【ゲーム】産経新聞記事:KEYの麻枝准インタビュー【産経新聞で……?】

AIR - Switch

2024/2/24 09:00
麻枝准さん「泣きゲーは継いだもの。天才の背中を25年間、追いかけて追いかけて…」 沼る 夢中の極み 「泣きゲー」インタビュー(上) 産経ニュース
https://www.sankei.com/article/20240224-N5SG3OMZONNP7ANFKMUT5XY7AQ/

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2024/2/24 09:00
麻枝准さん「夢ではなく、泣きゲーは十字架。死ぬまで背負い続ける覚悟はできている」 沼る 夢中の極み 「泣きゲー」インタビュー(下) 産経ニュース
https://www.sankei.com/article/20240224-KYOGRRPBHNOBNGPXWII3ZESTK4/

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 KEYの「AIR」や「クラナド」のシナリオを書き、ゼロ年代前半(もう20年前!!)にはオタク業界の重要人物だった「だーまえ」こと麻枝准氏のインタビュー。へぇぇ? 産経新聞だーまえのインタビュー? KEYのゲームにやられた世代が新聞社ですらそれなりの地位に就いたという事か……?


 以下引用だらけでお送りします。
 
 

●記事に書いてあった「泣きゲー」の定義

「泣けるゲーム」を指す言葉。厳密な定義はないものの、イラストや文章を通じてヒロインたちとの恋愛を疑似的に楽しむ「美少女ゲーム」の文脈で語られることが多い。特に話題になり始めたのは、1990年代後半。「To Heart(トゥハート)」などの先駆的作品をへて、平成10年の「ONE~輝く季節へ~」や、11年の「Kanon」が、いわゆる「泣きゲーの元祖」とされる。


2000年代以降も「君が望む永遠」や「うたわれるもの」「マブラヴ オルタネイティヴ」といった人気作が続々と登場。独自の世界観や魅力的なキャラクターが人気を博した。「泣きゲー」の影響を公言する人気クリエーターも多く、その影響は漫画や音楽、アニメなど他のメディアにも拡大。世界にもファン層を広げている。

 
 世界にもファン層を広げている……? 泣きゲーとは、ゼロ年代前半に頂点をむかえ、以後緩やかに衰退していった青春の幻影、懐かしの文化、くらいに思ってたよ。
 
 
 

●インタビュー前編

 「泣ける」ことが映画・ドラマの売りとなって久しいが、ゲームの世界でも感動でプレーヤーを魅了する「泣きゲー」が長年人気を博している。その立役者の一人が、「AIR」「CLANNAD」(クラナド)などの人気美少女ゲームを手掛けたシナリオライター・作曲家の麻枝准(まえだ・じゅん)さんだ。

 

後日「泣きゲーの元祖」と呼ばれるようになる始祖的作品の一つ「ONE~輝く季節へ~」(平成10年)のシナリオを手掛けた。


「えいえんの世界」などの抽象的かつ文学的な要素をストーリーに織り込んだ「ONE」は当時、ゲームファンの間で反響を巻き起こした。


「『茜(ヒロインの一人)シナリオで泣いた』『号泣しました』…。これまで見たことがない熱量のアンケートはがきがたくさん届き、すごいことが起きているな―と実感しました。でもはがきをよく見ると、褒められていたのは自分ではなく、久弥直樹君というもう一人のライターが書いたシナリオ。自分は『はずれのライター』扱いでした」


麻枝さんは久弥さんのことを「天才」と呼ぶ。その功績は「『感動』で多くのファンを獲得した点」にあるという。

 

その後2人は、コンテンツ制作会社「ビジュアルアーツ」に移籍し、美少女ゲームブランド「Key」を設立。雪の降る街を舞台に、高校生たちの恋愛模様をファンタジー要素を交えて幻想的に描いた「Kanon」(平成11年)のシナリオを共に手掛けた。


久弥君には負けたくない―。麻枝さんはこの一心で久弥さんのテキストを研究。ユーザーの支持を集める「泣きゲー」を分析し、学んでいく。


「久弥君はテクニカルなんです。(シナリオに)伏線に伏線を貼って、『Kanon』でいえば(終盤の)『…ボクのこと、忘れてください…』というセリフで、(ユーザーを)ガーンと泣かせる。確かな技術を持った、『泣かせることの天才』なんです」


「自分はその逆で、(シナリオの)技術がない。ただ、作曲はできるので、泣ける雰囲気に持っていった後に、伏線とは関係なく唐突に、ドカーンと泣ける曲やバラードをタイミングよく投下して泣かせる。大きな鈍器で殴るようにして涙を流させるというか、力技なんですよ。自分にやれることは、それしかない」

 

久弥さんの独立を受け、Keyを牽引(けんいん)する立場に立つことになった麻枝さん。その後は会社に寝泊まりし、「泣きゲーとは何か」という自問自答の日々を送る。「自分なりに泣けるゲームを何とかして作ろうとあがいた」末の努力が結実したのは平成12年。海辺の田舎町にたどり着いた青年と少女たちのひと夏の物語と、1千年前の記憶が交差する「AIR」だ。


同作が当時衝撃的だったのは、美少女ゲームにもかかわらず、ヒロインの一人が死亡したまま物語が終わるなどしたためだ。後に京都アニメーション京アニ)によりアニメ化もされ、人気を博した。ただ、麻枝さんは同作を「京アニさんのおかげで神格化された作品」だとし、「多くの人の期待に応えられる作品だったかというと、そうではなかった」と振り返る。


「鋭り過ぎた作品を作ってしまったという実感があったんです。実際、エンディングなどをめぐって賛否両論や考察合戦も巻き起こりました。本来、自分は〝間口〟の広い作り手ではない。本当に刺さる人にだけ刺さるものを作る、ニッチな作家性を持ったクリエーターだと思っています」

 
 
 

●インタビュー後編

平成12年発売の「AIR」は大きな話題を呼んだものの、麻枝さんの中では「鋭り過ぎた作品を作ってしまった」という思いが内心残った。「『泣きゲー』のコツを学んだ」という麻枝さんは、16年に「もう少し一般ユーザーに寄せた作品」を発表する。「泣きゲーの金字塔」として日本ゲーム史に名を刻む「CLANNAD」だ。


美少女ゲームは通例、ヒロインとの交際開始をもってエンディングを迎える。だが、同作は全く違っていた。ヒロインの一人と付き合い始めてからがむしろ本番。結婚や仕事、大切な人との死別、子供との関わり…など、「その後」の要素を情感豊かに描いた。

 

1990年代後半から2000年代にかけ、多くのゲームユーザーから支持を集めた「泣きゲー」。麻枝さんは人気の理由を「サブカルチャーの最先端がそこにあった」からとみる。


2000年代以降も「君が望む永遠」や「うたわれるもの」「マブラヴ オルタネイティヴ」などといった人気作が続々と登場。独自の世界観や魅力的なキャラクターが人気を博した。ファンたちはこのビッグウエーブに乗り、二次創作も活発化した。


「一般の人が知らないところでこんなに感動できるものがあり、自分たちだけがそれを楽しんでいる…。一種の誇りがあったと思います」

 

「25年前に久弥君から託されたバトンは、『お前がこれからずっと泣きゲーを作っていけ。脇道にそれるなよ』という意味だと思っていて。


泣きゲー」を「これからも作り続けたい」と語る麻枝さん。だがそれは夢や目標などではなく、いわば「十字架」なのだと吐露する。


「自分に期待されているのは、とことんまで『泣き』に全振りしたもの。もうこのまま走り続けるしかない、死ぬまでやり続けるしかない、という覚悟はできています」

 
 ロングインタビューなので要点だけかいつまんだつもりでも超多量の引用になってしまいました(トホホ) それにしてもだーまえインタビューがゲームメディアではなく産経新聞に載る時代かぁ(二度目)
 
 
CLANNAD - Switch