ダークサイドミステリー NHK https://www.nhk.jp/p/darkside/ts/4847XJM6K8/
放送 NHK BSプレミアム。毎週木曜夜9時放送。
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【※以下ネタバレ】
他の回の内容・感想
本当の謎は、人間の闇
背筋がゾワゾワ、心がドキドキ、怖いからこそ見たくなる。世界はそんなミステリーに満ちている。世間を揺るがした未解決の事件、常識を越えた自然の脅威、いにしえの不思議な伝説、怪しい歴史の記録、作家の驚異の創造力…。こうした事件・出来事を徹底再検証!
人智を超えた謎に迫る「幻解!超常ファイル」を拡大スピンオフ!今度は人間や自然が生み出した謎と恐怖に満ちた事件・伝説の正体に、栗山千明、志方あきこ、中田譲治のダークなトライアングルで引き続き迫ります。
悪魔と天使を呼んだ男 20世紀最大の魔術師 クロウリー伝説 (2021年9月16日(木)放送)
内容
ダークサイドミステリー[終]「悪魔と天使・20世紀最大の魔術師クロウリー伝説」
[BS4K] 2021年09月16日 午後9:00 ~ 午後10:00 (60分)
魔術とは何か?不可能を可能にする人類の夢?今から100年前に実在した魔術師アレイスター・クロウリーの生涯を通して、疑問に答えます。悪魔召喚!我は“666の獣”!
魔術復活!悪魔を召喚し戦う!守護天使からメッセージ!驚きの伝説を数多く残す魔術師アレイスター・クロウリーとは何者なのか?奇跡の真相は?人類史に常に存在した魔術とはそもそも何なのか?かつて世界的ミュージシャンたちに影響を与えた、生き方の預言とは?日本訪問で鎌倉の大仏に感動して取った、驚きの行動とは?魔術活動に世間からは批判の嵐!魔術は現実に勝てるのか?謎と神秘の男クロウリーの生涯とともに追跡する!
【ナビゲーター】栗山千明,【ゲスト】東北学院大学文学部教授…植松靖夫,西洋魔術研究家…江口之隆,【語り】中田譲治,【司会】青井実
今回のテーマは「魔術師アレイスター・クロウリー」。
●二十世紀最大の魔術師
アレイスター・クロウリー(1875~1947)は二十世紀最大の魔術師と呼ばれる人物。逸話はたくさんあり、例えば、
・1909年(34歳)。北アフリカ・アルジェリアで16世紀のエノク魔術により地獄の門を開き、悪魔コロンゾンを呼び出して自分に憑依させた。コロンゾンは美女、ヘビ、クロウリー自身などに次々と姿を変え、魔法陣の外の弟子に襲い掛かろうとしたが、弟子は魔法の剣で撃退した。
・1900年(24歳)。ネス湖湖畔の屋敷で15世紀のアブラメリン魔術を行い、天使を呼び出そうとするが、現れたのは悪魔「パイモン」「オリエンス」「アリトン」「アマイモン」四体と111匹のしもべだった。屋敷の使用人たちは狂乱して襲い掛かってきたり、自殺を図ったりした。
・1918年(42歳)。ニューヨーク五番街で、知り合いのジャーナリストに「新しい力を身につけた」と言って魔術を披露。外の通りを歩いている面識のない紳士の歩き方を真似しながら歩き、クロウリーが膝をつくと、紳士の方もがっくり膝をついた。
・生涯で147冊もの本を書き、魔術の啓蒙に努めた。代表作は54歳の時に書いた「魔術 理論と実践」で、万人向けの書物を謳い、それまで秘密とされていた様々な魔術に関する知識を惜しげもなく披露。
・社交的で冗談好きな性格だったとも。
等々。
●生い立ち
1875年イギリス生まれ。生家は大金持ちのため、本人もそれを鼻にかけた性格で周囲から浮いていた。敬虔なキリスト教信者である母親から厳しくしつけられたため、反感から自分を聖書に出て来る「666の獣」になぞらえるようになった。
1895年、20歳で名門ケンブリッジ大学に入学。180センチを超える長身で、頭も肉体も秀でていたが、酒・ドラッグ・女・男に溺れるという生活を送る。そんなある日、クロウリーは魔術に出合う。
魔術とは人間(ミクロコスモス)と宇宙(マクロコスモス)が相互に影響し合い、人間は宇宙から影響されるが、同時に人間も宇宙に影響を与えられる、といった考えの学問で、修行を積めば宇宙の真理に到達できる、とする。
クロウリーは反キリストの魔術に夢中になり、1898年(23歳)で大学を中退し、魔術結社「黄金の夜明け団」に入団した。
●黄金の夜明け団時代
「黄金の夜明け団」は1888年に設立された、オカルティズムを研究する組織。当時メンバーは約100人ほどおり、有名人も参加していた。しかし入団したクロウリーは、団で教えられる知識のレベルの低さに失望する。団員は10の階級があり、最下層から昇格していくことになるが、入団したばかりのクロウリーに与えられたカリキュラムは既に知っている事ばかりだった。
失望したクロウリーは、勝手に「儀式魔術」に取り組み、1899年にはネス湖のほとりの屋敷を購入して、アブラメリン魔術を行った。儀式では天使を呼び出すはずが悪魔を呼び出してしまい、使用人たちが錯乱したり自殺を図ったり、と大混乱になった。 ※番組のゲストによれば、これは現実の出来事ではなく、クロウリーの精神世界での話であろうとのこと。
クロウリーは団を猛烈な速度で昇格していくが、その急速な出世ぶりや、周囲を見下すような態度で団員たちから反感を買い、追放されてしまう。
●世界一周の旅へ
クロウリーはイメージと違ってアウトドア派で、登山ではスイスのアイガー・マッターホルン・ユングフラウを制覇するほど。そして友人に影響されて世界一周の旅に出発し、まずアメリカに向かい、メキシコで魔術修行をしつつメキシコ第二の高さの山ポポカテペトル火山を制覇。日本に到着すると鎌倉に行って感銘を受け出家を決意。それを思いとどまると、セイロンではヨガに熱中、世界二番目の高さの山K2では当時の最高記録の6525メートル地点まで到達している。
●エジプトでの神秘体験
1904年3月。エジプト・カイロで妻ローズマリーの前で水の精霊シルフを呼び出す儀式を披露していると、突然妻が「守護天使エイワス」と名乗り、4月8日から3日間予言をするので書き写すように指示した。そしてその通りにエイワスは様々な難解な内容を語った。
その趣旨は、人間には宇宙に定められた意志があり、内なる声との対話でそれを見つけ出しその意志通りに生きよ、というものだった。クロウリーはこの内容を「法の書」としてまとめた。この本の「汝の意志するところを行え。これこそ法の全てとならん」という言葉は、以後生涯をかけて追及していくこととなった。
●その後のクロウリー
1907年(32歳)でクロウリーは仲間三人と共に魔術教団「銀の星」を結成した。しかし、長女の病死、魔術に興味のない妻との関係の悪化・離婚、親からの遺産が底をついたこと、などの問題が次々と発生した。クロウリーたちは資金稼ぎのため、秘密にすべき魔術の儀式を入場料を取って劇場で公開したが、新聞ではうさんくさい見世物として叩かれる結果となった。
1920年(44歳)。クロウリーはイタリアに渡り、修行のための場「セレマの僧院」を作り、世界中から人が集まった。しかし1923年に修行者の若者が食中毒で死亡する事件が発生し、イタリアでも「若者から搾取している」など叩かれてしまい、わずか三年で追い出され、その後クロウリーは各地をさすらうことになった。
1925年(50歳)。クロウリーは魔術教団「東宝聖堂騎士団」総帥に就任。この頃から書物を通じて魔術を啓蒙する路線に転換。54歳の時に代表作「魔術 理論と実践」を発表した。これは万人に向けて魔術を解説する内容だった。
1947年12月(72歳)クロウリーは亡くなった。
感想
オカルト好きの間では、名前と「両手のこぶしの甲側を前に向けて、頬のあたりに構えている」写真がめちゃくちゃ有名な人ですが、何をしたのかさっぱり知らなかったので、なかなか面白く視聴できました。物凄いアウトドア派で登山家としても相当やる人だった、というのは初めて知りましたねぇ。
他の回の内容・感想は以下のリンクからどうぞ
perry-r.hatenablog.com
黒魔術の娘 (創元推理文庫)