【ゲーム】「真説・コンピュータRPGの起源」を整理する:1975年~1980年のCRPG

ロールプレイングゲームサイド Vol.1 (GAMESIDE BOOKS)

http://www.amazon.co.jp/dp/4896374703
ロールプレイングゲームサイド Vol.1 (GAMESIDE BOOKS) ペーパーバック 2014/7/30
出版社:マイクロマガジン社 (2014/7/30)
発売日:2014/7/30
ペーパーバック:160ページ

 

真のコンピューターRPGCRPG)の起源は?

 最初のCRPGは何か? 日本のゲーマーは、長い間「ウィザードリィ」と「ウルティマ」だと教えられてきました。フィールド移動型の祖先がウルティマ、ダンジョン探索型の祖先がウィザードリィ・シナリオ1、そしてそれ以前に大型コンピューター上で「ローグ」というプレCRPG的なゲームが遊ばれていた……

 これが日本のゲーマーの常識でした。ところが2010年代になって、それは全く正しくないという事が明らかになって来ました。2014年に発売された雑誌「ロールプレイングゲームサイド Vol.1」では、「真説・コンピュータRPGの起源」と題して、ウルティマウィザードリィ以前のCRPGを詳細に紹介しています。

 ここでは、その内容を時系列順にまとめて整理・紹介していきます。


前提1:PLATO(プラトー

 プラトーとは、1970年代にイリノイ大学を中心に構築されていたコンピューターネットワークのこと。大学に設置したスーパーコンピューターに、専用に開発した端末を接続して使用する教育用システム。当時「コンピューターの端末」と言えば、画面などついておらず、テレタイプという「結果を印刷して打ち出すタイプライター」が当たり前だった時代に、画面・キーボード・タッチパネルが付いていた。システムは、メールにチャットにグループウェアに、と、21世紀にようやく実現したと思われたことが既に実装されていた。

 プラトーイリノイ大学だけではなく、回線を引いた他州の大学、さらには海外(オーストラリア、ベルギー、南アフリカ)でも使用できた。

 プラトーは本来は教育用システムだったが、学生たちがこっそりゲームを開発しては遊んでおり、総使用時間の20パーセントはゲームに使われていたという。

 その後パソコン通信やインターネットの普及でプラトーは市場を失い、1993年に停止した。

 実はこのプラトー上で1970年代からゲームが遊ばれていたのだが、大学生限定のネットワークだったのでほとんど知られていなかった。


前提2:D&D(ダンジョンズ&ドラゴンズ

 テーブルトークRPG。1974年に発売された「剣と魔法の世界」系のゲーム。当時の学生に多大な影響を与えた。


 以上を踏まえて以下の歴史を読んで頂きたいと思います。


■1973年頃

●Monster Maze(モンスター・メイズ) (1973頃)(スーパーコンピューターCDC6600)

 作者テリー・オブライアン。原始的なテキストAVG。テレタイプを使用して周囲の状況は文字で表示される。洞窟内を探索し、魔物と戦い、宝物を手に入れるのが目的。成長や細かなパラメータはない。AVGの始祖と言われる「Colossal Cave Adventure」よりも先に誕生している。詳細は不明。

■1974~1975年頃

●m199h/プラトー版Monster Maze (1974~75頃)(プラトー

 作者テリー・オブライアン。前述の「Monster Maze」をプラトーに移植した物。テキスト表示ではなく、画面で見下ろし型マップを表示するようになった。本来のゲーム名ではなくファイル名の「m199h」の方が有名。史上初のCRPGと目されるが、内容は殆ど不明。

●Pedit5/The Dungeon (1975秋)(プラトー

 作者ラスティ・ラザフォード。D&Dをコンピューターでプレイする、という目的で作られたゲーム。キャラクターは一人で、見下ろし型マップの一階建てダンジョンを探索する。キャラクターは死ぬとデータは消失してしまう。

 このゲームはすぐにプラトーの管理者によって削除されたが、ソースは現存しており、2014年時点でエミュレーター上でプレイ可能だった。

The Dungeon/PEDIT5 (1975)
http://crpgaddict.blogspot.jp/2011/12/game-68-dungeonpedit5-1975.html

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●Orthanc(オルサンク) (1975末)(プラトー

 作者ポール・レシュ他。前述の「Pedit5」が削除されたあと、その続編的な物として作成された。見下ろし型マップ。ダンジョンは10階建てとなり、定期的に自動更新される仕様。ソースは現存しており、2014年時点でエミュレーター上でプレイ可能だった。

 ちなみに開発者たちがD&Dの発売元のTSR社にゲームの設定を使わせてほしいと連絡したところ、向こうは意味が理解できていない様子だったが「金儲けに使うのでなければOK」と返答してきた。つまりオルサンクは史上初のD&D対応ゲームだった。

Orthanc (1975)
http://crpgaddict.blogspot.com/2013/11/game-123-orthanc-1977.html

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dnd/The Game of Dungeons (1975冬頃)(プラトー

 作者ゲイリー・フィーゼンハント、レイ・ウッド、フリント・ペレット、ダーク・ペレット、他。南イリノイ大学の学生のフィーゼンハイトとウッドが、「オルサンク」の開発者たちと同様に「Pedit5」に触発されて制作したゲーム。のちにフリントとダークのペレット兄弟が開発を引き継いだ。

 見下ろし型マップ。それまでの作品と違い「ドラゴンを倒してオーブを持ち帰る」という最終目的が設定された。大人気ゲームとなりプラトー末期までプレイされた。「dnd」はファイル名で、正式なゲーム名が「The Game of Dungeons」。

The Game of Dungeons/dnd (1975)
http://crpgaddict.blogspot.jp/2012/02/game-69-game-of-dungeonsdnd-1975.html

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●Dungeon (1975)(メインフレームPDP-10)

 作者ドン・ダグロー(クレアモント大学センターの院生)。プラトーとは関係なく作られた「D&Dをコンピューターで再現する」系のゲームの一つ。マップは見下ろし型で文字記号のみで構成。攻撃には近・遠距離の区別が有り、独自AIで動くNPCが用意され、最大六人のパーティーを組むことが出来た。しかしメモリ消費が大きすぎたため、管理者にすぐ削除された。
 

■1976年

DND(1976)(メインフレームPDP-10)

 作者ダニエル・マイケル・ローレンス(パデュー大学の学生)。前述の「dnd/The Game of Dungeons」とは無関係。「D&Dをコンピューターで再現する」系ゲームの一つ。見下ろしマップ。敵とのエンカウントや戦闘はリアルタイム。

 PDP-10のユーザーの間で大人気となり、ローレンスはPDP-10の開発元DECの技術者からOSの新バージョンにDNDを移植するように依頼されたという。

 その後、1978年にローレンスは発売されたばかりのパソコン・コモドールPET2001にDNDを移植し、このパソコン版を「テレンガード/Telengard」と名付けた。テレンガードは1981年にはボードゲーム大手のアバロンヒル社から商業ゲームとしてアップルIIなど向けに発売され、日本のパソコンのPC-8801FM-7にも移植された。

Telengard (1982)
http://crpgaddict.blogspot.jp/2010/03/game-6-telengard.html

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●Moria (1976)(プラトー

 作者ジム・バッティンとケベット・ダンカン(アイオワ州立大学の学生)。「dnd/The Game of Dungeons」に触発され開発されたゲーム。見下ろしマップ。世界初の「ダンジョンを完全自動生成する」ゲーム。作者たちは制作時点ではD&Dを全く知らなかったためD&Dの影響は薄い。

Moria (1975)
http://crpgaddict.blogspot.jp/2013/11/game-121-moria-1975.html

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●think15 (1976)(プラトー

 作者ジム・マエダ(イリノイ大学付属高校の生徒)。当時流行していたシミュレーションゲームスタートレック」にファンタジーRPGの要素を組み合わせたようなゲーム。見下ろし型マップで多数の敵と戦いながらクエストをこなしていくステージクリア型ゲーム。成長要素もある。しかしすぐに管理者に削除されてしまった。
 

■1977年

●Oubliette(ウブリエット) (1977年11月)(プラトー

 作者ジム・シュワイガー(高校生)。「D&Dの再現」系ゲームの一つ。マップは3D視点。最初から多人数パーティプレイに特化したバランスとなっていた。仲間を集める酒場、死んだキャラは仲間が助けに来るのを待つ、アイテムの鑑定、サムライやニンジャが職業としてある、といった要素を実装し、大人気を博した。

 このウブリエットにはまっていた一人がロバート・ウッドヘッドで、ウッドヘッドは当時発売されたばかりのアップルII上でウブリエット的なゲームを再現することを試み、その結果完成したのが「ウィザードリィ」だった。今までにウィザードリィがオリジナルと思われていた要素のほとんどはウブリエットが起源と判明している。

 シュワイガーは大学卒業後の1983年にウブリエットのシングルプレイバージョンをパソコンIBM-PCコモドール64に移植したが、特に話題にはならなかった。このパソコン版は2010年にはスマホOS用に移植された。

Oubliette (1977)
http://crpgaddict.blogspot.jp/2013/10/game-12-oubliette-1977.html

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DND #1 (1977)(ミニコンPDP-11)

 作者リチャード・ギャリオット。当時高校生だったロード・ブリティッシュことギャリオットが作成したゲーム。テレタイプで操作する。テキストAVG風味で、単語入力で状況表示。キャラのパラメータはあるが経験値やレベルは無い。10×10のマップを文字記号で表示する。

ウルティマの生みの親が最初に作成したゲームの開発秘話やソースコードが公開される
https://gigazine.net/news/20140425-ultima-richard-garriott-first-rpg/

gigazine.net
 

■1978年

●Moria(3Dマップ版) (1978~1979)(プラトー

 作者ジム・バッティンとケベット・ダンカン。前述の「Moria」のマップを3D視点に作り直したバージョン。

Moria (1975)
http://crpgaddict.blogspot.jp/2013/11/game-121-moria-1975.html

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●sorcery (1978)(プラトー

 作者ドン・ギリース。前述の「think15」を元に作ったゲーム。
 

●Beneath Apple Manor (1978年11月)(アップルII)

 作者ドン・ワース。世界初の商用CRPG。見下ろし型のダンジョンが自動生成される。ダンジョンの奥底に置いてある「ゴールデンアップル」を持って帰るのが目的。

Beneath Apple Manor (1978)
http://crpgaddict.blogspot.jp/2012/12/game-79-beneath-apple-manor-1978.html

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●Dungeon Campaign (1978)(アップルII)

 作者ロバート・クラーディ。抽象的なダンジョン脱出ゲーム。ゲームを始めるとまず自動で見下ろし型の4階分の迷路が自動生成される。そのあと画面は暗くなり、プレイヤーはキャラクター(一人ではなく一部隊が一つのブロックで抽象的に表示されている)を動かして迷路を踏破し全体を明らかにしていく。そしてモンスターと戦ったり宝を拾ったりしながら、迷路の出口を目指す。

Game 83: Dungeon Campaign (1978)
https://crpgaddict.blogspot.com/2013/01/game-83-dungeon-campaign-1979.html

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Dungeon Campaign
http://www.mobygames.com/game/dungeon-campaign

www.mobygames.com
 

■1979年

Avatar (1979)(プラトー

 作者ブルース・マッグスとアンドリュー・シャピラ。「ウブリエット」越えを目標に作られたゲーム。マップは3D視点。マルチプレイだけでなくシングルプレイでもそれなりに遊べるバランス、ランダムクエストが自動生成されるなど、プラトーにおけるオンラインCRPGの決定版となった。

Avatar (1979)
http://crpgaddict.blogspot.jp/2013/11/game-124-avatar-1979.html

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●Akalabeth(アカラベス) (1979年夏)(アップルII)

 作者リチャード・ギャリオット。前述の「DND #1」を発展させパソコンで動くようにしたゲーム。フィールドは見下ろし型、ダンジョンは3D視点。当初は仲間内だけでプレイしていたが、1980年に商用版が発売され3万本を売り上げる大ヒットになった。

Akalabeth: World of Doom (1979)
http://crpgaddict.blogspot.jp/2013/03/revisiting-akalabeth-world-of-doom-1980.html

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●Wilderness Campaign (1979)(アップルII)

 作者ロバート・クラーディ。「Dungeon Campaig」の続編。史上初の屋外を舞台にしたCRPG。プレイ毎に一画面に町やその他が書かれたマップがランダム生成される。プレイヤーは10人一組のパーティー(というよりも軍の一部隊)でマップを探索していく。ウォーゲーム的要素も併せ持つゲーム。

Wilderness Campaign (1979)
http://crpgaddict.blogspot.jp/2013/02/game-87-wilderness-campaign-1979.html

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●The Wizard's Castle (1979) (ソーサラー

 作者ジョセフ・パワー。テキストAVGにパラメーターや成長要素等を加えた「テキストRPG」。魔術師の城を探索し、力のオープや宝物を持ち帰るのが目的。商用発売される予定だったが中止になり、1980年に作者が雑誌にリストを無償公開した。

Game 90: The Wizard's Castle (1980)
http://crpgaddict.blogspot.jp/2013/02/game-90-wizards-castle-1980.html

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The Wizard's Castle (1980)
https://www.mobygames.com/game/7387/the-wizards-castle/

www.mobygames.com
 

●Temple of Apshai(テンプル・オブ・アプシャイ) (1979)(アップルII他)

 作者ジム・コネリー。黎明期の大ヒットゲームで「ウルティマ」「ウィザードリィ」より売れていた時期もあったという作品。見下ろし型マップで廃墟の「アプシャイ寺院」の中を探索し、モンスターと戦ったり宝を入手したりするという物。ストーリーは特に存在せず、ダンジョン探索に特化したゲーム。

 テーブルトークRPGD&Dを一人でやるためのツール、という感じで、キャラクターのパラメーターはD&Dと同じで、自分がテーブルトークで使っているキャラの数値をそのまま入力可能。またダンジョン内の部屋には番号が振られており、マニュアルのその番号のところを読むと、いかにもプレイヤーの想像力をかき立てるような文章が書かれていた。これもTRPGで人間のマスターがプレイヤーに状況を説明するのと同じ雰囲気である。

 1979~1982年頃までは爆発的にヒットした。

Dunjonquest: Temple of Apshai:
http://crpgaddict.blogspot.jp/2013/02/game-88-dunjonquest-temple-of-apshai.html

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■1980年

Rogue (1980)

 作者グレン・ウィックマン。マイケル・トイ。ケン・アーノルド。ダンジョン探索ゲーム。マップもキャラクターも英文字や記号などで表現される。ゲームの目的はランダム生成されるマップを階下へと降りていき、魔除けを持ち帰るというもの。UNIXの標準ソフトとして組み込まれていたため大ヒット作品となり、のちにローグを発展させた「ローグライク」という無数のゲームを生むことになった。

 ただし開発者たちは、D&Dの影響などは受けておらず、黎明期のテキストAVG「コロッサル・ケイブ・アドベンチャー」を元に「何度でもプレイできるAVG」を作る事だった。

Rogue: the most difficult CRPG I've played
http://crpgaddict.blogspot.com/2010/02/rogue-most-difficult-crpg-ive-played.html

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Rogue: Story and Gameplay
http://crpgaddict.blogspot.com/2010/02/rogue-story-and-gameplay.html

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Rogue
http://www.mobygames.com/game/rogue

www.mobygames.com
 
 
 記事はここで終わり。1981年以後はあまりにも数が増えすぎてフォローしきれないからとのこと。

コメント

 整理してみると、ウィザードリィウルティマも「最初のCRPG」どころか数多くの先行ゲームが作られた後にようやく登場した、という事がよく解ります。1970年代に既に多人数プレイオンラインRPGが存在していたとか、「今まで教えられていたゲームの歴史はなんだったんだ!?」的な気分になりますよねぇ。