感想:「昭和偉人伝」『#10 円谷英二』(2014年2月26日(水)放送)


 「昭和偉人伝」の感想です。
(※以下、今回の話の結末まで書いてありますのでご注意ください)

BS朝日 - 昭和偉人伝
http://www.bs-asahi.co.jp/ijinden/index.html

>昭和の偉人の波瀾万丈の生き方が自身の人生と重なる、繋がる、甦る!

>『昭和』国家壊滅の状態から未曾有の成長を遂げた類まれな時代。そこには、時代を牽引したリーダーがいました。輝くリーダーですが順風満帆ではありません。 独自取材と貴重な映像、いまだからこそ言葉にできる真実のインタビューを交えて綴る波瀾万丈の偉人伝です。『昭和』という時代がいまなお輝いて見えるのか、私たちの心に深く刺さるのか、偉人の後ろ姿から私たち自身を振り返ります。

 BS朝日での視聴です(放送日:2014年2月26日(水) 22:00〜22:54)。


■概要

円谷英二
http://www.bs-asahi.co.jp/ijinden/prg_010.html

>敗戦から9年。深い傷跡を抱え、「夢」や「希望」なんて言葉を考える事もできない 子供たちに、驚きと笑顔を取り戻させた「ゴジラ」。今まで誰も見たことのない怪獣 映画に、日本中が驚愕しました。この怪獣を生み出した男の名は、円谷英二。28作のゴジラシリーズ、現在まで続くウルトラシリーズの礎を築き、世界中にKAIJUという言葉を根付かせた、『特撮の神様』です。

>円谷は海外の映画を参考にし、様々な特殊技術をとりいれた撮影を考案しました。 「オーバーラップ」「ブルーバック」など、今では当たり前の撮影技法も、彼によって日本の映画界に取り入れられました。とはいえ、観客が観ているのは、あくまでもスターや物語。映画に「特殊技術」が必要なものだとは、だれも思っていない時代でした。

>そんな中で産声を上げた、映画「ゴジラ」の大ヒット。「ゲテモノ映画」とまで言われたこの 作品は、いかにして作り上げられたのか。円谷の愛弟子たちが語る、ゴジラ誕生秘話をご紹介します。

>昨年10月。50年の時を経て発見された、「ウルトラマン」の未公開映像。ここには、 円谷英二の知られざるメッセージが隠されていました。死の間際まで書き続けていた、幻の次回作とは。夢を追い続けた、一人の天才映画監督の生涯に迫ります。


■内容

・1901年生まれ。
・子供の頃から模型飛行機やミニアニメを作っていた。
東宝にカメラマンとして入社。色々な撮影技法を開発したが、それで先輩に疎まれ窓際状態に追い込まれた。
・1942年に戦争映画を撮るが、そのため戦後公職追放に。1950年復帰。
・1954年「ゴジラ」を撮影。前評判は散々だったが公開されると空前の大ヒット。一気に「世界のツブラヤ」になる。
・以後も特撮映画を撮るが、社内の特撮をないがしろにする雰囲気は変わらないため、それに我慢できず、1963年に独立して円谷プロを設立した。
・以後、ウルトラQウルトラマンと大ヒットを飛ばすものの、こだわりが強すぎて撮影すると赤字に。
・1970年に亡くなる。


■感想

 初代ゴジラの関係者で、宝田明とか特撮スタッフとかのインタビューが興味深かったですね。ゴジラの着ぐるみは100kg有った(!)とか、建物はウエハースで作って壊れる瞬間に灰を撒き散らしてそれっぽくしていたとか。

 終盤「実子同然」だったという弟子の夫婦が「技術者に社長をやらせたらダメ。こだわりすぎてどんどんお金を使ってしまう」とか言ってました。伝説通りの人だったみたい。

 特撮の神様の生涯が良くわかるなかなか良い番組でした。