【科学】感想:NHK番組「フランケンシュタインの誘惑 科学史 闇の事件簿 2021」『DDT 奇跡の薬か? 死の薬か?』(2022年1月27日(木))

沈黙の春 (新潮文庫)

フランケンシュタインの誘惑 科学史 闇の事件簿 https://www.nhk.jp/p/ts/11Q1LRN1R3/
放送 NHK BSプレミアム

【※以下ネタバレ】
 
※他の回の内容・感想は以下のリンクからどうぞ
perry-r.hatenablog.com
 

科学は、人間に夢を見せる一方で、ときに残酷な結果をつきつける。
理想の人間を作ろうとした青年フランケンシュタインが、怪物を生み出してしまったように―
輝かしい科学の歴史の陰には、残酷な実験や非人道的な研究、不正が数多くあった。
そんな闇に埋もれた事件に光を当て、「科学」「歴史」「倫理」に迫るシリーズ。


ナビゲーター/ナレーション 吉川晃司 (ミュージシャン)

 

DDT 奇跡の薬か? 死の薬か? (2022年1月27日(木)放送)

 

内容

フランケンシュタインの誘惑「DDT 奇跡の薬か? 死の薬か?」
[BS4K] 2022年01月27日 午後9:00 ~ 午後9:45 (45分)


DDT。戦後日本でシラミ駆除のために子供たちの頭に大量に散布している映像でお馴染みの殺虫剤だ。理想の殺虫剤・農薬として、世界中で「奇跡の薬」ともてはやされたが…


「疑惑の化学物質」DDT。戦後日本でシラミ駆除のために子供たちの頭に大量に散布している映像でお馴染みの殺虫剤だ。「安価」「即効性」「人体に無害」な理想の殺虫剤、さらに農薬として大量に使われ、「奇跡の薬」と世界中でもてはやされた。しかし1962年、海洋生物学者レイチェル・カーソンが「沈黙の春」でDDTを始めとする化学物質の危険性を指摘する。今なお続くDDT論争。「奇跡の薬」か、それとも「死の薬」か?


【語り】吉川晃司

 
 今回のテーマは「DDT」。


●奇跡の薬 誕生

 殺虫剤DDT(Dichloro Diphenyl Trichloroethane/ジクロロ・ジフェニル・トリクロロエタン)は、1939年にスイス・ガイギー社の科学者パウル・ヘルマン・ミュラー(1899年~1965年)によって開発された。

 当時ガイギ―社は新しい殺虫剤の開発を進めていた。天然の除虫菊やニコチンの価格がおりからの大恐慌で高騰していたため、安価な化学物質による殺虫剤の開発が求められたのである。

 ミュラーは開発すべき殺虫剤に以下の条件を課した。
1.害虫に対し猛毒性
2.哺乳類には無毒または微毒
3.即効性がある
4.匂いが無い
5.効果が長く持続する
6.安価で作れる
7.できる限り多くの害虫に効く

 ミュラーの同僚たちは、昆虫の口から入る「経口型」の薬の開発を目指していたが、ミュラーは全ての虫が食べる食べ物があるわけではないので、触れるだけで効く「接触型」を目指した。そして地道に化学物質の組成を変えることを繰り返し、1939年、350番目の薬が昆虫に劇的な効果を発揮することを発見した。DDTの誕生である。ちなみにこの薬は80年前に既に発見されていたが、その後無視されていた。

 DDTの完成したその当日、第二次世界大戦が勃発した。ガイギー社はこれを参戦国に売り込むことを考えた。当時戦死する兵士より、シラミが媒介する発疹チフスで死ぬ兵士の方が多かったためである。1941年、ガイギー社はアメリカ・イギリス・ドイツの参戦国に、よく効く殺虫剤としてDDTを売り込み、アメリカが大いに興味を示した。アメリカは除虫菊を日本から輸入していたが、戦争で輸入量が激減していたからである。

 調べてみると、DDTは殺虫力は除虫菊の四倍、5パーセントに希釈すれば人体に無害、と判明、大々的に使用を開始し絶大な効果を上げた。

 戦争が終わると、アメリカは民間にDDTを解放し、絶大な効果を持つ奇跡の薬ともてはやされた。1948年にはミュラーノーベル医学生理学賞を受賞した。医者ではない人物がこの賞を受賞するのは初めてのことだった。



●奇跡の薬 失墜

 ところが1950年代になって、野生動物の不審な死に方をしているのがよく見られるようになり、DDTの影響では無いかと疑われ始めた。同じころ、WHOは1955年に発展途上国でのマラリア撲滅キャンペーンでDDTの使用を行い、大きな効果を上げていた。

 当時、レイチェル・カーソンは政府機関の職員として働く傍ら作家としても活動していた。1958年、カーソンは、DDTを散布したあと鳥が異常な死に方をしたという手紙を受け取り、DDTについて調べ始め、DDTの危険性を示唆する論文を次々と見つけたが、政府職員として政策を批判することは出来なかった。

 1962年、専業作家になっていたカーソンは、化学物質の生体濃縮の危険性を訴える「沈黙の春」を発表し、この本は大反響を呼んだ。



●奇跡の薬 vs 死の薬

 当時の大統領ケネディは「沈黙の春」の内容を知り、DDTの危険性についての調査を命じた。産業界はお抱え科学者を使って猛反論し、さらにカーソンへの個人的中傷にも走った。しかしカーソンも負けてはおらず、それに反論した。

 1964年にはカーソンが亡くなり、翌1965年にはミュラーも世を去った。



●論争決着 科学と政治

 やがて世の中に「環境保護」という概念が生まれ、環境保護運動が活発になった。

 1970年、ニクソン大統領は環境保護庁を設立し、ニクソンは初代長官にウィリアム・ラッケルスハウスを任命した。ニクソンは別に環境保護に興味はなかったが、国民の大多数がそれを支持していることを知っていたからだった。

 ラッケルスハウスはまず1970年に自動車の排ガス規制に乗り出し、5年以内に有害物質の90パーセントを除去するようにさせた。その結果、公害に対応した自動車が次々と開発された。

 続いてラッケルスハウスは1971年から72年にかけて、DDT使用についての公聴会を行わせた。その結果はDDTには発がん性は無く、使用回数と量を守れば問題ないとの結論だったが、ラッケルスハウスはDDTアメリカ国内での使用を禁止した。それは科学的な見地に基づく判断ではなく、ニクソンが世論を意識してラッケルスハウスに命じたとされる。


 しかし、アメリカでDDTが使用禁止になったことで、環境保護団体の圧力により、WHOの発展途上国でのマラリア撲滅キャンペーンでのDDT使用の資金が途絶え、1969年にキャンペーンは中止された。その結果マラリアで死ぬ子どもが激増し、2006年、WHOは環境に影響を及ぼさない屋内噴霧に限りDDTの使用を再開した。DDTの人体への有害性は未だに研究の途中である。


 かつて

フロン … 冷蔵庫やエアコンの触媒として使用されたが、オゾン層を破壊することが解り、1987年に全廃が決定。

サリドマイド … 1960年代に薬害を引き起こしたが、その後、骨髄ガンやハンセン病の治療薬として再評価


のように評価が激変した物質があった。人類は新しい物質を生み出したとき、予想外の影響が見つかった時、考えるのを止めてはならない。


感想

 太平洋戦争終戦直後の映像でお馴染みのDDTのお話。人体に危険かどうかは未だに良く解っていないとか、使えなくなったことで発展途上国で却って死者が増えた、とか、知らなかった事が多い回でした。
 
 
 

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