【歴史】感想:歴史番組「ダークサイドミステリーE+」2022年版「北海道三毛別 ヒグマ襲撃事件の謎に迫る」(2022年5月17日(火)放送)

羆嵐 (新潮文庫)

ダークサイドミステリーE+ NHK https://www.nhk.jp/p/ts/ZG5NQK3K3P/
放送 NHK Eテレ。毎週火曜夜10時45分~11時15分放送。

www.nhk.jp
【※以下ネタバレ】
 

他の回の内容・感想

perry-r.hatenablog.com
 

驚きと感動の「闇」が、地上波に登場!


BSプレミアムでシーズン4が4月14日(木)スタートする話題の番組「ダークサイドミステリー」。その名作の数々が、コンパクト30分版に見やすくなってEテレに登場!


背筋がゾワゾワ、心がドキドキ、怖いからこそ見たくなる。世界はそんなミステリーに満ちている。世間を揺るがした未解決の事件、常識を越えた自然の脅威、いにしえの不思議な伝説、怪しい歴史の記録、作家の驚異の創造力…。こうした事件・出来事を徹底再検証!


ナビゲーター・栗山千明、語り・中田譲治、テーマ音楽・志方あきこのダークなトライアングルで迫ります。

 

北海道三毛別 ヒグマ襲撃事件の謎に迫る (2022年5月17日(火)放送)

 

内容

ダークサイドミステリーE+「北海道三毛別 ヒグマ襲撃事件の謎に迫る」
[Eテレ] 2022年05月17日 午後10:45 ~ 午後11:15 (30分)


女性や子どもの死者8人。ヒグマが小さな山村を襲った史上最悪の獣害は、なぜ起きたのか?凶暴な魔獣を生み出したのは人間なのか?惨劇の真相から自然との共生の道を探る。


雄大な山野の小さな家を魔獣が襲った、謎の事件。大正4年、開拓の夢に生きる人々、特に女性や子どもが殺され続け、死者8人。日本史上最悪の獣害と言われる「三毛別ヒグマ事件」は、事件から100年以上たっても、今なお謎が多い。本来、人間を警戒し接触を避けるヒグマが、なぜ連日人々を襲ったのか?なぜヒグマは多数の銃から逃げ延び、不死身ぶりを発揮したのか?人間とヒグマは共存できるのか?知られざる戦いの全貌を描く。


【出演】栗山千明,【語り】中田譲治

 今回は「2019年8月1日放送回」のダイジェスト版。
 ↓

【ミステリー】感想:歴史ミステリー番組「ダークサイドミステリー」『北海道三毛別ヒグマ襲撃事件の謎に迫る』(2019年8月1日(木)放送)
https://perry-r.hatenablog.com/entry/2019/08/05/235623

perry-r.hatenablog.com

 
 今回のテーマは「三毛別(さんけべつ)ヒグマ事件」。


●100年前の惨劇

 エゾヒグマは、北海道にだけ住む日本最大の陸上動物。本来は極めて臆病な動物だが、100年前の大正4年(1915年)12月に、北海道の開拓地の小村にヒグマが出現し、村人8人を殺害した。三毛別(さんけべつ)ヒグマ事件である。何故人間を恐れるはずのヒグマが人を襲ったのか?



大正4年(1915年)11月中旬

 早朝。池田富蔵は家の外からの異様な音を聞き調べてみると、30センチもある巨大なヒグマの足跡を見つけ、また家の外に干してあるトウモロコシが食い荒らされているのを発見した。

→異常なヒグマになる条件1:人里に近づく
 食べ物目当てで人里に近づき、その結果人間への警戒心が薄れてしまう



●事件の舞台

 事件の舞台となったのは、北海道・苫前郡苫前村(とままえぐん・とままえむら)の川の上流にある六線沢(ろくせんざわ)という谷。六線沢に暮らしていたのは15戸・約40人。

 六線沢に暮らしていたのは、東北・北陸・四国から来た若い開拓民たち。明治初期に移民した開拓民たちは海沿いの場所、中期の移民は広大な平野、を開拓したが、明治末期~大正初期にやって来た者たちは条件の悪い深い山奥が割り当てられてることになってしまっていた。



大正4年(1915年)11月下旬

 池田家の外にまたヒグマが現れ、トウモロコシを食い荒らした。

→異常なヒグマになる条件2:人間に近づくといい事があると学習する
 人家に行けば収穫されてそのまま食べられるトウモロコシが簡単に手に入ることを学んでしまった。こうなると警戒心が薄れ、積極的に人里に現れるようになる。

 池田富蔵は知り合いに頼み、クマを銃で追い払ってもらった。



大正4年(1915年)12月9日 午前10時半~

 10時半。太田家では主人の三郎が留守の間、妻の阿部マユと預かっていた少年・蓮見幹雄がいたが、そこにヒグマが襲撃してきた。

 正午。太田三郎が帰宅すると、家の壁が破られ、幹雄は殺されており、マユの姿はなく、窓枠にマユのものとおぼしき数十本の頭髪が絡みついていた。

→異常なヒグマになる条件3:人間を弱いと知る
 ヒグマが人間に出会ったとき、人間が逃げたり悲鳴を上げたりすると、ヒグマは人間は弱い生き物だと気が付き、人間を襲う様になってしまう。ヒグマの出現時に悲鳴を上げるなど弱みを見せたため、クマが人間は警戒するほどの相手では無いと見抜いてしまったと思われる。


 男たちが血の跡を追って雪の中に埋められていたマユの死体を見つけるが、全身を完膚なきまでに食べつくされていた。男たちはのその遺体を持ち帰った。

→異常なヒグマになる条件4:人間の味を覚える
 人の肉を食べて味を覚えてしまうと、もう人を襲う人食いクマになってしまう



大正4年(1915年)12月10日 夕方~夜

 襲撃の翌日。六線沢でのヒグマ襲撃事件が周囲の村々に伝わり、50人以上の男たちが六線沢に集まり、その中には銃を持つものも十人以上いた。

 夜。太田家では、前夜犠牲となったマユと幹雄の葬儀が行われていたが、そこにヒグマが再度現れ、銃撃したもののヒグマを止めきれず取り逃がした。この襲撃は、人間が被害者の遺体を持ち帰ったのを、ヒグマは自分の獲物を横取りされたと考え、取り戻すために襲ったと推測される。


 直後。太田家から500メートル下流にある明景安太郎家をヒグマが襲撃した。家の中には女性と子供たちが集まっていたが、ヒグマは五人を殺害、三人に重傷を負わせた。悲鳴を聞き、銃を持つ男たちが家を包囲するが、ヒグマを仕留めきれずにまた逃がしてしまう。

 午後10時。六線沢の全住民は村を捨て、下流の小学校まで避難した。



大正4年(1915年)12月12日

 最初の襲撃から四日目。ヒグマ駆除のため、警察によって討伐隊が組織され、その規模は人員270人・鉄砲60丁以上という大がかりな物であった。討伐隊は、人口の多い村にクマを入れさせないため、六線沢との間を流れる三毛別川に防衛ラインを敷いた。



大正4年(1915年)12月13日

 夜8時。川岸にヒグマが出現したため、鉄砲で射撃したところ、確かに一発命中したもののヒグマはそのまま逃走する。ヒグマは脂肪で体を覆っているため、脳か心臓を直撃しない限り、仕留めることは困難だった。



大正4年(1915年)12月14日

 討伐隊はヒグマを山に追い込んだ。討伐隊には伝説のマタギと言われた山本兵吉が参加していたが、ヒグマの習性を熟知していた山本は、山頂で待ち伏せしてヒグマを迎え撃ち、頭と心臓を撃ちぬいてついにヒグマを退治した。こうして事件はようやく終息した。



●事件の教訓

 事件から50年後の昭和40年(1965年)、木村盛武氏が事件の生存者に聞き取りを行い、事件の詳細な調査を行った。その結果として、木村氏はクマ被害の99%は人間の側に原因があるのではないか、と推測している。


感想

 その凄惨さで名高い三毛別(さんけべつ)ヒグマ襲撃事件の詳細な説明回。いやー、怖すぎる……
 
 

光と闇のナビゲーター 栗山千明
語り 中田譲治
テーマ音楽 志方あきこ

 
 

他の回の内容・感想は以下のリンクからどうぞ

perry-r.hatenablog.com
 
 
羆嵐
慟哭の谷 北海道三毛別・史上最悪のヒグマ襲撃事件 (文春文庫)