【歴史】感想:歴史番組「ダークサイドミステリーE+」2022年版「八甲田山遭難事件 運命の100時間 ~兵士たちは何に敗れたのか~」(2022年5月3日(火)放送)

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ダークサイドミステリーE+ NHK https://www.nhk.jp/p/ts/ZG5NQK3K3P/
放送 NHK Eテレ。毎週火曜夜10時45分~11時15分放送。

www.nhk.jp
【※以下ネタバレ】
 

他の回の内容・感想

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驚きと感動の「闇」が、地上波に登場!


BSプレミアムでシーズン4が4月14日(木)スタートする話題の番組「ダークサイドミステリー」。その名作の数々が、コンパクト30分版に見やすくなってEテレに登場!


背筋がゾワゾワ、心がドキドキ、怖いからこそ見たくなる。世界はそんなミステリーに満ちている。世間を揺るがした未解決の事件、常識を越えた自然の脅威、いにしえの不思議な伝説、怪しい歴史の記録、作家の驚異の創造力…。こうした事件・出来事を徹底再検証!


ナビゲーター・栗山千明、語り・中田譲治、テーマ音楽・志方あきこのダークなトライアングルで迫ります。

 

八甲田山遭難事件 運命の100時間 ~兵士たちは何に敗れたのか~ (2022年5月3日(火)放送)

 

内容

ダークサイドミステリーE+ 八甲田山遭難事件 運命の100時間・空前の悲劇
[Eテレ] 2022年05月03日 午後10:45 ~ 午後11:15 (30分)


命の危機が目の前に!あなたは生き残る道を選べますか?八甲田山をさまよった兵士は、生死の岐路でどう判断したのか?知られざる自然の猛威と戦った、男たちの軌跡を追う。


天は我々を見放した!…大ヒットした映画のもととなった、死者199名、青森県八甲田山での世界最大級の遭難の悲劇。生死を決した100時間の謎に迫る。▼生き残った兵士の肉声テープが!極限状態で何が起きたのか?▼-20℃!東北出身で雪に慣れた軍人さえ苦しめた想定外の極寒。穏やかな雪原が一瞬で地獄に変わる謎を、最新科学が明らかに。▼なぜ彼らは狭い範囲で迷走し続けたのか?謎の「白い闇」と人間心理のワナとは?


【出演】栗山千明,【語り】中田譲治

 今回は「2020年4月16日放送回」のダイジェスト版。
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【ミステリー】感想:歴史ミステリー番組「ダークサイドミステリー」(2020年版)『八甲田山遭難事件 運命の100時間 ~兵士たちは何に敗れたのか~』(2020年4月16日(木)放送)
https://perry-r.hatenablog.com/entry/2020/05/07/214350

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 今回のテーマは「八甲田山遭難事件」。


●概要

 明治35年(1902年)1月に青森県八甲田山で、訓練中の明治陸軍の士官・兵士210名が遭難し、うち199名が死亡した、世界最大級の山岳遭難事件。


●1月23日(1日目)
▽朝6時55分
 帝国陸軍青森歩兵第5連隊・第2大隊が、青森市内の駐屯地から八甲田山山麓までの片道20キロ、往復40キロの雪中行軍訓練に出発した。コースは、青森市内→小峠→馬立場(うまたてば)と進んで目的地の温泉地・田代で野営、翌日は来た道を逆戻りする、という一泊二日の予定だった。兵士たちは東北出身の若者たちで雪に慣れていた。

 一行は、先頭はかんじき隊40人で彼らが雪を踏み固め、その後を本体114人が続き、さらにその後ろをソリ輸送隊56人がソリ14台で続くという構成。ソリには食料・燃料が大量に積まれており、十分な用意がされていた。隊を指揮するのは地元の秋田県出身の神成(かんなり)大尉で、雪国に関して熟知していた。



▽午前11時30分(出発から4時間35分)
 中間地点・小峠に到着し昼食休止。この頃から天候が悪化し、午後からは荒れるとの予報が出ていた。一行は途中の「賽の河原」と呼ばれる難所をなんとか犠牲も出さずに突破して先に進んだ。



▽午後4時10分(出発から9時間15分)
 馬立場に到着。日没は午後4時40分の予定で、もう目的地の田代(残り3キロ)に日没までに到着するのは不可能。野営するかこのまま進むか選択を迫られるが、ところがそこで天候が回復し、目的地の田代が見えたため、満月なら夜でも行軍可能と判断し、一行はそのまま進むことを決める。



▽午後5時30分(出発から10時間30分)
 馬立場を出発。しかし雪が猛烈に降り始め、一行は胸まで雪に埋まりながら行軍する羽目に陥った。さらに雪は水分の少ないサラサラした「パウダースノー」で、かんじきもソリも雪に埋まってしまい全く役に立たなかった。

 一行が進んでいた八甲田山北側山麓は、世界有数の大雪の局地気象が起こるエリアだった。最新研究によると、八甲田山にぶつかった風が北上し、まさに一行が雪中行軍していた辺りに大雪を降らせるようになっていた。


▽午後8時00分(出発から13時間)
 田代の手前・平沢に到着したが、兵士たちは疲労困憊状態でもう進むことは不可能で、ここでの野営を決定する。ここで縦に穴を掘り、そこにこもって翌朝5時まで休息することにした。しかし縦に穴を掘っただけで上をふさがなかったため、マイナス21度の寒気がそのまま流れ込み、全く寒さをしのぐ役に立たなかった。さらに兵士たちは綿素材の「小倉服」と綿の肌着を着こんでいたが、汗を吸った後冷えきって凍ってしまい、却って凍える結果となった。



●1月24日(2日目)
▽午前2時30分(出発から19時間30分)
 兵士たちは寒さで眠るどころではなく、足踏みをして耐えていたが、朝まで待っていたら凍死すると訴え、山口少佐は引き返すことを決める。そして夜明け前なら日没後よりは行軍はやさしいと考えて元来た道を戻ることになった。



▽未明(出発から約21時間)
 一行は馬立場を目指すが、猛吹雪による「ホワイトアウト」が発生し、一行は気が付かないまま同じところをぐるぐる回っているだけの状態に陥る。

 人間は、まっすぐ進んでいるつもりでも、目標が見えないような状況では、左右どちらかにコースが曲がってしまい、最終的に同じ場所をぐるぐる回ってしまう。これは「リングワンダリング」と呼ばれる状態で、第五連隊の人間は、まさにこのリングワンダリングに陥っていたと考えられる。



▽昼12時(出発から29時間)
 隊の人間が次々と低体温症でバタバタと倒れ始める。低体温症とは体の芯まで冷え切って体温が35度以下になった状態で起きる症状で、脳の機能が低下して意識障害が起き、最終的には心臓が停止し死に至る。ここで隊の1/4、約50名が低体温症で死亡した。隊の人間は食料を殆どとれていないまま動き続けたためエネルギーが尽きていたうえに、激しい風で体が冷やされたため、低体温症になった。



▽深夜(出発から約41時間)
 第五連隊は結局丸一日かけても成沢渓谷から出ることが出来ず、ここで再度野営した。しかし兵士たちは次々と倒れ、全体の1/3、約70人が死亡した。



●1月25日(3日目)
▽午前3時(出発から44時間)
 天候が回復し、800メートル先に馬立場が目視できたため、一行は馬立場を目指したが、すぐにまた天候が悪化してホワイトアウトが発生し、さまよい続けた挙句馬立場と反対の方に登ってしまう。この時、神成大尉は絶望で「軍の資料のために死ねというのが天の命令だ」と言い、それを聞いた兵士たちは意気阻喪してそのまま力尽きて死んでいった。



●1月26日(4日目)
▽朝(出発から71時間)
 青森駐屯地では第五連隊が戻ってこないため、救助隊62名を派遣。



●1月27日(5日目)
▽午前11時(出発から100時間)
 救助隊が雪の中で、仮死状態になりながら立ち続けている後藤伍長を発見。さらに調べると、難所賽の河原で神成大尉たちの遺体が見つかった。神成大尉たちは、馬立場を超えたものの、途中で力尽きていた。



●その後
 1月31日(10日目)に山口少佐ら10人が駒込川沿いで救助される。さらに、成沢で3人、平沢で3人、が救助された。さらに2月1日(11日目)には田代で1人が救助された。合計17人が救助されたが、その後6人が死亡し、最終的な生存者は11人だった。


感想

 昭和の映画で有名な(多分)「八甲田山遭難事件」の回。もう最初から最後まで全てが悲惨過ぎて、見ていて鬱な気分になりました。こんな状況に陥りたくないですよね、ホントに。
 
 

光と闇のナビゲーター 栗山千明
語り 中田譲治
テーマ音楽 志方あきこ

 
 

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