【科学】感想:NHK番組「フランケンシュタインの誘惑 科学史 闇の事件簿 2021」『大英博物館 世界最大の泥棒コレクション』(2021年11月25日(木))

古代エジプトの魔術―生と死の秘儀 (mind books)

フランケンシュタインの誘惑 科学史 闇の事件簿 https://www.nhk.jp/p/ts/11Q1LRN1R3/
放送 NHK BSプレミアム

【※以下ネタバレ】
 
※他の回の内容・感想は以下のリンクからどうぞ
perry-r.hatenablog.com
 

科学は、人間に夢を見せる一方で、ときに残酷な結果をつきつける。
理想の人間を作ろうとした青年フランケンシュタインが、怪物を生み出してしまったように―
輝かしい科学の歴史の陰には、残酷な実験や非人道的な研究、不正が数多くあった。
そんな闇に埋もれた事件に光を当て、「科学」「歴史」「倫理」に迫るシリーズ。


ナビゲーター/ナレーション 吉川晃司 (ミュージシャン)

 

大英博物館 世界最大の泥棒コレクション (2021年11月25日(木)放送)

 
■内容

フランケンシュタインの誘惑「大英博物館 世界最大の“泥棒”コレクション」
[BSプレミアム] 2022年01月24日 午後5:16 ~ 午後6:04 (48分)


イギリスが誇る大英博物館。800万点以上の貴重な収蔵品の中でも人気の高い古代エジプト・コレクション。その多くは「違法」に集められ、無断で持ち出されたものだった―


今回はイギリスが誇る世界最大級の博物館・大英博物館。貴重な収蔵品の中でも人気なのが、ロゼッタストーンやミイラなど10万点を超える古代エジプト・コレクションだ。そのおよそ半分、4万点を収集した考古学者ウォーリス・バッジ。彼の収集方法は「違法」そのものだった。帝国主義の時代、軍事力を後ろ盾に現地の法令を無視してあの手この手で集められ、原産国から違法に持ち出した。人類の文化遺産。はたして誰のものなのか?


【ナビゲーター/ナレーション】吉川晃司

 
 今回のテーマは「考古学者ウォーリス・バッジ」。


●天才収集家誕生

 イギリスの考古学者ウォーリス・バッジ(1857~1934)は、エジプトやメソポタミアから考古学の文化遺産を違法に収集し、大英博物館に持ち帰った人物である。

 バッジは1857年にコーンウォール州で私生児として生まれる。貧しい暮らしの中で古代イスラエルの戦争物語に夢中になり、原語で読みたいと望み、学校はバッジに言語学者チャールズ・シーガーを紹介した。バッジはヘブライ語に加えシリア語も習得していった。

 10代初めに母親が他界し12歳で働き始めるが、シーガーはバッジを大英博物館に紹介し、考古学が学べるようにした。さらにシーガーは知り合いの元首相グラッドストンの力を借りて、バッジは22歳でケンブリッジに入学できた。バッジは奨学金を得て仕事を辞めて勉学に専念、アラビア語、古典エチオピア語、アッカド語も習得した。

 1883年に大英博物館に就職し、エジプト部門に配属された。バッジは古語古代エジプト文字も習得した。


 大英帝国は1882年にイギリスを征服した。1886年、バッジは29歳で古代の文化遺産の買い付けのためエジプトに渡った。英国総領事のイヴリン・ベアリングは、治安維持を優先しており、バッジにエジプトの文化遺産の国外持ち出し禁止を言い渡した。既に1880年エジプト考古学に関する文化遺産の国外持ち出しは禁止されていた。

 バッジは最初は普通に発掘を始めたが、成果が上がらないので、盗掘品の買い付けに方向転換した。語学力で現地の人間と直接交渉し、古代エジプト文字の知識で優れた遺産を見抜き、盗掘品と知りながら次々と購入した。盗賊たちも、エジプト考古局に見つかればとり上げられるか二束三文で買いたたかれるだけなので、喜んでバッヂに売った。

 遺産の国外持ち出しはベアリングに禁じられていたが、バッジはイギリス軍に頼み込み、中身を調べられない軍事貨物の名目でエジプト国内から運び出した。その点数は1500点にも及び、バッジはその成果で有名になった。


●至宝「アニのパピルス」の略奪

 「死者の書」とは、古代エジプトで、死者が死の世界で必要な呪文や祈祷文が書かれた書で、ミイラと共に埋葬される。古代エジプト人の死生観が書かれた貴重な資料である。特に「アニのパピルス」は美しい挿絵が書かれ、死者の書の中でも最上級の物と評価されている。

 1887年、バッジは再びエジプトに向かった。盗掘集団からの手紙で、立派な墓からパピルスの巻物が見つかったので、エジプト考古局が持ち出す前に取りにきてほしいとの要望があったからである。

 バッジは前回の行動で要注意人物としてマークされており、総領事ベアリングから文化遺産の国外持ち出しを止めるように警告された。さらにエジプト考古局長ウジェーヌ・グレボーからは違法行為には逮捕監禁もありうると脅されている。

 しかしバッジはそれらの言葉を完全に無視し、盗賊たちと共に墓に入り、盗掘に参加して「アニのパピルス」を手に入れた。そのあとエジプト考古局の差し向けた警官たちに逮捕されそうになるが、買収やその他の手段を駆使して逃れ、前回同様「アニのパピルス」を軍事貨物としてエジプトから持ち出したのである。



文化遺産の保護か 帝国主義の略奪か

 バッジは盗賊集団とのネットワークを構築し、エジプトのみならずメソポタミア地方でも文化遺産を収集していった。

 当時のイギリスでもバッジの行為を批判する人間は存在し、その一人がエジプト考古学の父と呼ばれたフリンダーズ・ピートリーだった。1887年、ピートリーは考古学とは博物館に展示するものをさがす事ではなく、古代の人々の暮らしを明らかにしていく学問だと非難した。しかし政府は、そのような批判に対して、大英博物館を信頼していると答えただけだった。

 1894年、バッジはエジプト・アッシリア部長に昇進。67歳で退官するまでに、エジプトから4万点、メソポタミアから5万点の文化遺産を収集した。

 バッジは自伝の中で、自身への批判に対して、考古学者がミイラを買わなければ、盗掘者たちはミイラを焼くだけだと主張し、文化遺産大英博物館で保護するのが正しいと言い張った。

 1934年、バッジ死去。享年77歳。



文化遺産は誰のものか

 第二次世界大戦以降、遺物の原産国から返還を求める声があがりはじめた。

 1970年、ユネスコは不法に取引された文化遺産の国外持ち出しを禁止する条約を定めた。返還を求められれば適切に対応しなければならないが、発行以前の取引には適用されない。

 1998年。ギリシャ大英博物館に返還を要求しているパルテノン神殿の彫刻群は、元々ペイントされていたが、大英博物館がそれをはがしていたことが判明し大騒ぎとなった。イギリス人の感覚では彫刻は真っ白が正しいため、文化財を保護するどころか、勝手に改変していたのである。

 2010年、中国やインドなど古代文明発祥の25カ国が文化遺産の返還を連携して求める事を宣言した。

 それに応じて、先進国も、2017年にはフランスのマクロン大統領がベナン共和国に遺物を返還、2021年には米国の聖書博物館がエジプトに遺物を返還した。しかし、大英博物館は、1753年の創設以来、一切の返還要求に応じていない。


感想

 いつもの酷い科学者の話ではなく、なんとなくもやーっとする類の話でした。それにしてもバッジの伝記を書いた作者が、バッジの大ファンらしく「バッジは正しい! 盗品の購入なんて当時みんなやっていた! 現地に置いていたってロクな管理がされないから大英博物館で保管するのが大正義!」と連呼しまくるのに苦笑いましたわ(笑)
 
 
 

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