雑談:「ゲームはプレイしてから語れ、はおかしい」云々の話の続きを考えてみた

●「ゲームはプレイしてから語るもの」と考えてる前時代的なユーザー達 - バカボット
http://bakabot.hateblo.jp/entry/2015/04/30/041737
>2015年にもなって、「ゲームはやってから語ろう」などと平気で主張するユーザーがいるのを見て、愕然とする。

>最も、予想は付いていた反応なのだが、保守的な考えを持つ「ゲーム右翼」の多さが改めて分かった。

>もしも、一般論として「ゲームはプレイしてから語るもの」と言っているなら、阿呆である。

>ゲームは観戦するものだ。
>ゲームは「する」から、「みる」に変わりつつある。
>こんなことは言うまでもない基本だが、前時代的なゲーマーは、未だに「ゲームは自分でやるもの」という認識を拭えていない。

>ゲームはやるものではない。
>ゲームは見るものである。


 前回の書き込み後、良く寝てから時間を取ってじっくり読み直してみて、感想の改訂版を書いてみました。



 バカボット筆者氏は、『現代は(プレイ経験の無い格闘ゲームの動画を見て感想を語るのは当たり前、だからゲームを語るのにゲームのプレイは不要』と主張している。まあ格闘ゲームを『対戦』を語るのにゲームプレイは不要でしょう。私でもゲーム未プレイのまま対戦動画を見て「今の対戦のあの動きは凄かった」とか「緊迫した対戦だった」とか「対戦」について語れるでしょうね。


 でも大元の書き込み(http://arrow1953.hatenablog.com/entry/2015/04/22/003008)は『ゲームそのもの』について語ろうとしているわけですよ。だとすれば語る対象を体験する、つまりプレイしているのは当然ではないでしょうか。それなのに、動画と検索結果だけを元にゲームについて何かしらを語ろうとしたら「プレイしてから感想を書け」といわれるのも当然ではないかと。


 格闘ゲームの対戦動画の例で言うなら、「動画を視聴せずに対戦について何かしらを語ろうとした」ということに該当するでしょう。感想を語るべき対象に直接触れていないのに、内容についてコメントしようとすれば、そりゃ批判されるのは当たり前ではないでしょうか。


 ゲームを語るといいながらそのゲームの体験が無いなら、「まず体験してから」と主張するのは当たり前のことでしょう。それについて右翼とか前時代とか保守とかアホとか言われる筋合いは無いと思いますね。



■まとめ

・「格闘ゲームの動画」の感想を語る場合=動画の視聴が必要(※ゲームのプレイ体験は必須ではない)

・「ゲーム」の感想を語る場合=ゲームのプレイが必要


 格闘ゲームの「プレイ動画」の感想を語る場合はゲームは知らなくても良いが、ゲームの感想を語る場合はゲームのプレイ経験は必要。


 いかがでしょうか。