感想:アニメ「GATCHAMAN CROWDS(ガッチャマン クラウズ)」第12話(最終回)「Collage(コラージュ)」


 アニメ「GATCHAMAN CROWDS(ガッチャマン クラウズ)」(全12話)の感想です。
(※以下、今回の話の結末まで書いてありますのでご注意ください)

■公式サイト
http://www.ntv.co.jp/GATCHAMAN_Crowds/

 CS放送・日テレプラスでの視聴です。
(地上波放送:2013年7月〜9月(全12話))

第12話(最終回) Collage(コラージュ)


■あらすじ

 O・Dはガッチャマンの基地にカッツェを呼び寄せ、変身してカッツェと戦い、重傷を負いながら塁の「ノート」を取り返した。塁はノートの力でギャラックスの利用者たちに新しいクラウズを与え、クラウズの力で立川で「ゲーム」をするように呼びかける。それはクラウズによる「ネオハンドレッドクラウズ退治」や「被災者の救出」などをゲーム化したものだった。参加者の善意の輪が広がり、ネオハンドレッドのクラウズは全滅し、被災者支援もどんどん実行された。それを知ったカッツェは馬鹿馬鹿しくなってどこかに消えた。

 2016年、菅山首相はギャラックスを使ってネット民の意見も取り入れながら政治をしていた。おしまい。


■感想

※以下、辛口の感想になっておりますので、本作品が好きな方はご注意ください。

 あー、何なのこの結末。これが「日テレだけでしか視聴できないのがもったいない」とか「予想を超えたストーリー」とか「『こんなのガッチャマンじゃない」と食わず嫌いをする人は損している」とか言われていたアニメの結末かーい。


 結局、「ネットで良い人が力を合わせればこんなすばらしい事が出来るはずさ」的な、小学生低学年向きSF小説のごときしょもなオチでした。


 大体、ほぼ存在の意味の無いガッチャマンたちの体たらくときたらなんなんでしょうか。あの「ヒーロー」たちがいなくてもこの話は成立しますよね? 累が主人公で、はじめが準主役。宇宙人と戦うガッチャマン云々という設定一切不要、清音・丈・うつつも不要。塁視点で話を進めて、そこにギャラックスのヘビーユーザーのはじめがからんできて、二人で宇宙人カッツェと戦う話で良かったじゃん。事件の解決にガッチャマンが一グラムも役に立ってないんだから、そういわれても仕方なかろうと思います。


 序盤に出てきた「MESS」って終盤のための伏線かと思ってたら何もなかった…、なんだそりゃ。

 O・Dの能力も不明なら生死も不明。もったいぶった挙句に訳のわからないまま退場ってねぇ。

 ラス前ではじめの胸の中で喋っていた(?)あれって何。


 結局、「ネットはネガティブなことも有るけど、正しく使えばこんなに素敵なんだ、ラララー」みたいな夢を語りたいアニメで、そこに無理矢理「ガッチャマン」用語を押し込んだために妙ちくりんになってしまった様に思えました。なんというか、これはスタッフの自己満足アニメだったのではないでしょうか。

 12話付き合ってこのオチだったので、私にはこういう辛らつな感想しか持てません。