ダークサイドミステリーE+ NHK https://www.nhk.jp/p/ts/ZG5NQK3K3P/
放送 NHK Eテレ。毎週火曜夜10時45分~11時15分放送。
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【※以下ネタバレ】
他の回の内容・感想
驚きと感動の「闇」が、地上波に登場!
BSプレミアムでシーズン4が4月14日(木)スタートする話題の番組「ダークサイドミステリー」。その名作の数々が、コンパクト30分版に見やすくなってEテレに登場!
背筋がゾワゾワ、心がドキドキ、怖いからこそ見たくなる。世界はそんなミステリーに満ちている。世間を揺るがした未解決の事件、常識を越えた自然の脅威、いにしえの不思議な伝説、怪しい歴史の記録、作家の驚異の創造力…。こうした事件・出来事を徹底再検証!
“怪しい歴史”禁断の魔力 ~あなたもだまされる!?~ (2022年6月14日(火)放送)
内容
ダークサイドミステリーE+ “怪しい歴史”禁断の魔力 あなたもだまされる!?
[Eテレ] 2022年06月14日 午後10:45 ~ 午後11:15 (30分)
あなたは信じてませんか?幕末夢のオールスター集合写真!?源義経は死なず、大陸に渡りチンギス・ハンに!?教科書に載らない怪しい歴史を徹底検証!ウワサの真相に迫る。
私たちの常識は間違いだった?坂本龍馬や西郷隆盛が一緒に写るお宝、夢の幕末オールスター集合写真は、消された歴史・闇の陰謀会議!?源義経は平泉で死なず北へ脱出、大陸に渡りモンゴル皇帝チンギス・ハンになった!?これは実際の証拠をもとに偉い学者も証明している?そんなロマンと魅力あふれる、しかし危険で怪しい闇の歴史を、徹底検証!なぜ人は怪しい歴史にだまされるのか?誰がニセ歴史を創るのか?真実は見えるか?
今回は「2019年6月13日放送回」のダイジェスト版。
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【ミステリー】感想:歴史ミステリー番組「ダークサイドミステリー」『“怪しい歴史”禁断の魔力 あなたもだまされる!?』(2019年6月13日(木)放送)
https://perry-r.hatenablog.com/entry/2019/08/13/201235
今回のテーマは「ニセ歴史」
幕末の志士が勢ぞろいした「オールスター大集合写真」が存在する? 慶応元年(1865年)に撮影されたという集合写真は、中央の外国人を取り囲むような形で44人の武士が写っているが、説明によるとここにいるのは、明治維新頃に活躍した超有名人たち、坂本龍馬、高杉晋作、西郷隆盛、桂小五郎、中岡慎太郎、伊藤博文、大隈重信、小松帯刀、大久保利通、などの反幕府勢力たちで、さらに驚くことに幕府側の大物・勝海舟までが収まっているという
明治維新の三年前に、幕府・反幕府の大物が一堂に会していた。つまり明治維新とは幕府側と志士側が裏で手を組んでいた、一種の八百長だったのか!?
この写真は長崎の写真家・上野彦馬の家のスタジオで撮影されたとされているが、この写真を撮影できるようなスタジオは慶応四年/明治元年でないと存在しない。しかし慶応四年には坂本龍馬、高杉晋作、中岡慎太郎は既に死んでおり、ここに写っているのはおかしい。
また明治元年10月に佐賀藩士を撮影した別の写真では、大集合写真の外国人と「中岡慎太郎、横井小楠、高杉晋作、岩倉具視、大隈重信」とされる人物が写っている。
実は「大集合写真」は佐賀藩士の子孫が持っていた写真として、既に別の人たちを写した写真という事が判明している。この写真は、明治元年(1968年)に、日本で英語などを教えていた宣教師グイド・フルベッキが、彼の教え子で佐賀藩の英学校「致遠館(ちえんかん)」生徒の佐賀藩士たちと共に写した写真、通称「フルベッキ写真」と言われるものである。
では、なぜその写真が「幕末志士オールスター大集合写真」などと言われるようになったのか? 話は昭和40年代に遡る。その頃日本は明治維新の志士たちがドラマなどで大人気となっていた。そして昭和49年(1974年)に肖像画家・島田隆資氏が、雑誌「日本歴史」で、この写真には有名志士が写っているという説を主張したのが始まりである。島田氏は既存の肖像画とこの写真の人物を比較し、最終的に23人の有名志士が写っていると断定した。そしてその中には、写真が一枚も残っていないとされる西郷隆盛も写っていると主張したのである。
時は流れて昭和55年(1980年)、大隈重信たちの故郷の佐賀県の佐賀新聞で、この写真が「幕末志士オールスター大集合写真」として紹介された。さらに五年後の昭和60年(1985年)には、鹿児島出身の政治家・二階堂進がこの写真を当時の中曽根首相に見せるシーンがニュースになっている。東京新聞は、記事でこの写真を取り上げ、この写真は佐賀藩士を写したもの、と確定して、これで一件落着した……はずだった。
ところが、平成13年(2001年)には、また佐賀でこの写真が「幕末志士オールスター大集合写真」として有田焼に焼き込まれて100万円で発売された。しかもその写真では44人全員の名前が「特定」されていた。この時もすぐに東京新聞が偽物と否定されたものの、以後、何度否定されても、この写真は「幕末志士オールスター大集合写真」として蘇ってきてしまっているのである。
●源義経とチンギス・ハンは同一人物だった?!
源義経は1189年に31歳で死んだ事になっている。しかし「実は義経は生き延びて大陸に渡り、チンギス・ハンと名前を変え、大帝国を建設した」という説を、昔の日本人は大まじめに信じていた。
大正13年(1924年)に、小谷部全一郎(おやべ・ぜんいちろう)という牧師・教育者が「源義経=チンギス・ハン」説を唱えた「成吉思汗ハ源義経也」という本が大ベストセラーとなった。小谷部は、義経とチンギス・ハンを比較し、家紋が似ている、旗印も似ている、なにより馬を使った戦い方が共通する、云々の理由から、両者は同一人物だと主張した。
もっとも「源義経=チンギス・ハン」と言っているのは日本人だけで、モンゴル側にはそんな話は全く無い。チンギス・ハンは、いつ生まれ、親は誰で、ということがはっきり記録が残っている。源義経が入り込む余地はない。
しかし、「源義経=チンギス・ハン」説は小谷部がいきなり唱えたのではなく、あのシーボルトもその説を唱えたりしている。そして、この説は300年間の日本人の願いが作り出したものだった。
東北には「義経は本当は死んでなくて生き延びた」という言い伝えがあちこちに残っている。徳川光圀や林羅山たちも「義経は蝦夷に落ちのびた」云々という事を書きしるしている。もっとも、民衆の中で「不慮の死を遂げた英雄は実は死んでいなかった」と語られることは世界中に見られる事例である。
・義経 願望伝説第2段階:義経の子孫が大陸ですごいことに!?
1800年頃、蝦夷地調査のため派遣された間宮林蔵は、さらに樺太を経て大陸に渡り、現地人から「義経がこの地に来て、そのあと彼の子孫が中国の皇帝になった」云々という話を聞いたと言う。つまり大陸を支配した皇帝が日本人だという事になる。
・義経 願望伝説第3段階:もし義経がチンギス・ハンであれば……!
明治の外交官・末松謙澄もまた明治12年に「源義経=チンギス・ハン」説を主張した。なぜなら、当時の日本はヨーロッパから東洋の弱小国と馬鹿にされていたが、もしチンギス・ハンが日本人なら、日本人が興したモンゴル帝国がヨーロッパの国々を脅かしたことになり、ヨーロッパの国々を見返すことができるからである。
やがて日本は日清・日露戦争の勝利のおかげで、大陸に進出していくようになった。そんななか、大正13年(1924年)に小谷部「成吉思汗ハ源義経也」が出版される。日本人の義経が大陸で大活躍した、という話は日本人の心をとらえるものだった。もっとも当時の学者たちはこの説を完全否定し、確かな証拠が無いと切り捨てたが、小谷部は「学者は証拠にこだわり過ぎる」と反論し、全く話がかみ合わなかった。
その後大陸に進出を続けた日本は泥沼の満州事変・日中戦争へと突入していくのである……
●教訓
もし誰かが「学者が隠す歴史の真実がある」など言っていたら疑ってかかるべきである。「うまい話には大抵裏がある」のだから。