感想:アニメ「翠星のガルガンティア」第12話「決断のとき」


 アニメ「翠星(すいせい)のガルガンティア」(全13話)の感想です。
(※以下、今回の話の結末まで書いてありますのでご注意ください)

■「翠星のガルガンティア」アニメ公式サイト
http://gargantia.jp/

 BSデジタル放送BS11での視聴です。

第12話 決断のとき


■あらすじ

 レドはクーゲルからガルガンティア攻撃を命じられるが、エイミーたちを攻撃することを思うと、とても承服できない。やがてレドやピニオンはクーゲル船団の人間が不要になった住人を生きたまま海に捨てているシーンを目撃し、この船団の狂気の運営方針に怒りを感じる。やがてクーゲル船団はガルガンティア攻撃の準備を始めるが、レドはメルティに伝言を託してガルガンティアに送り出したあと、自分はチェインバーでストライカーを攻撃する。レドは苦戦の末ストライカーの動きを止めコクピットをこじ開けるが、クーゲルは遥か以前に死んでおり、レドが今まで話していた「クーゲル」は実はストライカーだった。一方ガルガンティアでは、レドからの伝言を聞き、逃げるのでは無く「天のはしご」を使う準備を始める。


■感想

 しょっぱなの、クーゲルが「もう銀河同盟に帰れないから、この星を啓蒙して秩序をもたらすのだ」というセリフが意味不明すぎて、もうついていけませんでした。帰れないのに啓蒙して何をどーしようと?

 と、ぶつぶつ言いながら見ていたら、ラストで「実はクーゲルは死んでましたー」という衝撃(?)の事実が発覚。まあ、「ずっと姿を見せない」という時点で大半の人が「もう生きてないだろう」と解っていたと想像しますが、だとしても、最初と同じ疑問に舞い戻ります。「ロボットが、もう銀河同盟に帰れないのに、この星に秩序をもたらして支配してどうするのか」と。まさか「融通の利かないプログラムが、同盟と連絡がつく・付かないに関係なくとにかく全体主義国家を作ろうとしていた」とか言い出すんじゃなかろうなぁ。そんな1960年代みたいなセリフは聞きたくないぞ。


 あと、野郎のピニオンよりまだ出番の無い正ヒロイン・エイミーとかリジットとかベローズとかサーヤとかを見ていると悲しみがこみ上げてきます。エロ絵師・鳴子ハナハル氏にキャラデザを頼んだのにもったいなさ過ぎる。


 そしてラス前に取ってつけたように現われた「天のはしご」云々。未来少年コナンのギガント的な前文明の遺産がバーンと出て来るんでしょうなぁ。


 さーて、最初このアニメの核となる設定だと思っていた「ヒディアーズ」はどこに消えてしまったのですかねぇ。終盤地球を襲う脅威でもなかったし、実は元人間だったという設定も結局お話に何の意味ももたらしていないし。もうあんな凝った設定必要なかったじゃん。

 さらに狂ったクーゲルとのバトルがメインかと思ったら、結局「人類を支配しようとする人工頭脳との戦い」とかいう古臭いところに着地しそうだし。何も解らないうちは「虚淵アニメだから凄いことをやってくれるだろう!」と思っていたのに、先に進めば進むほど、「あれ、こんなはずじゃなかったのに」という感が強くなっていく…、どーしてくれよう…、勝手に期待したほうが悪かったのか?


 ラストはレドがストライカーを破壊してクーゲル船団を解放して、天のはしご+船団が引き上げた技術設備で人類再興の明るい道が示されてハッピーエンド、となるのでしょうなぁ。ふう。


 次回最終回。