【歴史】感想:NHK番組「歴史のへ~、ほ~ 負けた戦国武将たちの生き残り術」

石田三成伝

歴史のへ~、ほ~ 負けた戦国武将たちの生き残り術 http://www4.nhk.or.jp/P4221/
放送 NHK総合。2018年1月3日(水) 22:00~23:00。

【※以下ネタバレ】
 

内容

1月3日水曜
NHK総合1 午後10時00分~ 午後11時00分
歴史のへ~、ほ~ 負けた戦国武将たちの生き残り術


負けてもしぶと~く生き残った戦国武将たちを大特集。彼らはどうやって復活したのか。あの石田三成の子孫も登場!現代まで続いた石田家の驚きヒストリーに沢村一樹も感動!


弱肉強食の戦国時代に、負けてもしぶと~く生き残った武将たちを大特集!彼らはどうやって復活したのか?あの徳川家康も、悲惨な負け戦をいくつも体験したが、意外な策で乗り切った。桶狭間織田信長に大敗した今川家。滅亡せず、実は幕末まで残った。関が原で西軍についた大名の復活劇や「戦国最弱」といわれる武将の奇跡の生き残り術も。あの石田三成の子孫も登場!現代まで続いた石田家の驚きヒストリーに沢村一樹も感動!


【司会】沢村一樹,和久田麻由子,【出演】佐野史郎,増田英彦,光浦靖子,浜谷健司,東京大学史料編纂所教授…山本博文,駿河台大学 教授…黒田基樹

 
 WEBマガジン「歴ウェブ」の編集者たち四人が、トップ記事を目指して、編集長の沢村一樹にそれぞれ自分のネタをプレゼンする、という設定の番組。去年(2017年)夏に放送した番組の第二弾。

 前回放送分の内容はこちら。
 ↓
perry-r.hatenablog.com

【歴史】感想:NHK番組「歴史のへ~、ほ~ あなたの常識が変わります!」
http://perry-r.hatenablog.com/entry/2017/08/17/003543

 
 
 

徳川家康

 家康の松平家は周囲を強大な武将に囲まれており、家康も幼いころから今川家に人質に取られていた。しかし桶狭間の戦い(1560年)で今川家が打撃を受けると、故郷の三河に舞い戻り一国一城の主となる。

 ところが国力増強のため年貢を取り立てたところ、国内の一向宗が反発し、一向一揆が発生した(1563年)。それ以前に三河を支配していた今川家は、一向宗を恐れ年貢を免除したりしていたため、家康の政策に一向宗が激怒したわけである。しかも家康の家臣も一向宗の信者が一揆側についてしまい、戦いの中で家康も銃で撃たれたものの防具でなんとか助かった、とか死にかける有様だった。

 ただでさえ部下が敵側に走ったうえ、味方も仏罰を恐れてやる気がなく、殆ど敗戦状態で家康は大ピンチ。しかしここで、当時16歳で、のちの徳川四天王の一人となる榊原康政が、初陣かつ敵方には兄がいるのに先陣を直訴。家康が康政を信じて抜擢すると、他の武将も若手に負けるかとやる気を出した。

 結局家康は一揆を鎮圧したが、敵だった部下を許して受け入れた。ここで許した部下が、のちの家康の負け戦三方ヶ原の戦いの時には家康の脱出の盾となってくれた。


今川氏真(-うじざね)

 桶狭間の戦いで戦死した今川義元の息子。幼いころから和歌などに親しんでいた。桶狭間の戦いの後、今川家の当主となるが、部下に見限られ(含む家康)、今川家も8年後の1568年には滅びてしまう。しかし妻の親族の間を転々とした後、家康に保護を要請。京都に行き文化人として教養を高める道を選ぶ。

 1603年、徳川幕府が成立すると、幕府と朝廷の間を取り持つ人材が必要となり、氏真は京文化に精通した人物として重用される。1615年死去。今川家は高家(こうけ。朝廷との交渉などをする家柄)に命じられ、幕末まで生き残った。

 ちなみに、忠臣蔵の悪役・吉良上野介は氏真の孫の孫。高家で儀式のしきたりに詳しい吉良が浅野を侮辱した、という話らしい。


丹羽長重

 関ヶ原の戦いで西軍につき、領地10万石を取り上げられたが、その後ほぼ元の石高の領地を取り戻した。その理由は築城の達人だったこと。そのため徳川は、長重を復活させて東北に置き、伊達氏などの東北の有力大名に目を光らせる役目を与えた。


石田三成

 三成は関ヶ原の戦いの後処刑されたが、なんと子孫が津軽に生き残っていた。三成の次男の重成を、三成に恩のあった津軽の大名・津軽為信が保護したため。重成は杉山姓に改名し、その後津軽家に使え、子孫は家老にまでなった。

 ちなみに杉山とは重成が持っていた領地の名前。あと秀吉からお守りをもらった場所の名前説もあり。


●小田氏治(-うじはる)

 戦国最弱武将とも言われる武将。しかし負けても負けても滅びないので「常陸の不死鳥」の異名をとった。なんと城を三回も取られている(しかしそれでも滅亡しなかった)。

 大きな戦いで勝ったことが無く、見え見えの罠で部下が止めているのに突っ込んでそのまま負けるとか、戦が下手。しかし家臣が優秀なので生き延びた。

 そんな出来る家臣がイマイチな主の氏治についていったのは、一つは連歌(和歌を交互に歌って続けていく)。氏治はこれを身分の低い部下とも一緒にやっていたので、みんなで団結していたらしい。あと連歌の後の宴のノミニケーションも要因だった模様。

西郷隆盛

 戊辰戦争で旧幕府方についた榎本武揚を、優秀な人材だと見込んで釈放させた。榎本はそののち大臣の要職を歴任した。


感想

 前回に続く歴史コネタ番組桶狭間以降の今川家の話とかは新鮮だったし、石田三成の子孫がまだいるとか、小田氏治の不死鳥伝説とか、色々面白かったです。

おまけ

 前回放送分(2017年8月16日)の内容はこちらです。
 ↓
perry-r.hatenablog.com
 
  
NHKカルチャーラジオ 歴史再発見 西郷隆盛 その伝説と実像 (NHKシリーズ)