【ゲームブック】記事:ゲームブック作家だった塩田信之氏にインタビュー【ファミコン冒険ゲームブック】

ウィザードリィ―魔術師ワードナの野望 (双葉文庫―ファミコン冒険ゲームブックシリーズ)

2020.12.3
オワリカラ・タカハシヒョウリのサブカル風来坊!!』おおらかで刺激的だった「ゲームブック」の世界 ライター塩田信之に直撃インタビュー【前編】 | SPICE - エンタメ特化型情報メディア スパイス
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2020.12.16
オワリカラ・タカハシヒョウリのサブカル風来坊!!』おおらかで刺激的だった「ゲームブック」の世界 ライター塩田信之に直撃インタビュー【後編】 | SPICE - エンタメ特化型情報メディア スパイス
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さて、読者の皆さんは「ゲームブック」をご存知だろうか?


一見すると普通のファンタジー小説のようにも見えるが、ペーシをめくってみると、物語が番号を振られた無数のパラグラフ(段落)に分かれている。


読者は、自ら行動を選択したり、ダイスを振ったりして、能動的に物語に参加し、それに応じて物語の行く末が変わっていくというインタラクティブな要素を持ち合わせた小説が「ゲームブック」である。


要するに、「ゲーム」のように遊べる「ブック」である。


海外から輸入されたゲームブックは80年代後半にブームを巻き起こし、国内では『ファイティング・ファンタジー』などの海外翻訳ゲームブックと共に、ゲームソフトを題材とした低年齢向けのゲームブックも次々と刊行され子供たちを熱狂させた。


今回は、そんな「ゲームブックの世界」に迫るべく、双葉社の『ファミコン冒険ゲームブック』シリーズなどで数多くのゲームブックの執筆を担当したライターの塩田信之さんにお話を聞いてきた!

 
 ということで、マイナーブランド(……でもないかもしれせんが、社会思想社東京創元社の作品ほどは取り上げられる機会のない)双葉社ゲームブックを書いていた人にインタビューした記事。色々面白いので引用多めで行きます。


■前編

ゲームブックブームの始まり

まず、そもそものゲームブックのはじまりというか、最初に国内でゲームブックが勃興してきたのっていつくらいだったんですか?


塩田:84年に、『火吹き山の魔法使い』という海外のゲームブックが翻訳出版されました。ブーム自体が、海外が先行なんです。『火吹き山の~』が日本で出た後くらいのころに、スタジオ・ハードっていう会社の社長さんが「これは売れるんじゃないか」と目を付けて研究を始めて、話を双葉社さんにもっていって、まず『ルパン三世ゲームブック』があって、そこからファミコンのゲームを題材にしたものがたくさん出始めたんですね。だから、ルートとしては海外からの翻訳ゲームブックルートと、こういう『ファミコン冒険ゲームブック』のような形で低年齢層に向けたものの二つに大きく分かれている感じですかね。

 
[コメント]
 社会思想社とか東京創元社とかの作品ばかりチェックしていたから、双葉社とかは遂に視界に入らないままだったよなぁ……



●スタジオハードの実態

タカハシ:スタジオ・ハードさんの社内のノリっていうのはどうだったんですか?わりと若い人が集まってゲームやってるみたいな感じだったんですか?


塩田:もともとベンチャー企業なんで、みんな若めといえば若かったけど、当時で30代くらいの人が多かったかな。でも、出版の編集者として仕事をしている人たちなので、そんなにゲームに詳しい人が多かったわけではなくて。ゲームを遊んでいる人っていうのももちろんいるんだけど、とくにゲームブックの部署に限って言えばそんなに詳しい人はいなかったと思いますね。

 
[コメント]
 スタジオハードは国産のゲームブックを気にすると必ず目にする名前なのですが、実体は全く不明だったのでこんな感じで内情が解って、何となく嬉しい。



ゲームブックを作る流れ

タカハシ:ここからは、当時実際にどうやってゲームブックが作られていったのかをお聞きしたいのですが、まずどのゲームをゲームブック化するかっていうのは、どういうふうに決まるんですか?


塩田:これはですね、まず版権がとれそうなゲームを出版社側で判断して交渉して、いくつかの編集プロダクションに振っていた感じですね。スタジオ・ハードのほかにも、レッカ社さんとか3つか4つくらいかな。その編集プロダクションに振った段階で、プロダクションの中に何人かずつライターがいるので、誰が書くかというのが自薦他薦で決まります。自分から「これがやりたい」って言ったこともあるし、「これやってくれよ」っていう感じで始まったこともありました。

 
[コメント]
 そんな流れで決まっていたのか……



●ライターの仕事

タカハシ:ゲームのシステム的な部分=チャートの作成と、シナリオのライターさんは基本的には同じ人なんですか?


塩田:基本的にはそうですね。僕はゲーム作りが好きなほうなので、ほかの人のチャート作りとかもしていたりはするんですけど、基本はライターがプロットも考えてチャートも書いてます。


タカハシ:分岐を作るうえでのスキルというか、コツみたいなものってあるんですか?


塩田:そうですね、いろいろあることはあります。たとえば、意味のない分岐は作らない。選択をした2つのルートがあって、その片方のルートが表示されたあとに、すぐに合流しちゃうような物ですね。そこにフラグ管理があって、何何にチェックを入れるみたいな所があればまだいいけども、単純にリアクションだけ違って、すぐ合流しちゃうようなものは作らないというルールはありましたね。あとは、ダンジョンみたいな物を作るっていうのはゲームブックの中でよくあるんですけど、ダンジョンを作りすぎると話が面白くならないとか。

 
[コメント]
 うん、ストーリー物にダンジョンをブッ混んだ作品はほぼ面白くない。若桜木虔作品で身に染みてます(笑)


■後編

ゲームブック衰退の理由

タカハシ:その90年くらいを境に、ゲームブック自体の人気が下がったってどういう理由だと思いますか?


塩田:やっぱりゲームの普及率が、とても上がったんですね。ゲームソフトを代替品で遊ぶ必要がなくなっていったんじゃないかなと。 それと、よく言われるのがあまりにも出しすぎた。自分で言うのもなんだけど、粗製濫造みたいな印象があったと思いますね。どれを遊んでもそんなに変わり映えしなくて、離れていく理由にはなっていたと思います。

 
[コメント]
 まあ、コンピューターゲームで簡単に冒険できるようになったら、紙の本が不要になるのは致し方ない……、あと基本的にゲームブックって「どれを遊んでも大差ない」娯楽という弱点があるから……、アクションゲームとRPGみたいな明確な違いが作れないから……



●〆の言葉

加東:でも面白いですよね。『ウィザードリィ』自体が『D&D』をコンピュータ上でやりたかったっていうのがきっかけだから、それが一回りしてアナログに戻っていくというのはすごい面白いと思います。塩田さんから見て、人生のなかでゲームブックに関わっていた時期というのは、どういうものかっていうのを最後にお聞かせください。


塩田:ゲームブック自体を作るのが、すごく好きでした。ゲームが好きだというのがもとにあるんですけど、チャートを作ること自体が好きでしたね。ゲーム的にするにはどうしたらいいんだろうと考えながら作っていくことが、すごく自分に合っていたんだろうなと思います。あと、ゲームブックのブームが終わってからすごく時が経ったあとに「昔ゲームブックやってましたよ」って言われることが結構多くて。それは、仕事をしていく中で支えになっているところはありますね。

 ということで、ゲームブック作家の貴重なインタビューでした。面白かった。
 
 
 
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