【ミステリー】感想:歴史ミステリー番組「ダークサイドミステリー」(2020年版)『悪魔と家族のはざまに~チャールズ・マンソンの危険な誘惑~』(2020年8月13日(木)放送)

文庫 ファミリー上: シャロン・テート殺人事件 (草思社文庫)

ダークサイドミステリー NHK https://www.nhk.jp/p/darkside/ts/4847XJM6K8/
放送 NHK BSプレミアム。毎週木曜夜9時放送。

www.nhk.jp
【※以下ネタバレ】
 

他の回の内容・感想

perry-r.hatenablog.com
 

本当の謎は、人間の闇
背筋がザワザワ、心がドキドキ、怖いからこそ…見たくなる!
世界はそんなミステリーに満ちている。
未解決の事件、自然の脅威、不思議な伝説、怪しい歴史など、謎と恐怖の正体に迫ります!

 

悪魔と家族のはざまに~チャールズ・マンソンの危険な誘惑~ (2020年8月13日(木)放送)

 

内容

ダークサイドミステリー▽悪魔と家族のはざまに~チャールズ・マンソン危険な誘惑
[BSプレミアム]2020年8月13日(木) 午後9:00~午後10:00(60分)


「俺は世界の王になる!」孤独な家出少女たちを家族としてかくまう一方、その心を操りハリウッド女優らセレブ連続殺人を実行させた、悪魔のような男。心の闇の奥底に迫る。


ハリウッド女優シャロン・テート殺害事件など、50年以上も映画やマンガのモデルとして怪しい魅力を放つ“悪の象徴”チャールズ・マンソン。孤独な家出少女を集め“ファミリー”で共同生活をする一方、彼女たちの心を操り残虐な殺人鬼に変えた、悪魔のような男。実は彼自身にも、幼少期に家族に裏切られる悲惨な体験が…。伝説的犯罪者が描いた絵や手紙などテレビ初公開資料も交え、現代人の孤独にも通じる問題を浮き彫りにする。

【ナビゲーター】栗山千明,【ゲスト】碓井真史,竹林修一,【語り】中田譲治,【司会】青井実

 
 今回のテーマは「チャールズ・マンソン


●マンソン・ファミリー誕生

 チャールズ・マンソンは、1934年オハイオ州シンシナティ生まれ。遊び人の母親は16歳でマンソンを生むと、すぐに施設に放り込んだ。マンソンは父親が解らず母親にも愛されなかったため荒れまくり、窃盗・詐欺・強盗などを繰り返し、20代の大半を刑務所で過ごした。しかし、さすがにマンソンもそんな人生が嫌になり、人生を変えようと、自己啓発書を読んだりギターを練習したりした。

 1967年、マンソンが32歳でサンフランシスコの刑務所から出獄すると、世の中はヒッピーブームになっていた。ベトナム戦争介入から二年目で、若者は権威主義的な親の世代に反発し、保守的な親たちと世代の断絶が起こっていた。

 マンソンは家出少女たちに声をかけ、彼女たちのコンプレックスなどを全肯定することで信頼を得て、20人もの女性、数人の男性と「ファミリー」を名乗る共同生活を開始した。昼間はドラッグ漬け、夜は少女たちと愛欲に溺れる、という生活。ファミリーの生活費は、少女たちが窃盗や親の金をくすねることで賄っていた。



シャロン・テート事件

 マンソン・ファミリー形成から一年後の1968年。マンソンたちはサンフランシスコからロスアンゼルスに移動した。そして、マンソン・ファミリーの少女が、当時大人気のロックグループ・ビーチボーイズのメンバーのデニス・ウィルソンの車をヒッチハイクしたことで、マンソンとウィルソンは知り合いになる。ウィルソンはマンソンの話術にはまってたちまち心酔し、マンソンの音楽業界でビッグになるという夢を後押しした。

 ウィルソンは大物プロデューサーのテリー・メルチャーを紹介したが、メルチャーはマンソンを全く評価せず、マンソンのミュージシャンデビューはかなわなかった。

 夢がついえたことでマンソンはおかしくなり、ファミリーの少女たちに絶対服従を要求し始めた。そして当時盛んになっていた公民権運動を見て「将来白人と黒人の最終戦争ハルマゲドンが起き、世界の大半の人間が死に絶えた後、自分が世界の王になる」と語り、少女たちにナイフによる戦闘訓練をさせ始めた。

 1969年8月4日深夜。マンソンはファミリーの男一人と少女三人に、メルチャーの屋敷を襲撃させた。しかし、当時すでにメルチャーは引っ越していて、代わりにハリウッド女優のシャロン・テートの家となっており、当日はテートと知人三人が寝ていた。しかし少女たちは構わず四人を惨殺した。

 その翌日。今度は全く何の面識もない財産家の家を襲撃し、最終的に七人を殺害させた。その動機は一切不明。

 四か月後、1969年12月1日、マンソンと実行犯の少女三人が逮捕された。



●マンソン対ニクソン大統領

 マスコミはマンソン事件に飛びつき、ローリングストーンズ誌・ライフ誌といった有名雑誌が競ってマンソンの顔写真を表紙にした。「犠牲者は有名ハリウッド女優」「実行犯が三人の少女」「それを操った謎の男」といった要素が世間の大注目を集めたためだった。

 1970年7月からマンソンたちの裁判が始まるが、マンソンが裁判長に襲い掛かろうとしたり、少女たちは裁判中に奇妙な歌を歌ったり、と、マンソン劇場とでもいうべき異様な振る舞いを続けた。当時の若者たちは、世間や権力といった物に反抗するマンソンを支持し、直接殺人に関わっていないマンソンを釈放するべきだと訴えた。また、それに乗り、マンソンも自分は親たちに見捨てられた少女たちを救っただけと主張した。

 こういった世間の動きを当時の大統領のニクソンが批判し、マンソンは有罪だと公言した。まだ裁判中の事件で、大統領が有罪と決めつけたことに批判も出たが、これはニクソンの戦略だと思われる。ニクソンの支持者は保守派であり、ヒッピーや反体制層に嫌悪感を抱いていたので、そういった層へのアピールだったと思われる。

 1971年3月29日。マンソンと三人の少女たちは全員死刑判決を受けた。マンソンは「共同謀議罪」で死刑となるという極めて異例な判決となった。



●その後のマンソン

 翌1972年、カリフォルニア州が死刑を廃止したので、マンソンたちは終身刑となった。獄中のマンソンには大量のファンレターが届き続け、またマスコミのインタビューが定期的に行われ、その姿がテレビに映り続けた。マンソンは獄中でもインタビュー中に突然歌い出すなど、世間を意識したパフォーマンスを繰り返した。

 しかしカメラもマイクも無い囚人仲間の前では、マンソンは、少女たちが指示などしていないのに自分の言葉を勝手に解釈して殺人に走ってしまった、と愚痴っていたという。

 2017年11月19日。マンソンは獄中で死亡した。


感想

 名前と「シャロン・テート事件」という「単語」は有名なのですが、具体的にはどういう人物の起こしたどういう事件だったのか、というのは全く知らなかったので、なかなかためになりました。人民寺院事件などと比べると、思ったよりは鬱度は低かったので、ちょっと助かりましたね。

 しかし、この男にファンレターを送るという感覚が全く分からない……、崇めるところとか共感できるところ皆無なんですけど……?
 
 

光と闇のナビゲーター 栗山千明
MC 青井実 (アナウンサー)
語り 中田譲治
テーマ音楽 志方あきこ

 
 

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