【歴史】感想:歴史番組「ダークサイドミステリー」シーズン4(2022年版)「マリリン・モンローとハリウッドの闇 ~映画に夢を求め続けて~」(2022年8月4日(木)放送)

マリリン・モンロー / 永遠のセクシーアイコン [DVD]

ダークサイドミステリー NHK https://www.nhk.jp/p/darkside/ts/4847XJM6K8/
放送 NHK BSプレミアム。毎週木曜夜9時放送。

www.nhk.jp
【※以下ネタバレ】
 

他の回の内容・感想

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本当の謎は、人間の闇


シーズン4スタートしました!
今年度はなんと、地上波・Eテレで毎週(火)夜10:45放送の、名作の数々のコンパクト29分版と同時期放送です!
背筋がゾワゾワ、心がドキドキ、怖いからこそ見たくなる。世界はそんなミステリーに満ちている。世間を揺るがした未解決の事件、常識を越えた自然の脅威、いにしえの不思議な伝説、怪しい歴史の記録、作家の驚異の創造力…。
人智を超えた謎に迫る「幻解!超常ファイル」のスピンオフ!
栗山千明中田譲治志方あきこのダークなトライアングルに加え、伊藤海彦アナウンサーも参加!

 

マリリン・モンローとハリウッドの闇 ~映画に夢を求め続けて~ (2022年8月4日(木)放送)

 

内容

ダークサイドミステリー▽マリリン・モンローとハリウッドの闇~映画に夢を求めて
[BS4K] 2022年08月04日 午後9:00 ~ 午後10:00 (60分)


魅惑のスターがひそかにあらがった映画業界の闇。セクハラ、ヌードスキャンダル、俳優の権利…。死後60年、映画に未来を夢見たひとりの女性の“私らしく生きる”戦い。


8月5日で、マリリン・モンローの死からちょうど60年。魅惑のスターのサクセスストーリーに秘められた“私らしく生きる”知られざる戦いとは?映画の夢に自分の未来を託したひとりの女性の、あなたを勇気づける物語。▽新人時代、弱い立場につけこむ性暴力の卑劣なワナ。ヌード疑惑スキャンダルやセクハラの闇に、マリリンはどう声を上げたのか?不当に低い俳優の権利をめぐり業界大手に挑んだ、俳優人生をかけた戦いの行方は?


【ナビゲーター】栗山千明,【ゲスト】立命館大学 映像学部教授…北野圭介,【出演】松本侑子,【声】田中美里,【語り】中田譲治,【司会】伊藤海彦

 
 今回のテーマは「マリリン・モンロー


●映画界へ

 マリリン・モンロー、本名ノーマ・ジーン・ベイカー(1926~1962)は、1926年ロスアンゼルス生まれ。生まれてすぐに父親が蒸発し、母に育てられるものの、7歳の時に母親が重病となり、以後12もの里親の間をたらいまわしにされる生活を送る。そんな生活の中で映画業界へのあこがれを募らせた。

 18歳の時にモデルになり、1945年8月、20歳の時に20世紀FOXと契約を結ぶ。しかし週給75ドル(27,000円)の一年契約で、エキストラか、台詞がニ~三語の端役ばかりだった。

 当時のハリウッドでは、権力を持つ会社重役が、女優に役と引き換えに性的行為を要求する「キャスティング・カウチ」というセクハラが当たり前のようにまかり通っていた。マリリンは男社会の映画業界で屈辱を強いられた。

 やがてマリリンは契約切れで20世紀FOXをクビになった。すぐに別会社と契約できたものの、社長からあからさまに性行為を要求され、断ると即刻クビにされた。

 しかしマリリンは、後にモンロー・ウォークと呼ばれる独特の歩き方を編み出して個性を出し、それが大物エージェント・ジョニー・ハイドの目に留まった。二人は恋人となり、ハイドの助けでマリリンは1950年に「アスファルト・ジャングル」「イヴの全て」という話題作に立て続けに出演した。



●大衆に支持される存在へ

 マリリンが23歳の時、改めて20世紀FOXと「週給500ドル(18万円)の7年契約」を結んだ。時代がセクシーな女優を求めていたことがあり、マリリンの人気は徐々に上昇していった。

 そんな中、1952年1月、「ヌードカレンダーに写っているのはマリリンでは?」という噂が流れた。会社の幹部はマリリンに完全否定するように命令したが、3月13日、マリリンは女性記者に自分の写真であることをあっさり認め、さらに会社の幹部からかん口令が敷かれたこともばらしてしまった。20世紀FOXは大騒動となり、もうマリリンはおしまいだと絶望した。

 ところが同年8月に映画の宣伝のためニューヨークに行くと、マリリンは大衆から大歓迎を受け、またマリリンは自分の過去を隠さず明かしたことなどで、すっかり時の人となった。

 1953年1月、マリリンは自分が映画界で受けて来たセクハラを雑誌のインタビューで明かし、これは前代未聞のことだった。しかし、この話題はハリウッドという別世界の話と受け取られ、すぐに忘れ去られた。



●スターへの道

 1953年。マリリン26歳。マリリンは本格的にスターへの道を歩み出し、数々のヒット映画に出演する。その役柄は全て「セクシーで頭がちょっと弱いブロンド娘」つまり『ダム・ブロンド』というキャラクターだった。

 マリリン自身はもっと別の役柄も演じたいと望んでいたが、当時、映画会社と俳優の契約内容は給料と労働時間が書かれている程度で、俳優が役柄を選ぶような内容は含まれていなかった。また映画会社に有利にできており、会社は俳優を一方的に解雇できた。

 1953年12月、マリリンは映画会社に対し、新作でダム・ブロンド役を演じる事を拒否すると、ニューヨークに向かった。1954年1月、マリリンは記者会見し、20世紀FOXからの独立と、個人プロダクションの設立をぶち上げた。そしてニューヨークで演技学校に通い、演技派への脱皮を図った。20世紀FOXはマリリンとの契約を停止した。

 同年6月、既に撮影を終えていた「七年目の浮気」が劇場公開され、大ヒットとなった。

 1956年2月、マリリンの会社「マリリン・モンロー・プロダクション」は20世紀FOXと契約し、マリリンは監督・脚本・カメラマンなどを承認する権利、他社の映画にも出演できる権利、を獲得した。当時としては画期的な勝利だった。



●マリリンの死

 1956年から57年にかけて、マリリン・モンロー・プロダクションは、マリリン主演の「バス停留所」(1956年)、「王子と踊子」(1957年)を製作するが、どちらも興行成績はパッとしなかった。そして1957年にはマリリン・モンロー・プロダクションは消滅してしまう。

 マリリンが再びダム・ブロンドを演じた「お熱いのがお好き」(1959年)は大ヒットしたが、シリアスな役柄に挑んだ「荒馬と女」(1961年)は興行的に失敗した。

 マリリンは自分が目指す俳優像と、大衆が求めるイメージの差に苦しみ、興奮剤や睡眠薬を多用するようになっていった。またこの頃不倫やその他のスキャンダルが相次ぎ、マリリンは精神・肉体のどちらも傷ついていた。

 1962年6月。20世紀FOXはマリリンとの契約を解除。そして8月5日、マリリンは自室で死亡しているところを発見された。死因は睡眠薬の過剰摂取だった。


感想

 マリリン・モンロー一代記でした。早死にしたのは知っていたのですが、改めて見てみると、映画業界で活躍した時期ってホンの10年程度なんですね。この短期間の活動で今でも名前が有名なんですから、当時どれだけインパクトがある女優だったかってことですよねぇ。

 それと……、映画業界のセクハラ問題って今も昔もまるで変化ないのね。

 

光と闇のナビゲーター 栗山千明
語り 中田譲治
テーマ音楽 志方あきこ
司会 伊藤海彦 (アナウンサー)

 
 

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