感想:NHK番組「フランケンシュタインの誘惑 科学史 闇の事件簿」第5回『切り裂きハンター 死のコレクション』

John Hunter: Man of Science and Surgeon 1728-1793

フランケンシュタインの誘惑 科学史 闇の事件簿 http://www4.nhk.or.jp/P3442/
放送 NHK BSプレミアム(毎月最終木曜日 21:00〜22:00 放送)。

【※以下ネタバレ】


※他の回の内容・感想はこちら→ 「フランケンシュタインの誘惑 科学史 闇の事件簿」内容・感想まとめ

第5回 『Case05 切り裂きハンター 死のコレクション』 (2016年8月25日(木)放送)

内容

フランケンシュタインの誘惑「切り裂きハンター 死のコレクション」


何事も自分の目で確かめ試さなければ気が済まなかったジョン/ハンター。メスで近代医学の扉を切り開いた


人類に功も罪ももたらす「科学」。その知られざる姿に迫る知的エンターテインメント。今回は18世紀の外科医ジョン・ハンター。その正体は墓を暴いては遺体を切り刻み実験を繰り返した解剖マニアだ。何事も自分の目で見、試さなければ気が済まなかったこの男は、動脈バイパス手術を発明し臓器移植を考案、さらにまな弟子ジェンナーが種痘の研究に踏み出す背中を押した。近代医学の偉大な先駆者の、常軌を逸した探究心の闇に迫る…


ドリトル先生のモデル

 18世紀のイギリスの外科医ジョン・ハンター(1729〜1793)。「近代外科学の父」と呼ばれ、児童文学「ドリトル先生」のモデルともなった人物。屋敷の庭には動物が放し飼いにされており、鹿・水牛・キリン・ライオン・ヒョウなどが居たという。しかしその素顔はドリトル先生とは似ても似つかなかった。解剖マニアで、解剖する死体を手に入れるため、墓泥棒と手を組んでいたのである。



●医者になるまで

 ハンターは子供の頃は勉強が苦手で学校を中退。大工になるが、やがて辞め、外科医だった兄ウィリアムの助手となった。当時の医学はお粗末なもので、2000年前の古代ギリシャの「病気は体液のバランスが崩れて起きる」という考えに従っており、病気の治療といえば体から血を抜く「瀉血」(しゃけつ)くらいしかなかった。

 ウィリアムは若手外科医相手に解剖教室を開いており、ジョンはウィリアムから解剖のテクニックを教えられ、器用だったジョンはすぐに兄以上の腕前になった。ジョンの役目は解剖用の死体を手に入れることで、最初は死刑囚の死体を回収していたが、そのうち墓泥棒と手を組み、泥棒が墓を掘り起こして死体を盗んで金目のものを取り、ハンターが残りの死体を取る、という形で新鮮な死体を手に入れるようになった。ハンターは老若男女の死体を切り刻み、人体について理解を深めていった。



●世界初のバイバス手術

 やがてハンターは外科医として有名になっていった。ハンターはとにかく実践主義で、虫歯の治療のため、歯が正常な人間から歯を引っこ抜き、それを抜歯した人間に移植したり、電気を使った人体蘇生、人工授精、などを実践している。ハンターは当時の著名人である、首相のウィリアム・ピットや、国富論アダム・スミスなどの手術も手がけた。

 ある日、ハンターは足にコブの出来た御者の訪問を受ける。彼の病気は「膝窩動脈瘤」(しっかどうみゃくりゅう)で、御者の職業病だった。御者は職業的に足の裏をこするので、皮膚が薄くなり、やがて血管が膨れ上がってコブになる。それが破裂すれば死ぬ可能性もある危険な病気だった。ハンターは、解剖で得た知識で足の動脈は複数あることを知っており、治療費をまける代わりに最新の治療法を人体実験で試すことにした。問題のコブにつながる血管を糸で縛って血流を制限し、別の動脈に血が流れるようにしたのである。現代で言う「バイパス手術」のはしりだった。手術は大成功し、以後ヨーロッパの医者はこの手法を真似したという。



●ジェンナーの師匠

 種痘法を開発したジェンナー(1749〜1823)はハンターの弟子だった。ジェンナーはハンターの下で修行した後、故郷に戻り、やがて「牛痘に感染した人間は天然痘にかからない」という話を知ると、人体でこの考えを試したくなった。しかしさすがに迷っているとハンターからは手紙で「何故考えている? 何故実験しない?」と叱られたという。それで踏ん切りがついたジェンナーは、1796年に使用人の子供にまず牛痘を感染させた後、天然痘の膿をこすりつけ、感染しないことを確認した。種痘法発明の瞬間だった。ハンターの檄が無ければ、種痘法は発明されず、天然痘の根絶も出来なかったかもしれない。



●進化論のはしり、そして孤独な死

 ハンターは人間やサルの頭蓋骨の膨大なコレクションを持っていた。そしてそれらを調べるうち、「サルが黒人に変化し、黒人が白人に変化した」という考えを抱くようになった。つまりダーウィンの進化論に70年先行する考えだった。しかしハンターの「最初の人間アダムとイブはアフリカの黒人だった」という主張は当時全く受け入れられることは無く、彼は無視され孤立した。

 1793年、ハンターは心臓発作のため65歳で死亡した。ハンターは私設博物館のために全財産をつぎ込んでいて借金しかなかったため、葬式も行なわれず棺は教会に放置された。やがて時がたち、ダーウィンの進化論が発表されハンターが見直されると、彼はようやく埋葬され、墓碑銘には「近代外科学の父」と刻まれた。


感想

 今回の主役のハンターは、マッドサイエンティストではありますが、別に科学を悪用したとかウソ研究で科学界の進歩を遅らせたとか、そういうのではないしねぇ。今回は「奇人変人列伝」とかそういう感じですかね。