感想:「昭和偉人伝」『梶原一騎』(2014年10月22日(水)放送)


 「昭和偉人伝」の感想です。
(※以下、今回の話の結末まで書いてありますのでご注意ください)

BS朝日 - 昭和偉人伝
http://www.bs-asahi.co.jp/ijinden/index.html
>昭和の偉人の波瀾万丈の生き方が自身の人生と重なる、繋がる、甦る!

>『昭和』国家壊滅の状態から未曾有の成長を遂げた類まれな時代。そこには、時代を牽引したリーダーがいました。輝くリーダーですが順風満帆ではありません。 独自取材と貴重な映像、いまだからこそ言葉にできる真実のインタビューを交えて綴る波瀾万丈の偉人伝です。『昭和』という時代がいまなお輝いて見えるのか、私たちの心に深く刺さるのか、偉人の後ろ姿から私たち自身を振り返ります。

 BS朝日での視聴です(放送:毎週水曜 21:00〜21:54)。



■概要

http://www.bs-asahi.co.jp/ijinden/prg_026.html
梶原一騎

>「巨人の星」、「あしたのジョー」、「タイガーマスク」。「柔道一直線」など…昭和40年代、日本に巻き起こった「スポコン」ブーム。その立役者である劇画原作者・梶原一騎

>今回、多くの梶原のヒット作の中から「巨人の星」と「あしたのジョー」を中心に作品の製作秘話を探るべく、川崎のぼる氏、ちばてつや氏といった作画を担当した漫画家へインタビュー。あの作品タイトルはどうやって決まったのか?星飛雄馬の投げる「消える魔球」のからくりはどうやって考えられたのか?「あしたのジョー」のラスト、ジョーはなぜ真っ白になったのか?関係者だから知る貴重な話を聞いた。

>そして、梶原一騎を一番近くで見つめてきた、妻・篤子さんも登場。お宝満載の自宅を訪問し妻だからこそ知る「人間・梶原一騎」について話を聞いた。梶原一騎はどうやって、星飛雄馬、矢吹ジョー伊達直人、番場蛮、大賀誠、といった魅力的なキャラクターを次々と生み出すことが出来たのか?

>後年は不摂生がたたり体調を崩してしまった梶原。しかし、病床にあっても絶対に原稿を書くことを止めなかったと云う。その壮絶な戦いの様子を篤子夫人から、そして最後の連載「男の星座」で作画を担当した原田久仁信氏から話を聞いた。

>懐かしいあの作品、そして様々な証言を通じて、梶原一騎の魅力と彼の原点に迫ります。


■内容

 中学時代ワルだった。その後雑誌の懸賞小説に投稿していきなり入選。しかしその後スポーツ新聞の記者として食いつなぐ。


 昭和37年、プロレス物「チャンビオン太(ふとし)」で原作者デビュー。


 昭和41年「巨人の星」スタート。テーマは「人と事件」。人は英語で「ヒューマン」。ここから主人公の名前が飛雄馬(ひゅうま)になった。これが大ヒット。漫画の川崎のぼる談「原作はシナリオ形式では無く小説風。しかしそれでイメージがわいた」。飛雄馬の目の中の炎は川崎のアイデア。梶原は「まさか、目の中に炎を書くなんて思わなかった」とか言っていた模様。ちなみに梶原は「消える魔球」の原理は自分では考えていなかったらしい。


 昭和42年「あしたのジョー」スタート。別誌で「巨人の星」を連載してたのでライバル誌に梶原名義で連載できないので、「高森朝雄」名義。作画のちばてつやは、当時オリジナルのボクシング漫画を描くつもりでいたため、最初断ったという。しかし一度会ってみたら、と言われて顔を合わせたら、そのままなし崩しに担当することに。1話目で原作に無いシーンを独自解釈で描いたところ、梶原がブチ切れて大騒ぎになった。ジョーのライバル力石は、最初少年院時代限定のライバルだったが、ちばの作画を梶原が気に入り、プロでも戦うことに。しかし体格が違いすぎてプロで戦うのは現実として無理。しかしそこから、有名な「力石の過酷な減量」のエピソードが誕生した。有名なラストシーンは、ちばが原作案(ジョーが白木家で日向ぼっこしている)を気に入らず、独自案でやりたいと了解を得た。しかし良いラストが浮かばず、悩んだ末に、白木葉子とのデート回でジョーが「灰になる」云々と口にしていたことから、あの真っ白ラストが生まれた。梶原も大いに気に入っていたという。


 その後「愛と誠」「空手バカ一代」「タイガーマスク」などヒットを連発する。現実のプロレスでタイガーマスクが登場した時に大喜びした。


 しかしその後暴力事件で逮捕。以後落ち目になり、さらに大病を患う。昭和60年に最後の作品と銘打った「男の星座」をスタートし、病床で書き続けたが、昭和62年病死。



■感想

 戦後漫画史というものを作るとしたら、絶対はずせない人物の一人でしょう。ヒューマン→飛雄馬とか、ジョーのあのラストはちばてつやが作ったとか、面白い話が一杯でした。