感想:CGアニメ「サンダーバード ARE GO」第4話「危険な鉱山を閉鎖せよ」[先行放送](2015年9月22日(火)放送)


 CGアニメ「サンダーバード ARE GO」の感想です。
(※以下、今回の話の結末まで書いてあります。ネタバレにご注意ください)

■THUNDERBIRDS ARE GO
http://thunderbirds-are-go.jp/

NHKアニメワールド サンダーバード ARE GO
http://www9.nhk.or.jp/anime/tag/

 NHK総合での視聴です(放送日:2015年9月22日(火) 18:10〜18:33)。

第4話 危険な鉱山を閉鎖せよ

■あらすじ

http://www2.nhk.or.jp/hensei/program/p.cgi?area=001&date=2015-09-22&ch=21&eid=32771&f=3669
>世界的に大ヒットした名作「サンダーバード」が50年の時を経て帰ってきた!世界各地で起きる災害や事故に勇敢に立ち向かうインターナショナル・レスキューの活躍を描く!


南アフリカで突然放射線の数値が上昇。発生源を見つけるためスコットとバージルが緊急出動、閉鎖されたウラン鉱山を見つける。何者かが坑内へと侵入したため、鉱山の入口が開いてしまったことが原因だとわかったスコットは侵入者を突き止めるため、鉱山の地下深くに降りていく。一方、バージルが待機する地上では巨大な嵐が近づいており、一刻も早く鉱山の入口を閉鎖しなくてはならなかった…。


>【声】浪川大輔花輪英司,KENN,上田燿司磯辺万沙子石塚運昇,【監督】デビッド・スコット

 サンダーバード5号のアランは、大気圏内のラドン濃度が急上昇していることを発見、その原因がアフリカの閉鎖されたウラン鉱山だと突き止める。ただちにスコットとバージルが現地に向かうが、スコットは何者かが閉鎖された採掘施設のドアを開き、地下に向かったことに気がつく。


 スコットが調べてみると、閉鎖前の鉱山の持ち主の娘マリオンが、何者かの依頼でウラン鉱石を取りに来ていた。マリオンに依頼したのはフッドに違いなかった。スコットとマリオンは鉱山内に閉じ込められるが、バージルの操縦するジェットモグラに救出された。鉱山は無事に再閉鎖され、放射線漏れは停止した。マリオンはスコットたちの口利きで、世界防衛軍GDFに採用されることになった。


 最後、フッドが手元に届いたウランの入っているはずの箱を開けてみると、ゴミしか入っていないのを見て、怒りの声を上げるシーンで〆。



■感想

 評価はいまひとつ。


 インターナショナルレスキュー(IR)が、ウラン鉱山からの放射線漏れをキャッチし依頼も無しに調べに行く、というストーリーだが、オリジナルシリーズなら、隊長のジェフが「国際救助隊は調査組織ではない」と言って出動を許可しなかっただろう。「ARE GO」ではIRがレスキューの組織という基本設定がないがしろにされているように思える。



 スコットの鉱山突入シーン、パワーローダー風のロボットとの格闘シーン、サンダーバード1号からたらしたロープからぶら下がるシーン、など、アクションシーンはいちいち手に汗握る展開で見ごたえは有った。ということで、アクション物としてはなかなかの出来だったが、「サンダーバードがアクションシーンを売りにして良いのか?」という点で、ストーリー展開に疑問が残る。



 オリジナルサンダーバードの面白さは、事故/災害で窮地に陥った人々を、救助要請に応じてスーパーメカで助け出す、という人命救助の部分にあった。しかし、「ARE GO」では、3話「スペースレース」でも感じたが、救助物という基本をおろそかにしているため、オリジナルシリーズファンとしてはもう一つ支持できない。



 それに、メカニックの重量感の無さも気になる。今回初登場のジェットモグラだが、軽やかにコンテナから走り出してきて、ドリル部分も何のタメもなく地面に突入してしまったため、ありがたみの無いことおひただしかった。やかりこの手のキャタピラ走行メカは、重々しく地面にめり込みながら走ってこそ、である。CGアニメではそこまで表現するのは困難だったかもしれないが、かなりガッカリしてしまった。



 ただ、鉱山についてからの会話シーンは実に軽妙で面白くセンスを感じた。【ブレインズ】「目に見えないがつねに回りにあるものはなんだと思う?」、【スコット】「おばあちゃんのこげた料理の匂い?」を皮切りに、いちいちおばあちゃんの料理の酷さを絡めたやりとりは、ついニヤリとしてしまった。



 また、最後のフッドの本拠にウランの代わりにゴミが届くというシーンは、オリジナルのとぼけた感じを継承していて、思わず親指を立てたくなった。こういうユーモア感覚はイギリスの伝統ということかもしれない。