感想:NHK番組「コズミックフロント☆NEXT」「世界初の有人宇宙飛行 ガガーリン 偉業の真実」(2015年6月18日(木)放送)


 NHK番組「コズミックフロント☆NEXT」の感想です。
(※以下、今回の話の結末まで書いてありますのでご注意ください)

コズミックフロント☆NEXT | NHK宇宙チャンネル
http://www.nhk.or.jp/space/cfn/

 NHK BSプレミアムでの視聴です(放送:毎週木曜 22:00〜23:00)。

世界初の有人宇宙飛行 ガガーリン 偉業の真実


■今回の内容

6月18日の放送
「世界初の有人宇宙飛行 ガガーリン 偉業の真実」

>1961年、人類初の有人宇宙飛行に成功したユーリ・ガガーリン。命がけで成し遂げたその偉業には、いくつもの真実が隠されていた。

>宇宙へ飛び立つ直前、彼は家族に宛てて遺書を書いていたが、その存在は隠された。さらに108分間の宇宙飛行のうち、地球に帰還する最後の29分間についての詳しい様子も隠されていた。一体なぜ?

>実は、その背景には当時のソ連とアメリカが国家の威信をかけて、世界初の有人宇宙飛行を競い合っていたという事情があった。「一番」をめざして急ピッチで開発された宇宙船・ボストーク1号は、大気圏に突入したときの耐熱構造や、地球に落下する衝撃から搭乗者を守るシステムが未完成のまま打ち上げられることになったのだ。

>もし真実が公になれば、世界初の宇宙飛行として認められない可能性もあった。想像を絶するような過酷な挑戦だったガガーリンによる世界初の有人宇宙飛行。そこに隠されていた真実に迫る。

1961年4月、ガガーリンは宇宙船ボストーク1号に乗り、宇宙を初めて飛んだ人間となった。


 ソ連が集めた20名の宇宙飛行士候補の中で、ガガーリンはトップだったわけではなかった。候補の中ではゲルマン・チトフが訓練・筆記試験とも最優秀だった。しかし宇宙開発の最高責任者コロリョフが飛行士たちと会った際、他のメンバーは緊張していたのに、ガガーリンだけはさかんに質問を浴びせ、結果コロリョフに気に入られたという。ガガーリンはこういう風に人と打ち解ける才能があった。


 打ち上げ数日前の段階でも、誰を乗せるかはまだ決まっていなかった。そんな時、スタッフが飛行士に打ち上げ時のトラブルに備えた脱出装置の説明をした。装置は自動装置があり、予備の手動装置も用意されていた。それを聞いて、

チトフ「ならば手動装置は不要でしょう」
ガガーリン「自動装置が働いてくれるでしょうが、手動装置もあればなお安心ですね」

 これを聞いてスタッフがどちらかに好感を持ったか。これが理由かは不明だが、最終的にガガーリンが乗ることに決まり、チトフは補欠となった。



 ガガーリンは出発直前に妻に遺書を書いていたが、これは10年以上家族にも隠されていた。実はボストークは宇宙船としては不完全極まりない代物だった。ソ連は1957年のスプートニク1号打ち上げ以降、宇宙に犬を何度も送っていたが、相当数失敗していたにもかかわらず、それを隠して「宇宙大国」のイメージを守っていた。


 アメリカが宇宙に人間を送ると発表したため、ソ連はそれに先んじるため慌てて開発を進めたが、カプセルの耐熱や着地の際の機能が不十分だった。カプセル全体に十分な耐熱処理をすれば重くなりすぎるし、降下スピードを落とすための逆噴射装置の開発も時間が無かった。仕方なく、カプセルの底の部分だけ耐熱処理を十分にする、という手を取るしかなかった。ガガーリンが生きて帰れないと覚悟したのも仕方ない話だった。



 実際の飛行も順調では無く、帰還時にトラブルが発生した。大気圏突入時にカプセルから切り離す部分がうまく外れず、カプセルはきりもみ状態で大気圏を落下した。カプセルの底の部分以外が加熱されたため、カプセル内は高温となりガガーリンは失神直前だったという。しかし幸運にも部品がうまく外れたことで危機を脱した。


 発表によれば、ガガーリンはカプセルで畑に着地し、近くに居た老婦人と少女に電話を借りたいといったという。しかし本当は、ガガーリンはカプセルで着地したわけではなく、上空で射出装置で脱出し、椅子に乗って降下着地したのだった。当時の技術ではカプセルに乗ったまま無事に着陸させることは出来なかったためだった。


 しかしソ連はそれを隠し続けた。というのは国際航空連盟の規定では「宇宙飛行=宇宙船に乗って着地すること」だったからで、途中で脱出したガガーリンは宇宙飛行したことにはならないためだった。しかし真相が明らかになった後、連盟は規定を変更し「予定通りに宇宙から帰還すること」とした。ガガーリンは晴れて人類初の宇宙を飛んだ人間と認められた。



 しかし、その後ガガーリンは二度と宇宙には行かなかった。ソ連が英雄を危険にさらしたくなかったからだった。そして、1968年、ガガーリンは乗っていた戦闘機が墜落して死んだ。享年34歳。長らく事故の状況は不明で、「酔ったまま操縦していた」という中傷すらあった。ガガーリンの友人だった飛行士レオーノフは状況を調べなおし、近くを飛んでいた戦闘機が本来の予定を守らず飛行したため、それに巻き込まれて墜落した、という事実を確認した。



■感想

 今明かされるガガーリン伝説の真相、という感じで凄く良かった。