【歴史】感想:歴史番組「ダークサイドミステリー」シーズン3(2021年版)「超能力の謎を解明せよ!~千里眼事件の光と闇~」(2021年4月8日(木)放送)

透視も念写も事実である  ――福来友吉と千里眼事件

ダークサイドミステリー NHK https://www.nhk.jp/p/darkside/ts/4847XJM6K8/
放送 NHK BSプレミアム。毎週木曜夜9時放送。

www.nhk.jp
【※以下ネタバレ】
 

他の回の内容・感想

perry-r.hatenablog.com
 

本当の謎は、人間の闇


背筋がゾワゾワ、心がドキドキ、怖いからこそ見たくなる。世界はそんなミステリーに満ちている。世間を揺るがした未解決の事件、常識を越えた自然の脅威、いにしえの不思議な伝説、怪しい歴史の記録、作家の驚異の創造力…。こうした事件・出来事を徹底再検証!
人智を超えた謎に迫る「幻解!超常ファイル」を拡大スピンオフ!今度は人間や自然が生み出した謎と恐怖に満ちた事件・伝説の正体に、栗山千明志方あきこ中田譲治のダークなトライアングルで引き続き迫ります。

 

超能力の謎を解明せよ!~千里眼事件の光と闇~ (2021年4月8日(木)放送)

 

内容

ダークサイドミステリー「超能力の謎を解明せよ!~千里眼事件の光と闇~」
[BS4K] 2021年04月08日 午後9:00 ~ 午後10:00 (60分)


超能力は実在するのか?明治を代表する学者たちが「千里眼の女」を調べた日本初の科学実験、知られざる経緯と驚きの結末とは?未知に挑む人々の栄光と挫折の真相に迫る。


世界的な大発見!超能力の秘密は「京大光線」?明治日本の科学者たちが謎の力を解き明かした?透視能力「千里眼」をもつ女性を対象に行われた、日本初の科学実験。その記録を詳細に調べると浮かび上がるのは、大発見の喜びの裏に忍び寄る、不正疑惑!派閥闘争!内部告発!混乱のなか日本全体を巻き込んだ騒動は、意外な結末へ。いったい科学者や「千里眼の女」そして日本社会に何が起きたのか?知られざる超能力実験の真相に迫る。


【ナビゲーター】栗山千明,【ゲスト】横浜国立大学教育人間科学部教授…一柳廣孝新潟大学人文学部教授…井山弘幸,【語り】中田譲治,【司会】青井実

 
 今回のテーマは「千里眼の研究」。


御船千鶴子の透視

 20世紀初頭は、X線放射線など、物理の世界で目に見えないものが実在する、ということが明らかになっていたころだった。


 明治42年(1909)5月、東京帝国大学の心理学者で催眠を専門とする福来友吉(ふくらい・ともきち)は、熊本にいる千里眼能力者・御船千鶴子(みふね・ちづこ)を研究するように依頼される。

 翌年・明治43年(1910)4月8日、福来は熊本に出向き、千鶴子の能力を検証した。それは伏せた名刺50枚の中から一枚を無作為に選び、それを錫の茶壷に入れ、蓋を紙で封印し、中を透視させる、というものだった。千鶴子は集中するためと言って、茶壷を持って一人で隣の部屋に行って後ろ向きに座り、中身を透視した。この実験での的中率は83パーセントで、とても偶然で出る数字では無かった。

 しかし、この実験で透視能力が証明できたとは言い難かった。千鶴子は福来たちに後ろ向きで座って透視するので、茶壷の封印をはがして中をのぞき見したとしても解らないのである。

 そこで福来は実験方法を変え、潰した鉛管の中に名刺を入れ、それをハンダで封印し、その中身を透視してもらう事にした。9月2日、実験が行われるが、千鶴子は全ての透視に失敗した。福来は条件を緩和し、鉛管のふちを切って中身が取り出せるような形にして改めて透視してもらうと、今度は完全的中した。しかしまた封印した鉛管で透視をしてもらうとやはりすべて失敗した。

 実験四日目。立会人が全員おらず福来しかいないときに、突然千鶴子が実験を願い出てきた。そして封印した鉛管での透視実験にすべて成功。福来は千鶴子の能力が本物だと確信した。



●公開実験

 9月14日、東京帝国大学の元総長で物理学の重鎮・山川健次郎をはじめとする、物理学・医学・哲学の学者合計9人を集めて、千鶴子の千里眼の公開実験が行われた。

 実験では、山川が文字を書いた紙を封印した鉛管20個を持ち込み、その中から無作為に一個を選び、透視させたところ、千鶴子は見事「盗丸射」と書かれた文字を言い当てた。ところが、山川が持ち込んだ鉛管にはそのような文字の組み合わせは無いと解り、大騒ぎとなった。しかも透視した鉛管は山川が持ち込んだものとは形が違っていた。

 福来が千鶴子に聞くと、山川の鉛管は上手く透視できなかったので、昨日福来に練習用にもらった鉛管を透視したと白状した。しかし山川たちは特に気にせず、三日後の再実験では、千鶴子が慣れている茶壷を使った実験を行い、そちらでは千鶴子は全てを的中させた。

 これで千鶴子の能力は学者お墨付きとなり、以後日本全国に千里眼能力者たちが次から次から出現する事態となった。その流れで千里眼ゲームという物まで発売され、世間は千里眼ブームとなったのである。



●長尾郁子登場

 11月、福来は新たな千里眼能力者・長尾郁子の元に出向いた。郁子は香川県丸亀市に住んでおり、千鶴子と違い、学者の目の前で透視をして見せたので研究がしやすいというメリットがあった。

 ところがそこに、明治30年に創立したばかりで知名度を欲していた京都帝国大学が割り込んできた。京都帝大は文科大学心理学科三回生の学生・三浦恒助(みうら・つねすけ)を送り込み、研究を始めたのである。三浦は日本各地で千里眼能力者と会っており、この任務に適任だった。

 11月19日、三浦は郁子に様々な条件で透視をしてもらい、きちんと形を読み取っていること、色も見分けられること、等を確認した。さらに写真乾板の上に十字型の鉛を貼り付けた物を透視してもらうと、乾板が感光していることが解ったのである。これは郁子が未知の光を放射して透視していることを示唆しているように思えた。

 三浦は12月26日、新聞記者に対し、その光線の事を「京大光線」と命名するようなことを話し、それが記事として出た。しかしその先走りが京都帝大上層部の逆鱗に触れて、全て「三浦が勝手にやったこと」扱いされてしまった。さらに郁子側からも、同じような実験を何度も何度もやらされて耐えられない、との理由で以後の協力を断られてしまった。



●念写実験

 福来は、乾板を感光させられるなら、狙った文字を乾板に焼き付けることができるのではと考え、郁子に「念写」を依頼した。そして12月29日に念写実験が行われ、郁子は依頼した漢字を次々と念写に成功し、福来はこれを「精神写真」と呼んだ。実験の成功は大々的に報じられた。

 ところが、翌年・明治44年(1911)1月16日、東京帝大の講師で実験を手伝った藤教篤(ふじ・きょうとく)は、郁子の念写は全て手品だと記者の前で批判した。あらかじめボール紙か何かで文字の形を切り取っておき、それを感光させているだけだというのである。郁子は実験の前、慣れるためと称して別室に実験用の器材を保管させておくように指示しており、その間に郁子側の人間が細工する余地はいくらでもあった。物理学者の山川健次郎も批判に回ったことで、福来は孤立した。



千里眼研究の終焉

 1月18日、御船千鶴子が自殺してしまった。理由は諸説あり不明。その一か月後には長尾郁子がインフルエンザによって死去。能力者の相次ぐ死によって千里眼研究は事実上ストップした。

 大正2年(1913)年、福来は「透視と念写」という本を発表し、以後は心理学者ではなく心霊研究家として活動していくことになった。


感想

 本物だったのか偽物だったのかあいまいなままに終わってしまった千里眼騒動の回。しかし、個人的な意見としては、郁子も怪しさはかなりの物なのですが、千鶴子に至ってもはや完全にアウトというかインチキだったんじゃないんですかね。結果見たらそうとしか思えませんよねぇ?
 
 

光と闇のナビゲーター 栗山千明
MC 青井実 (アナウンサー)
語り 中田譲治
テーマ音楽 志方あきこ

 
 

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千里眼事件
千里眼事件―科学とオカルトの明治日本 (平凡社新書)