【歴史】感想:歴史番組「ダークサイドミステリー」シーズン4(2022年版)「謎の無人島 鳥島サバイバル ~人の生命を試す島~」(2022年6月2日(木)放送)

漂流の島: 江戸時代の鳥島漂流民たちを追う

ダークサイドミステリー NHK https://www.nhk.jp/p/darkside/ts/4847XJM6K8/
放送 NHK BSプレミアム。毎週木曜夜9時放送。

www.nhk.jp
【※以下ネタバレ】
 

他の回の内容・感想

perry-r.hatenablog.com
 

本当の謎は、人間の闇


シーズン4スタートしました!
今年度はなんと、地上波・Eテレで毎週(火)夜10:45放送の、名作の数々のコンパクト29分版と同時期放送です!
背筋がゾワゾワ、心がドキドキ、怖いからこそ見たくなる。世界はそんなミステリーに満ちている。世間を揺るがした未解決の事件、常識を越えた自然の脅威、いにしえの不思議な伝説、怪しい歴史の記録、作家の驚異の創造力…。
人智を超えた謎に迫る「幻解!超常ファイル」のスピンオフ!
栗山千明中田譲治志方あきこのダークなトライアングルに加え、伊藤海彦アナウンサーも参加!

 

謎の無人島 鳥島サバイバル ~人の生命を試す島~ (2022年6月2日(木)放送)

 

内容

ダークサイドミステリー「謎の無人島 鳥島サバイバル~人の生命を試す島~」
[BSプレミアム] 2022年06月02日 午後9:05 ~ 午後10:05 (60分)


必ず故郷に帰る!水も草木もない地獄の火山島に漂流し19年も生き延びた男たち。いったいどうやって?過酷な島を生きた人間の究極の知恵と勇気と絆とは?生命の感動秘話。


なぜその島は、人を助けながらも地獄の試練を与えるのか?江戸時代、100人以上の遭難者が流れ着いた絶海の無人島・鳥島は、水なし草木なし小動物なしの不毛の地。絶体絶命!なんとそこで19年も生き延びた人たちが!驚きの知恵と工夫、リーダーの勇気、助け合いの絆とは?年月とともに忍び寄る死の恐怖。謎の病。心をむしばむ孤独と争い。いつか必ず故郷に帰る!小さな希望を胸にギリギリを生き抜いた人々、生命の感動秘話。


【出演】栗山千明,【ゲスト】関野吉晴,小林郁,【語り】中田譲治,【司会】伊藤海彦

 
 今回のテーマは「鳥島の漂流者たち」


鳥島への漂着者

 東京湾から南に580キロの場所にある無人島・鳥島は、伊豆諸島のほぼ南の端に位置し、一番近い無人島の須美寿島からも約100kM離れている絶海の孤島。

 1739年5月6日。関東近海で遭難した輸送船「宮本善八船」が、四か月の漂流の末鳥島に流れ着いた。乗組員のうちち3人が島に上陸して水や食料を探したが、一面岩場で川も湖も無い。ところが石垣が積み上げられているなど何故か人の気配が有った。

 やがて三人が洞窟を見つけ踏み込んでみると、鳥の毛皮をまとった三人の男が現れ、「自分たちは遠州(静岡西部)新居(えんしゅう・あらい)の者で、遭難して19年間この島で生き延びてきた」と語った。



●遭難者を呼び寄せる島

 鳥島は何故か漂流者が多数流れ着く場所で、江戸時代に記録が残っているだけで15件・122人もいる。もっとも滞在期間が長かったのは遠州新居のものたちの19年。漂流者の中には、あのジョン万次郎もいた。

 直径2.7kmの円形の小さな島で、周囲は断崖絶壁。鷹さ1600mの海底火山の火口が海面に顔を出している状態。土地は溶岩と火山灰のため植物は殆ど生えていない。川も無い。火口周辺は有害な火山ガスが噴き出ているため接近できない。生きている動物は繁殖地として暮らしているアホウドリだけで、ネズミのような小動物すらいない。

 何故鳥島に船が流れつくのか。江戸時代の船乗りは、荒天で遭難した時最後の手段として帆柱を切り倒した。しかし例え嵐を乗り切っても、そのあと操船困難になった船は、黒潮(幅100Km・時速9Km)に捕まって押し流されてしまう。本来なら鳥島黒潮からは遥かに離れているが、紀伊半島沖に冷たい水の渦が出来ると、黒潮が南側にズレる「黒潮大蛇行」が発生する。

 また銚子沖で遭難した場合、大抵は黒潮に押し流されて東へ行ってしまい助からないが、ごくまれに鳥島や小笠原方面に漂流してしまう事が起きる。



鳥島への漂着

 静岡県湖西市には漂流者たちについての資料「無人島帰国者口書(~くちがき)」には、鳥島で生き延びた三人・甚八・仁三郎(にさぶろう)・平三郎の取り調べ時の証言が記録されている。

 三人は、輸送船「鹿丸」の船乗りたちで、鹿丸には計12人が乗り組んでいた。1719年冬、鹿丸は東北・石巻から江戸に向かい、九十九里沖まで荒天に遭遇し、56日漂流した末に鳥島にたどり着いた。水も食料も尽きていたため、全員が小舟で島に上陸し一夜を明かすが、翌朝鹿丸も小船も大波で完全に破壊されていた。そのため12人は島に取り残されてしまう。

 12人はわずかに、火打石、鍋、釜、斧、桶などを持ち込んでいた。船頭の佐太夫は他の人間を励まし、彼をリーダーとしてこの島での暮らしが始まった。まずは洞窟を発見して住処とし、食料はアホウドリを捕まえ、鍋釜で焼いたり煮たりして食べた。

 水は岩場にたまった真水を見つけてすすったものの、一日に貝殻一杯分しか飲めないような日々。逆に雨が降るとニ~三日続くため、雨水を桶にためた。

 島には壊れた船の破片(船の帆、材木、船釘、等)がよく流れ着いたため、それを元に道具を作った。材木は削って桶にして雨水を保存。細い材木は削って棒にして、帆から糸を引き抜き、船釘を加工して針にして釣竿を作って魚を釣る。また帆からとった糸を、アホウドリからとった油に浸すと、火を絶やさないための灯火とした。加工時に出た木くずも燃料として使用。

 しかし、やがて一人が体が腫れて死んだ。おそらくビタミン不足のためと考えられる。彼らはその前年、島に漂着した米俵の米「赤米」から芽が出てるのを発見していた。赤米とは水が少ない陸地でも育つ陸稲の一種で、ぬかはビタミンB1が豊富。彼らは、岩と岩のすき間にわずかにある土の上に種籾をまき、肥料として魚の頭や骨を与えた。そして赤米は見事に育ち、一年に20升(約30Kg)収穫できたという。佐太夫は「米は普段は食べず、病人が出た時に粥として与える」ように指示した。



●絶望の日々

 月日が流れ、最初の数年で病気や老衰で三人が死亡。彼らは伊勢神宮のお札に帰国を願ったものの、日々は変化なし。そんななか、リーダーの佐太夫は気分が落ち込んだものがいれば気分転換に釣りに誘ったり、道具つくりを共同作業にしたりした。

 しかし、それでも長い間にだんだん心を病む者が現れ、三人が自ら命を経ち、漂流10年目には生き残りは6人になっていた。その翌年、佐太夫も病気で死に、残りは5人にまで減った。

 漂着から15年が過ぎると、生き残りは、30代の平三郎、50代の仁三郎、60代の甚八、の三人だけとなっていた。人間関係も悪化し、平三郎は一人で衣類や火を独占したりした。

 そして漂着から19年目。彼らの前に新しい漂着者が現れた。平三郎たちは身分を証明するため、佐太夫が大事に保存し平三郎に託していた、下田奉行運送業者の手形を示し、ようやく相手に信用された。



●故郷への帰還

 1739年5月、鹿丸の生き残り3人に、宮本善八船の生き残り17人が合流した。宮本船の乗員は、小笠原諸島まで流された後、本船を捨て、小舟で本土を目指し、四か月も漂流していた。平三郎たちは宮本船の乗員に水や食料を与え、船の修理も手伝った。

 一か月後。船の修理は終了するが、宮本船の乗員から小舟に余計に三人乗せることを嫌がる声が上がる。しかし船頭補佐の庄兵衛がその意見を一喝し、平三郎たちを乗せていくことが決まる。

 1739年6月3日、平三郎たちを乗せた小舟は鳥島を出発し、三日後に八丈島に到着。さらにそこから幕府の船で江戸に生還した。その後、彼らは役人だけでなく八代将軍徳川吉宗にも謁見し、彼らの19年間の生活は細かく記録に残された。その後、生き残った三人は故郷に戻り余生を過ごしたという。


 14年後、1753年、また鳥島に新たに大阪の船乗りたちが漂着した。彼らは平三郎たちと同じ洞窟を発見し中に入ると、木の板二枚、火打石・釜・包丁などの道具を発見する。木の板には平三郎たちが書いた島で生きるすべが記されており、道具はアホウドリの油で保護されていた。

 その後鳥島には9艘・75人が漂着したが、そのうち62人が本土に生還した。



●その後の鳥島

 明治20年(1887年)、鳥島に初めて開拓者が入植した。ところがその15年後、明治35年(1902年)8月に鳥島の火山が噴火し、住人ら125人が全員死亡する大惨事となった。それから120年、鳥島は再び無人島となり、国の天然保護区域となり、人の立ち入りは厳しく制限されている。


感想

 「嫌ぁ~、何も無い島で19年も暮らしたくねー」とひたすらそれだけを考え続ける一時間でした。人食い熊とか殺人鬼とかそういうテーマとは別の意味で辛い回だったなぁ。
 
 

光と闇のナビゲーター 栗山千明
語り 中田譲治
テーマ音楽 志方あきこ
司会 伊藤海彦 (アナウンサー)

 
 

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