【歴史】感想:NHK番組「決戦!源平の戦い」(2022年4月9日(土)放送)

源平合戦事典

決戦!源平の戦い NHK https://www.nhk.jp/p/ts/6GLG2K7N4N/
放送 NHK BSプレミアム。2022年4月9日(土)

www.nhk.jp
【※以下ネタバレ】
 

決戦!源平の戦い
日本を変えた一大決戦 幻の戦場がよみがえる


鳥羽伏見、関ヶ原大坂の陣…歴史を動かした「決戦」。
戦いの裏に秘められた真相が明らかに!
最新研究と本格ドラマでよみがえる激戦絵巻。


放送は4月9日(土)よる9時から BSプレミアム・BS4K両方で

 

決戦!源平の戦い
[BSプレミアム] 2022年09月11日 午後1:00 ~ 午後3:00 (120分)


大河ドラマで注目の源平の戦い。大実験と本格ドラマで挑む新しい合戦絵巻。一の谷の戦い、鵯越の逆落としをしたのは源義経ではなかった!?壇の浦の戦いをAIで徹底調査!


大河ドラマ「鎌倉殿の13人」で注目される源平の戦い。今回は、日本を変えた源氏と平氏の激戦に新しい切り口で挑む。見所は、大規模な実験と本格ドラマだ。源義経屈指の名場面・一の谷の戦いでは、鵯越の逆落としをしたのは義経ではなかった説を紹介。平家が築いた鉄壁の守りをどう打ち破ったのか大実験する。壇の浦の戦いでは、AIで海戦をシミュレーション。平家滅亡の知られざる真相に迫る。新解釈でよみがえる幻の合戦絵巻。


出演者ほか
秋元才加村井美樹武田航平,崎山つばさ,須賀貴匡麿赤兒

 

内容

●平家は弱かったのか

 源平の戦いで、平家が負けた理由は、通説では「平家は都の暮らしで貴族化して軟弱になってしまい、勇猛な関東武士の源氏に負けてしまった」ということになっていた。しかしこれは事実とは異なる。

 平家は当時京の都の治安維持を担当しており、京最強の戦闘集団だった。また京には鎧や弓を作る最高の職人たちが揃っており、最高クラスの武器・防具を入手できた。


 さらに源平の主要な戦いの勝敗を見てみると

宇治の戦い ○平家 - ×源氏
石橋山の戦い ○平家 - ×源氏
富士川の戦い ×平家 - ○源氏
墨俣川の戦い ○平家 - ×源氏
倶利伽羅峠の戦い ×平家 - ○源氏
水島の戦い ○平家 - ×源氏
室山の戦い ○平家 - ×源氏
一ノ谷の戦い ×平家 - ○源氏
八島の戦い ×平家 - ○源氏
壇の浦の戦い ×平家 - ○源氏

と勝敗は互角、中盤までは平家が勝っていたのである。


 これは平家が政府側、源氏が反乱軍、ということで、兵の確保や兵站(食料調達など)で平家側が有利だったため。ではなぜ平家が負けてしまったのか。

 京から遠く離れたところて、源頼朝源義仲甲斐源氏、が同時に反乱を起こしたため、それを制圧するために遠征したものの、食料補給などが上手く出来ず、士気が低下した結果、反乱軍に負けてしまったのである。

 そのため、平家は態勢立て直しのため、一旦京を放棄して、瀬戸内海方面に脱出した。平家は海賊退治をしていたため、水の戦いに強かった。



●水島の戦い

 水島の戦いで、指揮官・平知盛はある指示を出したことが解っている。それは船二艘を並べて横に板を渡し、足場を作る、というものだった。

 実際に実験してみると、一隻の船から弓で射ようとしても、船が揺れて足場が安定せず、思う様に射ることができない。しかし二隻の間に板を渡すと、船の揺れが小さくなり、遥かに安定して射ることができるようになった。

 また戦いの有った1183年11月17日は、金環日食が発生した。平家側はあらかじめそれを知っており、兵たちに周知していたので動揺は無かったが、逆に全く未知の現象に源氏側の兵は混乱してしまい、平家に大敗したのだった。



●新たなる都・福原

 平家は水島の戦いの後、福原(現在の神戸)に拠点を構えて、防衛体制を敷いた。平家は安徳天皇、さらに三種の神器(剣、勾玉、鏡)を握っており、福原を新しい首都にしようと考えていた。

 平家は源氏の攻撃に備え、福原の東側の生田の森に防衛陣地を建設した。その防御策は「逆茂木(さかもぎ)」「堀」「盾」の三段構えだった。逆茂木とは木の枝を相手側に向けたもの、堀は地面をV字型に深さ2メートルほど掘り、さらに堀を登ったところに盾を構えた。


 実際に実験してみると、攻撃側は、逆茂木でからめとられてなかなか先に進めず、逆茂木を突破しても次に堀に転落してその底から這いあがることは困難、そして堀の上からは高低差が有るので楽に攻撃でき、攻める方はいくら攻撃しても盾に邪魔され、と、手も足も出ず、あっという間に全滅してしまった。


 福原は、東側の生田の森は平知盛が守り、西側は一ノ谷に防衛拠点を置き、北は山なので騎馬攻撃は困難、と難攻不落の要塞に思われた。



鵯越の逆落とし

 平家の籠る福原に対し、源氏側は、東側から源範頼軍が全体の七割、西から源義経軍が全体の三割、で攻撃した。この時の戦いで有名なのが、源義経による一ノ谷での鵯越の逆落とし。ところが、そもそも「一ノ谷」と「鵯越」は全然別の場所で、8kmも離れている。鵯越は福原の近くにある場所である。また鵯越から攻撃したのも義経ではないとされる。

 当時の資料によれば、鵯越から下って福原を攻撃したのは、現地の武将・多田行綱(ただ・ゆきつな)だったとされている。

 本当に鵯越から馬で下れるのか、を実験してみると、下り坂は30~40度の角度があったが、30度ならば問題無く降りてゆけ、40度でも滑るような感じで下ることが出来た。

 福原が奇襲を受けて焼き討ちされたことで、平家は撤退せざるを得なかった。何故「鵯越の逆落とし」が義経の手柄に化けてしまったのか? 現在はもちろん当時も「多田行綱」は有名では無かったので、一の谷攻撃の指揮官だった義経ばかり有名になり、いつの間にか逆落としも義経の手柄になってしまったのではないか?



●壇の浦の戦い

 源平の最終決戦・壇の浦の戦い。平家側は、九州に拠点を置く山鹿水軍の山鹿秀遠を味方につけて500隻の船を確保。しかし義経の方も、各地の水軍に連絡を取り、大阪湾の渡辺党・紀伊熊野水軍・伊予の河野水軍を味方につけ、840隻の大船団を味方につけていた。

 通説では、壇の浦の戦いは、最初は平家に有利な東向きの潮の流れが、やがて源氏有利の西向きの流れに変わってしまい、最終的に源氏が勝利した、と言われていた。ところが当日1185年4月25日の潮の流れを調べると、一日東向きだった事が判明し、通説は崩れ去ってしまった。

 しかしコンピューターシミュレーションしてみると、「還流」という渦によってできた西向きの流れもあったことが解った。

 当日義経は平家側の船の非戦闘員の舟のこぎ手を射殺させたことが解っている。また九州にいた源範頼が陸地から援護射撃をしたという記録も残っていた。

 「還流」「こぎ手を射殺」「源範頼」は一つ一つでは意味がないが、これらの要素を組み合わせて戦いをコンピューターでシミュレートすると、漕ぎ手を失い漂流状態の平家の船が還流で陸地「田野浦」に流され、そこで待ち構えていた範頼軍が矢を射かけて次々と平家を打ち倒していった、という図が見えてきた。もし義経が全てを計算して戦っていたのなら、凄い作戦家という事になる。

 戦いに敗れた平家方は、安徳天皇は海に消え、平知盛は体に錨を巻き付けて海に飛び込んだ。三種の神器の一つ・宝剣もその時海に没したとされる。


感想

 何の気なしにタイトルだけ見て念のため録画した番組なのですが、いやー、良かった良かった。


 これは、昨年(2021年)12月30日に放送した「決戦!大坂の陣

【歴史】感想:NHK番組「決戦!大坂の陣」(2021年12月30日(木)放送)
https://perry-r.hatenablog.com/entry/2022/01/04/233026

perry-r.hatenablog.com


 の関連作品というか、同じシリーズの番組みたいですが、今年の4月9日に本放送、6月に再放送された番組とのこと。何度見逃しているんだよ、オレ! 今回も危うく見逃すとこだったし! 情報収集できてなさ過ぎやん!

 ハァハァ、それはまあとにかく、この番組もひじょーに面白かった。「歴史的に有名なイベントがテーマ」で「リアルにやってみて試したり、コンピューターシミュレーションを行ってもらったり、で、新事実を掘り起こす」というスタンスが、やはり以前にNHKで放送していた「風雲!大歴史実験」に似たところがあり、見ごたえたっぷりでした。


 ちなみに、今回、番組中の映像シーンで平知盛を演じたのは、仮面ライダービルドに出演していた「仮面ライダーグリス」こと武田航平氏でした。義経の卑怯戦法に「これが東国のもののふの戦い方かぁぁ?!」と激怒するシーンとかカッコよかった~。
 
 
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