ダークサイドミステリーE+ NHK https://www.nhk.jp/p/ts/ZG5NQK3K3P/
放送 NHK Eテレ。毎週火曜夜10時45分~11時15分放送。
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【※以下ネタバレ】
他の回の内容・感想
驚きと感動の「闇」が、地上波に登場!
BSプレミアムでシーズン4が4月14日(木)スタートする話題の番組「ダークサイドミステリー」。その名作の数々が、コンパクト30分版に見やすくなってEテレに登場!
背筋がゾワゾワ、心がドキドキ、怖いからこそ見たくなる。世界はそんなミステリーに満ちている。世間を揺るがした未解決の事件、常識を越えた自然の脅威、いにしえの不思議な伝説、怪しい歴史の記録、作家の驚異の創造力…。こうした事件・出来事を徹底再検証!
超能力の謎を解明せよ!~千里眼事件の光と闇~ (2022年5月31日(火)放送)
内容
ダークサイドミステリーE+「超能力の謎を解明せよ!~千里眼事件の光と闇~」
[Eテレ] 2022年05月31日 午後10:45 ~ 午後11:15 (30分)
「先生!千里眼の女の謎を解いてください」「どんと来~い!」と明治の一流学者たちが超能力解明に挑んだ初の実験・研究。日本中が大騒ぎした意外な経緯と驚きの結末とは?
世界的な大発見!超能力の秘密は「京大光線」?明治日本の科学者たちが謎の力を解き明かした?透視能力「千里眼」をもつ女性を対象に行われた、日本初の科学実験。その記録を詳細に調べると浮かび上がるのは、大発見の喜びの裏に忍び寄る、不正疑惑!派閥闘争!内部告発!混乱のなか日本全体を巻き込んだ騒動は、意外な結末へ。いったい科学者や「千里眼の女」そして日本社会に何が起きたのか?知られざる超能力実験の真相に迫る。
今回は「2021年4月8日放送回」のダイジェスト版。
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【歴史】感想:歴史番組「ダークサイドミステリー」シーズン3(2021年版)「超能力の謎を解明せよ!~千里眼事件の光と闇~」(2021年4月8日(木)放送)
https://perry-r.hatenablog.com/entry/2021/09/30/024140
今回のテーマは「千里眼の研究」。
●御船千鶴子の透視
19世紀末~20世紀初頭は、X線・放射線など、物理の世界で目に見えないものが実在する、ということが明らかになっていたころだった。
明治42年(1909年)5月、東京帝国大学の心理学者で催眠を専門とする福来友吉(ふくらい・ともきち)は、熊本にいる千里眼能力者・御船千鶴子(みふね・ちづこ)を研究するように依頼される。千鶴子は催眠術をかけられたことで千里眼能力に目覚めたというのである。
翌・明治43年(1910年)4月9日、福来は熊本で千鶴子の能力を検証した。その方法は、伏せた名刺50枚の中から一枚を無作為に選び、それを錫の茶壷に入れ、蓋を紙で封印した上で、中の名刺の文字を透視させる、というものだった。千鶴子は集中するためと言って、茶壷を持って一人で隣の部屋に行って後ろ向きに座り、中身を透視した。この実験での的中率は83パーセントで、とても偶然で出る数字では無かった。
しかし、この実験で透視能力が証明できたとは言い難かった。千鶴子は福来たちに後ろ向きで座って透視するので、茶壷の封印をはがして中をのぞき見したとしても解らないのである。
そこで福来は実験方法を変え、潰した鉛管の中に名刺を入れ、それをハンダで封印し、その中身を透視してもらう事にした。9月2日、京都で実験が行われるが、千鶴子は全ての透視に失敗した。実験四日目。立会人が全員外出し、福来しか居ないときに、突然千鶴子が実験を願い出てきた。そして封印した鉛管での透視実験にすべて成功。福来は千鶴子の能力が本物だと確信した。
●公開実験
9月14日。今度は東京で千鶴子の千里眼の公開実験を行うことになり、検証のため、東京帝国大学の元総長にして物理学の重鎮・山川健次郎をはじめとする、物理学・医学・哲学の学者合計9人を集まった。
実験では、山川が文字を書いた紙を封印した鉛管20個を持ち込み、その中から無作為に一個を選んで千鶴子に渡し、それを透視させた。すると千鶴子は鉛管の中の紙に書かれていた文字「盗 丸 射」を見事言い当てた。ところが、山川は、自分が用意した鉛管にはそのような文字の組み合わせは無かったと言い出し、その場は大騒ぎとなった。
福来が千鶴子を問いただすと、山川の用意した鉛管では上手く透視できなかったので、昨日福来に練習用にもらった鉛管を透視したと白状した。しかし山川たちは特に気にせず、三日後の再実験では、実験方法を変更し、千鶴子が慣れている茶壷を使った実験を行い、こちらでは千鶴子は全てを的中させた。
これで千鶴子の能力は学者お墨付きとなり、以後日本全国で千里眼ブームが発生、各地で自称・千里眼能力者たちが次から次から出現する事態となった。
●長尾郁子登場
11月、福来は香川県丸亀市に住む新たな千里眼能力者・長尾郁子の元に出向いた。郁子は千鶴子と違い、学者の目の前で隠すところなく透視をするということで、福来は郁子は千鶴子よりより優れた千里眼であると考えた。そして、千鶴子より研究がしやすいというメリットがあった。
ところが、そこに、明治30年に創立したばかりで知名度を欲していた京都帝国大学が割り込んできた。京都帝大は、文科大学心理学科三回生の学生・三浦恒助(みうら・つねすけ)を送り込み、千里眼研究を開始したのである。
11月19日、三浦は郁子に様々な条件で透視をしてもらい、きちんと形を読み取っていること、色も見分けられること、等を確認した。さらに写真乾板の上に十字型の鉛を貼り付けた物を透視してもらうと、乾板が感光していることが解り、これは郁子が未知の光を放射して透視していることを示唆しているように思われた。
三浦は12月26日、新聞記者に対し、その光線の事を「京大光線」と命名するようなことを話し、それが記事として出た。しかしその先走りが京都帝大上層部の逆鱗に触れて、全て「三浦が勝手にやったこと」扱いされてしまい、そのまま京大は研究から撤退した。
●念写実験
福来は、郁子が乾板を感光させられるなら、狙った文字を乾板に焼き付けることができるのではと考え、郁子に「念写」を依頼した。そして12月29日に念写実験が行われ、郁子は依頼した漢字を次々と念写に成功し、福来はこれを「精神写真」と呼び、実験の成功は大々的に報じられた。
ところが、翌・明治44年(1911年)1月16日、東京帝大の講師で実験を手伝った藤教篤(ふじ・きょうとく)は、郁子の念写は全て手品だと記者の前で批判した。あらかじめボール紙か何かで文字の形を切り取っておき、それを感光させているだけだというのである。郁子は実験の前、慣れるためと称して別室に実験用の器材を保管させておくように指示しており、その間に郁子側の人間が細工する余地はいくらでもあった。
これを受けて学者たちから批判の声が巻き起こり、福来の味方の筈だった山川健次郎も批判に回ったことで、福来は孤立してしまった。
●千里眼研究のその後
直後、御船千鶴子が原因不明の自殺(24歳)、長尾郁子が病死(39歳)、と、能力者の死が相次ぎ、千里眼研究は事実上終焉を迎えたのだった。
感想
ホラー小説「リング」の元ネタとして有名な三船千鶴子らの千里眼実験のお話。まあ普通に考えると千鶴子は完全にアウトですよね……
今回気が付いたのですが、この番組は、BSプレミアムの内容をそのまま切り貼りして短縮しているのではなく、中田譲治氏のナレーションは新たに収録し直していました。結構手間かけているのかも。