変えることを繰り返し、1939年、350番目の薬が昆虫に劇的な効果を発揮することを発見した。DDTの誕生である。ちなみにこの薬は80年前に既に発見されていたが、その後無視されていた。

 DDTの完成したその当日、第二次世界大戦が勃発した。ガイギー社はこれを参戦国に売り込むことを考えた。当時戦死する兵士より、シラミが媒介する発疹チフスで死ぬ兵士の方が多かったためである。1941年、ガイギー社はアメリカ・イギリス・ドイツの参戦国に、よく効く殺虫剤としてDDTを売り込み、アメリカが大いに興味を示した。アメリカは除虫菊を日本から輸入していたが、戦争で輸入量が激減していたからである。

 調べてみると、DDTは殺虫力は除虫菊の四倍、5パーセントに希釈すれば人体に無害、と判明、大々的に使用を開始し絶大な効果を上げた。

 戦争が終わると、アメリカは民間にDDTを解放し、絶大な効果を持つ奇跡の薬ともてはやされた。1948年にはミュラーノーベル医学生理学賞を受賞した。医者ではない人物がこの賞を受賞するのは初めてのことだった。



●奇跡の薬 失墜

 ところが1950年代になって、野生動物の不審な死に方をしているのがよく見られるようになり、DDTの影響では無いかと疑われ始めた。同じころ、WHOは1955年に発展途上国でのマラリア撲滅キャンペーンでDDTの使用を行い、大きな効果を上げていた。

 当時、レイチェル・カーソンは政府機関の職員として働く傍ら作家としても活動していた。1958年、カーソンは、DDTを散布したあと鳥が異常な死に方をしたという手紙を受け取り、DDTについて調べ始め、DDTの危険性を示唆する論文を次々と見つけたが、政府職員として政策を批判することは出来なかった。

 1962年、専業作家になっていたカーソンは、化学物質の生体濃縮の危険性を訴える「沈黙の春」を発表し、この本は大反響を呼んだ。



●奇跡の薬 vs 死の薬

 当時の大統領ケネディは「沈黙の春」の内容を知り、DDTの危険性についての調査を命じた。産業界はお抱え科学者を使って猛反論し、さらにカーソンへの個人的中傷にも走った。しかしカーソンも負けてはおらず、それに反論した。

 1964年にはカーソンが亡くなり、翌1965年にはミュラーも世を去った。



●論争決着 科学と政治

 やがて世の中に「環境保護」という概念が生まれ、環境保護運動が活発になった。

 1970年、ニクソン大統領は環境保護庁を設立し、ニクソンは初代長官にウィリアム・ラッケルスハウスを任命した。ニクソンは別に環境保護に興味はなかったが、国民の大多数がそれを支持していることを知っていたからだった。

 ラッケルスハウスはまず1970年に自動車の排ガス規制に乗り出し、5年以内に有害物質の90パーセントを除去するようにさせた。その結果、公害に対応した自動車が次々と開発された。

 続いてラッケルスハウスは1971年から72年にかけて、DDT使用についての公聴会を行わせた。その結果はDDTには発がん性は無く、使用回数と量を守れば問題ないとの結論だったが、ラッケルスハウスはDDTアメリカ国内での使用を禁止した。それは科学的な見地に基づく判断ではなく、ニクソンが世論を意識してラッケルスハウスに命じたとされる。


 しかし、アメリカでDDTが使用禁止になったことで、環境保護団体の圧力により、WHOの発展途上国でのマラリア撲滅キャンペーンでのDDT使用の資金が途絶え、1969年にキャンペーンは中止された。その結果マラリアで死ぬ子どもが激増し、2006年、WHOは環境に影響を及ぼさない屋内噴霧に限りDDTの使用を再開した。DDTの人体への有害性は未だに研究の途中である。


 かつて

フロン … 冷蔵庫やエアコンの触媒として使用されたが、オゾン層を破壊することが解り、1987年に全廃が決定。

サリドマイド … 1960年代に薬害を引き起こしたが、その後、骨髄ガンやハンセン病の治療薬として再評価


のように評価が激変した物質があった。人類は新しい物質を生み出したとき、予想外の影響が見つかった時、考えるのを止めてはならない。


感想

 太平洋戦争終戦直後の映像でお馴染みのDDTのお話。人体に危険かどうかは未だに良く解っていないとか、使えなくなったことで発展途上国で却って死者が増えた、とか、知らなかった事が多い回でした。
 
 
 

※他の回の内容・感想は、以下のリンクからどうぞ

perry-r.hatenablog.com
 
 
フランケンシュタインの誘惑(NHKオンデマンド)
フランケンシュタインの誘惑(NHKオンデマンド)
 
カルト的人気を誇る、NHKフランケンシュタインの誘惑」待望の出版化!
闇に魅入られた科学者たち―人体実験は何を生んだのか
 
 

科学番組「フランケンシュタインの誘惑 科学史 闇の事件簿」トップページ

科学を学ぶ者の倫理―東京水産大学公開シンポジウム

フランケンシュタインの誘惑 科学史 闇の事件簿 NHK https://www.nhk.jp/p/ts/11Q1LRN1R3/

www.nhk.jp
【以下ネタバレ】
 
 

目次

1. 概要
2. キャスト
3. 放送内容
4. 関連リンク
 
 

1. 概要

科学は、人間に夢を見せる一方で、ときに残酷な結果をつきつける。
理想の人間を作ろうとしたフランケンシュタインが、怪物を生み出してしまったように…。
科学史に埋もれた“闇の事件”にスポットを当て科学の真の姿に迫る知的エンターテイント。

 科学史における「闇」をテーマにした番組。
 
 

2. キャスト・スタッフ

ナビゲーター/ナレーション 吉川晃司 (ミュージシャン)

 
 

3. 放送内容

「シーズン」をクリックすると、内容紹介・感想のページに進みます。

3.1「フランケンシュタインの誘惑 科学史 闇の事件簿」(放送:NHK BSプレミアム)

No.シーズン放送期間話数
01 2015~2018年2015年3月5日~2018年10月27日全28回
02 2020年度2020年10月5日~2021年6月29日全6回
03 2021年度2021年10月28日~2022年3月25日全5回
 

3.2「サイエンススペシャル フランケンシュタインの誘惑 E+」(放送:NHK Eテレ)

No.シーズン放送期間話数
01 2019年度2019年4月4日~9月26日全20回
 
 
闇に魅入られた科学者たち―人体実験は何を生んだのか
科学の健全な発展のために 誠実な科学者の心得
 
 
 

科学番組「フランケンシュタインの誘惑 科学史 闇の事件簿」(2021年度)内容・感想まとめ

科学を学ぶ者の倫理―東京水産大学公開シンポジウム

フランケンシュタインの誘惑 科学史 闇の事件簿 NHK https://www.nhk.jp/p/ts/11Q1LRN1R3/
放送:NHK BSプレミアム

www.nhk.jp
【以下ネタバレ】
 
 

目次

1. 概要
2. キャスト
3. 各回の内容・感想
 
 

1. 概要

科学は、人間に夢を見せる一方で、ときに残酷な結果をつきつける。
理想の人間を作ろうとした青年フランケンシュタインが、怪物を生み出してしまったように―
輝かしい科学の歴史の陰には、残酷な実験や非人道的な研究、不正が数多くあった。
そんな闇に埋もれた事件に光を当て、「科学」「歴史」「倫理」に迫るシリーズ。

 
 

2. キャスト・スタッフ

ナビゲーター/ナレーション 吉川晃司 (ミュージシャン)

 
 

3. 各話のあらすじ・感想

「タイトル」をクリックすると、内容紹介・感想のページに進みます。
 

No.タイトルテーマ放送日
01 ナチス 人間焼却炉火葬技術者クルト・プリューファー2021/10/28(木)
02 大英博物館 世界最大の泥棒コレクション考古学者ウォーリス・バッジ2021/11/25(木)
03 DDT 奇跡の薬か? 死の薬か?DDT2022/01/27(木)
04 アンチエイジング 欲望の人体実験医師セルジュ・ボロノフ2022/02/24(木)
05 精神改造 恐怖の洗脳計画精神科医ユーウェン・キャメロン、MKウルトラ2022/03/24(木)
 
 

索引ページへは以下のリンクをどうぞ

perry-r.hatenablog.com

 
闇に魅入られた科学者たち―人体実験は何を生んだのか
科学の健全な発展のために 誠実な科学者の心得