感想:NHK番組「フランケンシュタインの誘惑 科学史 闇の事件簿」『放射能 マリーが愛した光線』

Maria Sklodowska-Curie

放送 NHK BSプレミアム
【※以下ネタバレ】


■番組概要

フランケンシュタインの誘惑 科学史 闇の事件簿 - NHK

科学は、人間に夢を見せる一方で、ときに残酷な結果をつきつける。
理想の人間を作ろうとしたフランケンシュタインが、怪物を生み出してしまったように…。
科学史に埋もれた“闇の事件”にスポットを当て科学の真の姿に迫る知的エンターテインメント。
フランケンシュタインの誘惑科学史 闇の事件簿

http://www4.nhk.or.jp/P3442/


※他の回の内容・感想はこちら→ 「フランケンシュタインの誘惑 科学史 闇の事件簿」内容・感想まとめ

放射能 マリーが愛した光線 (2015年11月26日(木)放送)

■番組内容

http://www2.nhk.or.jp/hensei/program/p.cgi?area=001&date=2015-11-26&ch=10&eid=11483&f=3442
科学史に埋もれた“闇の事件”にスポットを当て、科学の新の姿に迫る知的エンターテインメント第3弾。誰もが知る偉人マリー・キュリーの、放射能への愛が招いた悲劇。
2015年11月26日(木) 午後9:00〜午後10:00(60分)


http://www4.nhk.or.jp/P3442/
物理学者マリー・キュリーは夫ピエールと二人三脚で放射能を発見し、女性初のノーベル賞を受賞。 何物にもよらずエネルギーを発する放射能の発見は、「原子は分割不可能で不変の、物質の最小単位」という、 それまでの常識を覆し、「核の時代」の扉を開くものだった。夫の急死以後、子どもたちさえ顧みず研究に没頭。 マリーの純粋な科学への愛は次第にゆがんでゆく…。知られざるマリーの一面に迫る。


ナビゲーター: 吉川晃司
出演: 池内了総合研究大学院大学名誉教授)、肥山詠美子(理化学研究所准主任研究員)、武内陶子アナウンサー

 1895年、ドイツのレントゲンは、目に見えず人間の体をすり抜ける不可思議な光「X線」を発見し、以後世界はX線の話題で湧きかえった。翌1896年、フランスのベクレルは、ウランの中から同様に未知の光線が発せられていることを発見した。


 マリー・キュリーは1867年ポーランド生まれ。フランスの大学に進んで、ピエール・キュリーと結婚。研究テーマとして選んだのはウランだった。地道な研究の結果、1898年、ウランが放射する光線は、ウラン原子が変化することで発せられていると発表する。それは原子が不変の存在だという、それまでの定説を覆すものだった。マリーは、鉱石が光線を発する性質を「放射能(ラジオ・アクティビティ)」、光線を「放射線」と名付けた。さらにピエールの協力の下、鉱石の中からウランの100万倍の放射線を発する未知元素を見つけ、「ラジウム」と命名した。ラテン語で光を意味する「Radius」からの命名である。


 マリーとピエールはこの研究で1903年ノーベル賞を受賞。マリーは史上初の女性受賞者となった。ところが1906年、ピエールは馬車に轢かれて事故死。以後マリーは性格が一変し、二人の娘も省みず研究に没頭するようになった。


 マリーたちはラジウムの発する放射線が細胞を破壊する、という事に気が付いていたが、それは「ガン細胞を殺すために使える」という様にポジティブに考えていた。実際、ラジウムはガン治療の手段となって多大な成果を挙げ、ラジウムは夢の物質となった。1920年代頃には、ラジウム入り化粧品、ラジウムの入った水の容器、ラジウムパン、ラジウム入り入浴剤、等が発売されていた(!)。


 そんな商品の一つが「ラジウム時計」。ラジウムは暗闇で発光するため、文字盤にラジウムを塗った時計である。文字盤にラジウムを塗る作業を行なったのは若い女性たちで、彼女はラジウムの筆を舐めて尖らしながら作業した。数年後、彼女たちはあごの部分に腫瘍が出来、最後にはあごが腐って落ちる、という病気に見舞われた。彼女たち「ラジウム・ガール」を調べた結果、学者たちはこの病気はラジウムのせいだと認めざるを得なかった。それまで科学者たちは、少量のラジウムなら無害だと考えていたのである。


 マリーもラジウムの危険性には気がついていたが、対策を取った気配が無い。自分の発見したラジウムを愛しすぎて、危険が目に入らなかったらしい。研究所の同僚研究者たちは、放射線で指を火傷しているのが当たり前だった。研究者の一人、モーリス・ドムニトローは体調不良で倒れた後、あっという間に死に、その間際に「放射性のガスに殺された」と言い残したという。


 晩年のマリーもまた、異様な疲れや腎臓などの病気、白内障、に苦しめられた。1934年にマリーは亡くなった。死因は放射線被爆による再生不良性貧血だった。


 マリーの、原子は変化する、という発見が科学の歴史に革命を起こし、後の核兵器や、制御の難しい原子力発電につながってしまった、といえる。


■感想

 伝記では読めないマリー・キュリーのダークサイドストーリー。マリー自身が何か悪いことをした、という訳ではないにせよ、娘たちを放置し、同僚研究者たちの被爆死も無視、というあたりは、ダークです。


 しかし、その後の核兵器とかチェルノブイリ・福島の事故までマリーのせいにするのはちょっと酷い気がする。それを言い出したら、ラザフォードとかも悪人になっちゃうと思う。