フランケンシュタインの誘惑 科学史 闇の事件簿 https://www.nhk.jp/p/ts/11Q1LRN1R3/
放送 NHK BSプレミアム
【※以下ネタバレ】
※他の回の内容・感想は以下のリンクからどうぞ
perry-r.hatenablog.com
科学は、人間に夢を見せる一方で、ときに残酷な結果をつきつける。
理想の人間を作ろうとした青年フランケンシュタインが、怪物を生み出してしまったように―
輝かしい科学の歴史の陰には、残酷な実験や非人道的な研究、不正が数多くあった。
そんな闇に埋もれた事件に光を当て、「科学」「歴史」「倫理」に迫るシリーズが帰ってくる。
ナビゲーター/ナレーション 吉川晃司 (ミュージシャン)
科学者 野口英世 (2021年1月28日(木)放送)
内容
フランケンシュタインの誘惑(3)「科学者 野口英世」
[BSプレミアム] 2021年01月28日 午後9:00 ~ 午後10:00 (60分)
日本人の誰もが知る偉人・野口英世。だが、その研究の多くは誤りだったことが今ではわかっている。なぜ野口は間違ったのか? 科学者・野口英世の、知られざる欲望の物語。
科学史の闇に迫る知的エンターテインメント。今回取り上げるのは、日本人の誰もが知る偉人・野口英世。福島県の貧しい農家に生まれ幼少期の事故で左手が不自由になりながら、医師となり、単身渡米して研究医に。黄熱病や梅毒の研究でノーベル賞の候補にも挙げられた細菌学のスーパースターのひとりだ。しかし現在では、その研究の多くが誤りだったことがわかっている。なぜ野口は間違ったのか? 科学者・野口英世の欲望の物語。
今回のテーマは「野口英世」。
●スター研究者となるまで
野口英世(1876~1928)は1876年生まれ。貧農の出身で、さらに幼い頃囲炉裏で左手を大やけどして指が癒着してしまい、自由に使えなくなる。その後周囲の支援で左手の手術を受けて指を切り離す。周囲の人々に協力してもらい、英語・ドイツ語・フランス語を習得する。
1896年、開業医の免許の試験を受け、難関を一発で突破する。しかし野口は当時細菌を次々と発見していたスター科学者たちにあこがれ、同じ道に進みたいと望んだ。
そして、なんとか北里柴三郎研究所に入るものの、仕事は研究ではなく外国の書籍の翻訳などでしかなかった。1899年、研究所に来たアメリカの研究者フレクスナーを頼り、1900年に強引にフレクスナーの元に押しかける。フレクスナーは困惑するが、仕方なく自費で野口を助手として雇った。
1903年、フレクスナーが新しく作られたロックフェラー医学研究所の所長となり、野口は一等助手として働けることになった。
野口は、当時「世界最悪の病気」と呼ばれていた梅毒に挑み、まず梅毒の病原体だけを培養する「純粋培養」に粘り強く取り組み、ついに世界で初めてこれに成功、絶賛される。さらに梅毒の病原体から取り出した物質を感染が疑われる人に注射し、その反応から感染の診断を判定する方法を開発した。さらに梅毒の末期症状と疑われてた「進行麻痺」について、患者の脳から梅毒の病原体を発見し、梅毒が原因だと確定させた。
短期間に梅毒に関して三つもの成果を上げた野口はスーパースターになった。
(※ただし現在では、純粋培養は出来ていなかったと考えられている。また感染有無の診断方法も認められていない)
●狂犬病の研究
野口は次に狂犬病の研究に取り掛かり、その病原体を発見したとして、所長のフレクスナーに発表させてくれるように頼んだ。フレクスナーはまだ研究が足りないとしたが、野口は他の人間に先を越されることを恐れて強引に押し切り、フレクスナーは後から追試することを条件に渋々許可した。
この成果で野口は大賞賛されたが、その後フレクスナーと約束した狂犬病の研究をすることは無かった。また狂犬病の原因は細菌ではなくウイルスのため、光学顕微鏡では発見できるはずもなく、野口の発表は間違いだった。
1914年、野口は正研究員に昇格し、1915年・38歳の時に日本に凱旋帰国し、盛大に歓待された。
●黄熱病に挑む
1918年、今度は野口は黄熱病の研究を開始した。黄熱病は、中南米や西アフリカで流行し、致死率は20パーセントで「西半球の恐怖」と呼ばれていた。この病気は蚊が媒介することは判明していたが、病原菌はまだ見つかっていなかった。野口は黄熱病が蔓延するエクアドルに向かった。
野口は、黄熱病の症状、高熱・横断・出血がワイル病と似ているため、同じ病原体が原因ではないかと考えた。そして病原体を発見したと発表し、ワクチン「野口ワクチン」を開発した。
しかし、現在では野口が発見したのは黄熱病の菌では無かったことが判明している。黄熱病の原因はウイルスで、野口の使用していた顕微鏡では見つけることは不可能だった。
しかし、当時は、野口は黄熱病のワクチンを開発した偉人としてたたえられた。
●野口の死
1924年、アフリカで黄熱病が流行するが、野口ワクチンは全く効果が無かった。1926年には、学者マックス・タイラーは、野口の研究を批判し、野口はワイル病の病原体を見つけ、そのワクチンを開発しただけであるとした。ロックフェラー医学研究所は野口ワクチンの生産を中止した。
1927年、野口は自ら調査のためアフリカ・ガーナに向かい、現地で黄熱病の病原体を発見したと報告した。しかし現地で黄熱病にかかり、1928年5月22日に死去。享年51歳。
黄熱病のワクチンは、マックス・タイラーが開発し、ノーベル生理学・医学賞を受賞した。
感想
「偉人」として超有名な野口英世のお話。渡航費用を飲んでしまったとかの人格的にアレだったエピソードは今回は無しで、医学界で猛烈に頑張り名声を得たものの、大半の「成果」が今は無かったことになっているね、という悲しい位置づけで描かれました。
しかし調べてみると、今でも偉人という事で伝記が山ほどあるんですよね。「正しかったかどうかは問題じゃない、とりあえず猛努力したことを見習おう」というスタンスなんでしょうかね。死後に成果の大半を否定された堕ちた偉人だと思うんですけどね……
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