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放送 NHK BS。
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【※以下ネタバレ】
本当の謎は、人間の闇
「悪徳の作家サド 闇の哲学 危険すぎる“自由とは何か?”」(2025年1月24日(金)放送)
内容
ダークサイドミステリー 悪徳の作家サド・闇の哲学~危険すぎる“自由とは?”
[BS] 2025年01月24日 午後9:00 ~ 午後10:00 (1時間0分)
激動のフランス革命を生きた作家サド。ルイ16世やナポレオンに罰せられながら、なぜ性と暴力と「人間の真の自由」を求めたのか?私たちの常識を破壊する危険な思想とは?
「サディスト」の由来、フランス革命期の作家サド。彼の小説は「悪魔の福音書」と呼ばれるほど性と暴力に満ち、国王ルイ16世やナポレオンは彼を罪人とした。実は彼の作品には「人間の真の自由とは何か?」という、私たちの常識をゆさぶる危険な問いが隠されている。他人を傷つける自由とは?殺人が罪なら、戦争や死刑も罪ではないか?なぜ人は争いをやめられないのか?人間の闇を追求したサドが突きつける危険すぎる思考のワナ。
●サドの前半生
マルキ・ド・サド(1740年6月2日~1814年12月2日)は18世紀のフランスの特権貴族の家の生まれ。何不自由ない生活を送るが幼いころから傲慢で暴力的な性格。
当時フランスはルイ15世の時代。カトリックを信仰していたが、その裏で性のモラルは乱れまくっている時代だった。
サドは23歳で貴族の娘ルネと結婚するが、娼婦を連れ込むなど放蕩生活を送る。1763年10月に娼婦に十字架を踏みつけるように強制し精神的苦痛を与えた罪で逮捕され拘留15日。しかし懲りずに1768年4月3日(復活祭の日)には連れ込んだ女性をむち打ち、二度目の逮捕で拘留二ヵ月。そして1772年6月27日。娼婦に媚薬を飲ませ、男性とも性行為を行うなどの罪で三度目の逮捕。今度は国王ルイ16世の怒りを買い、永久に監獄から出られないこととなった。
●サド、小説を書く
サドは自分の自由を追求しただけなのに、何故それが罪になるのかと怒り狂い、無実を証明するための小説を書くことにした。
1782年。サド42歳。ヴァンセンヌ牢獄で、当時のモラルの基準となっていたカトリックの欺瞞をあばくため、処女作「司祭と臨終の男との対話」を執筆する。内容は牢獄と思しき場所で、サド同様に囚われた男が司祭と対話するというもの。創造主はなぜ悪を作ったのか。人間は美徳の悪徳の両方を持っていて、どちらを選ぶも自由意志。悪徳だけ罪となるのはおかしい、云々。
1784年3月。サド43歳のとき、バスチーユ監獄に移送される。サドはここで文学史上最悪の書と言われる「ソドム120日あるいは淫蕩学校」を看守に見つからないように執筆する。内容は、登場人物が悪徳の限りを尽くす、読者に苦痛を与える残虐な物。
1789年7月14日にバスチーユ監獄襲撃事件が起き、フランス革命が始まるが、サドはその数日前にバスチーユから別の場所に移されていた。「ソドム120日~」はバスチーユの壁の中に隠されたままとなり、読まれるのはそれから115年後となった。
●フランス革命の欺瞞
バスチーユ襲撃事件から三か月後。ルイ16世はサドの拘束を無効とし、サドは釈放された。しかしサドは既に貴族の身分を失っており、しかも妻からは面会も拒絶され、49歳となり、長年の牢獄暮らしで体も弱り切っていた。
1789年に「人間および市民の権利宣言」が布告され、自分と他人の自由を尊重し合う制限付きの自由が認められた。しかしフランス革命は当初の理想とは裏腹に、貴族たち・反革命と見なされた者、が次々と死刑になる恐怖政治へと突入していった。
サドはこの状況に怒りを抱く。制限付きの自由は本当に自由なのか? 自由の名のもとに政府による殺人が合法なのはおかしいのでは? 本当の自由とは?
かくして、サドが匿名で執筆し1795年に刊行されたのが「閨房哲学」(けいぼうてつがく)。人間が罪としていることをすべて認めてこそ真の自由。欲望を押し殺すことのない人間本来の姿でいるには自由を制限してはならない。云々。
サドは「孤立主義」という哲学を生み出した。自分と他者の間のつながりを信じず、社会を信用しない。他人は利用するだけの物にすぎない。新しい時代や社会を構築するためには孤立するしかない。自分の自由を追求するには他者の自由や尊厳は無視する。従うか、従わせるか、交わらずに孤立するか。これがサドの出した答えだった。
●サドの最後
1799年。フランスはクーデターやインフレで大混乱に陥り、しかも周辺諸国からは攻撃を受けていた。同じ頃サドは小説が売れず、60歳ころには貧乏暮しをしていた。
1799年11月、ナポレオンがクーデターで権力を握った。一年半後、ナポレオンの命令でサドは逮捕された。ナポレオンは国家の秩序を維持するため検閲を実施し、サドの小説はその内容が危険視されたのだった。サドは監獄として使われていた精神病院に閉じ込められ、執筆した小説は燃やされ、1814年に74歳で死去した。そしてサドは世間からは忘れられた。
ところが20世紀になって作家アポリネールがサドの作品を発見して再評価した。さらに当時の芸術家たちもサド作品を評価。しかもこの頃サドの未発表作品が次々と見つかっていく。そして「ソドム120日~」も1960年代に正式に出版された。
サドをどう評価するべきか今も議論が続いている。
感想
今回は名前だけはメチャクチャ有名なサドのお話。へー、こんな人物だったんだー、とお勉強になりました。今回はサドの書いた作品の説明も多く「ダーク版 100分de名著」みたいな回でしたね~。