【※以下ネタバレ】
■番組内容
今回の放送日時】 2015年12月21日(月)24:30〜25:25
1956年に誕生した東映アニメーション大泉スタジオはアニメーション製作のトップランナーとして多くのヒット作品を製作。その制作本数は劇場作品200本以上、テレビ作品は、総話数にして1万話を超える。多くの作品を製作した大泉スタジオが、今年の9月、建て直しのために取り壊された。番組では、その誕生から現在までの歴史をスタジオ関係者のエピソードを通して、紐解いていく。創業当時は一棟だけだったスタジオは、翌年にはL字型へ変貌。その後も映画製作、テレビアニメ製作へと対応する形で増築されていった。その場所ごと(演出・撮影・作画など)に関するのエピソードを年代ごとのキーパーソンが語る。当時を知る伝説のアニメーター、小田部羊一、彦根範夫、月岡貞夫の対談や、東映アニメの技術を支えた人物からその当時の貴重な製作技術秘話など。他にも現東映アニメーション会長の森下孝三やデビルマンの生みの親である永井豪のインタビューなども華を添える。
http://www.bsfuji.tv/top/pub/animeooizumi.html
ナレーション 野沢雅子
BSフジのアニメ系情報番組「ジャパコンワンダーランド」のスペシャル版。
2015年3月に東映アニメーションの「大泉スタジオ」が老朽化のため解体された。このスタジオは日本アニメの歴史と共に有ったといっても過言ではない。という事で、東映アニメの歴史=日本アニメの歴史を振り返る番組。
1956年。スタジオが建てられる。当初は大工原章(だいくはら・あきら)・森康二(もりやすじ)の二人だけがまともなアニメーターで、残りは素人同然だったので、上の人が下のものに教えつつなんとか作画する、という状態だった。
1958年 長編映画「白蛇伝」公開。これを見て宮崎駿、高畑勲らが入社。
1963年 映画「わんぱく王子の大蛇退治」公開。
→この映画に関わった小田部羊一、彦根範夫、月岡貞夫、の三人(全員1959年入社)への共同インタビュー。三人とも現在では伝説級のアニメーターたちですが(ウィキペディアを見ればすごさが解ります)、若かった頃の駆け出し時代の思い出話を披露。「大塚(康生)さんが絵をアドバイスしてくれた」とか「宮(崎駿)さんがね」とか、現在の業界の重鎮たちのエピソードが次々と登場。この部分だけでもうおなか一杯になるくらいです。
1963年テレビアニメ時代スタート。「劇場班」と「テレビ班」の二班体制になる。レインボー戦隊ロビン、魔法使いサリー、ケゲゲの鬼太郎、などを制作。
1968年「太陽の王子ホルスの大冒険」公開。監督:高畑勲で、宮崎駿もメインスタッフとして参加している。
1969年「長靴をはいた猫」公開。大ヒットを飛ばし、猫のペロは東映を代表するキャラとなった。
1972年、「マジンガーZ」放送開始。番組が大ヒットしただけでは無く、オモチャから利益を得る「マーシャンダイジングシステム」の走りとなり、東映に大きな利益をもたらした。以後、「グレートマジンガー」「UFOロボ グレンダイザー」「ゲッターロボ」「同G」といったロボット物が次々と作られた。また女の子向けにも「ふしぎのアッこちゃん」「リミットちゃん」「キューティーハニー」「魔女っ子メグちゃん」なども作られた。
1979年、東映初の自主制作の映画「銀河鉄道999」公開。大当たりとなった。
1981年 演出とアニメーターの研修生を新規採用。第一期の佐藤順一たちが想い出話を披露。
→この頃の作品は「ドクタースランプ」「とんがり帽子のメモル」「北斗の拳」「ドラゴンボール」「セーラームーン」
勝間田具治インタビュー。みなで飲みながら作品の批評をしていたとか、会社の人事もそこで決めていたとか、豪快エピソードの連発。続いて会長の森下孝三インタビュー。この人も「とにかく飲んでいた」とかそういう話。
1998年「東映アニメーション」に社名変更
1999年以降 「ワンピース」「おじゃ魔女どれみ」「プリキュアシリーズ」など、今でも人気作を作っています。