【歴史】コミック『薔薇王の葬列』好きに捧げる3分で解る「薔薇戦争」

薔薇王の葬列(8)(プリンセス・コミックス)


 月刊プリンセスで連載中の「薔薇王の葬列」(菅野文)は、シェイクスピアの「リチャード三世」を原案とした作品で、「王家の紋章」にも通じるところを感じる、いかにもプリンセスらしい大河ドラマ的作品で実に読み応えがある。

 また、基本的に歴史物だが、主人公リチャードが両性具有でそれがコンプレックスであるとか、あるいは敵側のヘンリー6世と、互いの正体を知らずに惹かれあう、という設定が実に上手い。基本的に女性向け作品だが、戦争を扱った群像劇として読めば男性の視点でも面白い。

 ただし、この作品には一つ問題がある……、主人公たちが戦っている状況がほぼ全く理解できない事である。背景は15世紀にイングランドで行なわれた「薔薇戦争」だが、登場人物が多い上に、「リチャード」「エドワード」「ヘンリー」たちの相互の関係が良く解らず、世界史の知識が無いと何かモヤモヤしながら読むことになる。

 ということで、ここに背景となる薔薇戦争の経緯をまとめてみた。何故ヨークとランカスターが戦っているのか、それぞれのキャラクターがどういう運命を辿るのか、その他を理解する助けとなれば幸いである。


概要

 「薔薇戦争」とは、イングランドで1455年から1485年まで約30年間行なわれた内戦。国内の貴族が「ランカスター派」と「ヨーク派」の二大勢力に別れ、壮絶な潰しあいを演じた挙句、最終的に両派とも共倒れ的に壊滅した。薔薇戦争とは後世の命名で、ランカスター家の家紋が「紅薔薇」、ヨーク家の家紋が「白薔薇」、だった事に由来する。


戦争の流れ

(1)戦いの始まり編(1455〜1456年)

 薔薇戦争開始直前のイングランドの王は『ランカスター家』の『ヘンリー6世』だったが、この王は心身ともに脆弱で、実際の政治は王妃の『マーガレット』が行なっていた。有力貴族の『ヨーク公リチャード』の一党は、ランカスター家の王位継承に異議を唱えて、ランカスター派と対立していた。

 1455年10月。両派はついにセント=オールバンズで激突した。この『セント=オールバンズの戦い』ではヨーク派が勝利し、以後ヨーク派が宮廷の主流派となった。しかしヘンリー6世の健康が回復してくると、ランカスター派は勢力を取り戻し、ヨーク公や、ヨーク派の大物『ウォリック伯リチャード・ネヴィル』たちは閑職に追いやられた。



(2)ヨーク朝成立編(1460〜1465年)

 その後、数年間は両派の小競り合いが続いたが、1460年7月、ウォリック伯が再度挙兵してロンドンを制圧し、ヘンリー6世を捕虜とし、王妃マーガレットと『王太子エドワード』は逃亡した。当然ヨーク公は王になることを望んだが、自派からもいま一つ支持が得られず、即位は果たせなかった。さらに、ヨーク公は同年12月の『ウェークフィールドの戦い』で、マーガレットたちの軍と戦って敗北・戦死してしまった。

 しかし、ヨーク派はすぐさまヨーク公の息子『エドワード』を新しいリーダーとし、ウォリック伯がサポートした。エドワードはロンドンで新王『エドワード4世』として即位した。1461年3月、薔薇戦争最大の戦闘『タウトンの戦い』が発生し、ヨーク派が勝利した。

 その後、逃亡したマーガレットはフランスに亡命宮廷を作り、イングランド各地ではランカスター派の残党の蜂起が続いたものの、全て制圧された。行方不明だったヘンリー6世も1465年に捕まり、ロンドン塔に幽閉された。



(3)ウォリック伯の反乱編(1465〜1471年)

 その後のエドワード4世の治世で、エドワード4世とウォリック伯の関係は急速に冷却化した。強大な勢力を持つウォリック伯は王をないがしろにして政治を行い、またエドワード4世はウォリック伯に無断でとても王族とは結婚できないような女性と結婚を行なった。両者の関係は修復不可能なレベルにまで悪化した。

 1470年、ウォリック伯はついに反乱を試みるが失敗し、フランスに亡命した。そして仇敵のマーガレットと組んでイングランドに舞い戻り、エドワード4世をロンドンから叩きだすと、幽閉されていたヘンリー6世を王に復位させた。

 1471年、今度はエドワード4世が舞い戻り、『バーネットの戦い』でランカスター派を破った。ウォリック伯は戦死し、エドワード王太子は処刑、マーガレットは幽閉、ヘンリー6世は死亡、と、事実上ランカスター派は壊滅した。



(4)リチャードの裏切り編(1483〜1485年)

 その後、十数年は平和な時代が続いたが、1483年、エドワード4世が41歳で急死した。12歳の息子が『エドワード5世』として即位したが、すぐさま叔父の『グロースター公リチャード』が王位を奪い、『リチャード3世』として即位した。しかしリチャード3世は、即位の経緯もさることながら恐ろしい暴君で、全く人気が無かった。

 1485年、ランカスター派の『リッチモンド伯ヘンリー・チューダー』とリチャード3世が『ボスワースの戦い』で激突し、ヘンリー・チューダーが勝利、リチャード3世は戦死した。

 ヘンリー・チューダーは『ヘンリー7世』として即位した後、ランカスター派とヨーク派の融和を目指して、エドワード4世の娘『エリザベス・ヨーク』と結婚した。ここに薔薇戦争終結した。



薔薇王の葬列(5)(プリンセス・コミックス)