【SF小説】『SF小説の表紙はなぜキャラ絵ばかりなのか問題について』←ペリー・ローダンの表紙見て同じこと言えるの?

大気工場の反乱 (宇宙英雄ローダン・シリーズ619)

SF小説の表紙はなぜキャラ絵ばかりなのか問題について
https://anond.hatelabo.jp/20200701175011

・あるSF編集者が自分の担当したアンソロジー本(『日本SFの臨界点』と『2010年代SF傑作選』)の表紙を掲載し、そのツイートが広くバズった。
 
・それを見てある読者が twitter で以下のような発言を行い、反響を呼んだ。
 
「なんでSF小説とかアンソロの表紙って漫画・アニメ絵の女の子ばっかなの?恥ずかしくて持ち歩けないんだけど。自らターゲット狭めてマーケット小さくしてる気がする。(中略)誰も彼も「売れるから」で思考停止している気がしてならない。」

 
 日本で一番売れている(と信じたいし、そうあってほしい)SF小説の「宇宙英雄ローダン・シリーズ」の表紙を見ても同じこと言えるの? 6月18日に発売されたばかりの新刊の表紙が、これ

大気工場の反乱 (宇宙英雄ローダン・シリーズ619)

 よ? 一つでも反証がある以上、「ばかり」という言葉は誤りですな。まあ「キャラ絵が大半」というのなら否定はしませんが。
 
 
ネガ・プシの虹 (宇宙英雄ローダン・シリーズ618)
ネガ・プシの虹 (宇宙英雄ローダン・シリーズ618)