【エロゲ】記事「平成元年に始まり平成で終わった美少女ゲーム『ランス』シリーズを振り返る」【中身薄い】

ランス10

2019年6月7日 16:54
平成元年に始まり平成で終わった美少女ゲーム『ランス』シリーズを振り返る。各種文献から見るアリスソフトとTADA氏の軌跡
https://news.denfaminicogamer.jp/kikakuthetower/190607e

news.denfaminicogamer.jp

その『ランス』シリーズの生みの親であり、長らく美少女ゲーム業界の第一線で活躍していたTADA氏の業績を、この機会に振り返ってみよう。

 
 電ファミニコゲーマーの記事。アリスソフトのトップだったTADA氏の業績を振り返る、というお題目だが、実際は「ランス」シリーズ全10作の解説記事でしかないという、タイトルと中身が合致していないもやもやする記事。

 また記事タイトルでも断っている通り、TADA氏にインタビューしたとかではないので、どこでも書けるような通り一遍の紹介に終始しており、さらに「○○はXXのようだ」という筆者の(勝手な)憶測がめったやたらと多いので信ぴょう性が薄く資料としての価値も低い、というニントモカントモな内容。


 まあ一つだけ役に立ったなぁと思ったのが、

開発が長期化を極める中、TADA氏は開発本部長という立場を降りることを表明。以後はHIRO氏が開発本部長を務めることになった。TADA氏いわく会社が成長するにつれ、旧態化して動きづらくなり、新しい体制にする必要性を感じたという。引き継いだHIRO氏は当時、これまでTADA氏が避けていたファンディスクや、個々のクリエイターを名前をしっかりと前面に出す方策に変えていくと抱負を述べた。

 
 という部分。

 アリスソフトはスタート当初から個々のクリエイターの名前を出すことを避けており、十数年間、雑誌記事では原画家名もシナリオライター名も「非公開」で通していた(ゲームのマニュアルを見ればまあ分かるようにはなっていましたが)。おかげでこっちは、雑誌でCGを見て「お、次の新作は原画はMIN-NARAKENさんか。名前は公開されてないけど」みたいな憶測交じりで購入を決めざるを得ず、不自由を強いられていた。

 しかしふと気が付くと、アリスも2010年代には堂々と原画家シナリオライターも名前を出すようになっていたので、いつ頃方針変更したのか気になっていたわけだが、そのきっかけが2007年頃のアリスの危機に有ったと解って、ようやく謎が解けた。まあTADA氏自身がアリスソフトのブログで「2007~2010年頃は戻れるものなら最初からやり直したい」「この時期アリスソフトは潰れる寸前だった」とか書いていたから、なるほどではある。
 
 
ALICESOFT Creator Works Vol.3 MIN-NARAKEN画集 豪華絢民【通常版】