【科学】感想:NHK番組「フランケンシュタインの誘惑 科学史 闇の事件簿」『ナチスとアスペルガーの子どもたち』(2020年11月26日(木))

Hans Asperger und der Nationalsozialismus: Geschichte einer Verstrickung

フランケンシュタインの誘惑 科学史 闇の事件簿 https://www.nhk.jp/p/ts/11Q1LRN1R3/
放送 NHK BSプレミアム

【※以下ネタバレ】
 
※他の回の内容・感想は以下のリンクからどうぞ
perry-r.hatenablog.com
 

科学は、人間に夢を見せる一方で、ときに残酷な結果をつきつける。
理想の人間を作ろうとした青年フランケンシュタインが、怪物を生み出してしまったように―
輝かしい科学の歴史の陰には、残酷な実験や非人道的な研究、不正が数多くあった。
そんな闇に埋もれた事件に光を当て、「科学」「歴史」「倫理」に迫るシリーズが帰ってくる。


ナビゲーター/ナレーション 吉川晃司 (ミュージシャン)

 

ナチスアスペルガーの子どもたち (2020年11月26日(木)放送)

 

内容

フランケンシュタインの誘惑(2)「ナチスアスペルガーの子どもたち」
[BSプレミアム]2020年11月26日(木) 午後9:00~午後10:00(60分)


アスペルガー症候群の名前の由来となった小児科医ハンス・アスペルガー。第二次大戦下ナチスが行った「障害児安楽死作戦」から子供たちを守った良心の医師とされてきたが…


科学史の闇に迫る知的エンターテインメント。今回はアスペルガー症候群の名前の由来となったオーストリアの小児科医ハンス・アスペルガー。知的障害を伴うとされてきた自閉症の概念を塗り変えたアスペルガーは、これまで、第二次大戦下ナチスが行った「障害児安楽死作戦」から子どもたちを守った「良心の医師」とされてきた。しかし近年の研究で、彼には全く別の「もうひとつの顔」があったことが明らかになってきた。はたして…


【ナビゲーター/ナレーション】吉川晃司,【出演】窪島務,小俣和一郎,仲野徹,【司会】武内陶子

 
 今回のテーマは「小児科医ハンス・アスペルガー」。


●良心の医師

 ハンス・アスペルガー(1906~1980)はオーストリアの小児科医。第二次大戦中に障害のある子供たちを虐殺から守ったとされて「良心の医師」「医学界のオスカー・シンドラー」と称賛されたが、近年その彼が実は虐殺に関わったことが判明した。



アスペルガー症候群

 アスペルガー症候群とは1980年代に命名された自閉症のひとつのタイプ。自閉症の三つの特徴とされて来た

・対人関係の障害
・パターン化した興味や活動
・言語・知能の発達の遅れ

のうち、「言語・知能の発達の遅れ」が見られない。過去の偉人ではニュートンモーツァルトマリー・キュリーアインシュタインがそうであったろうとされ、現代の有名人では「映画監督ティム・バートン」「歌手スーザン・ボイル」「俳優アンソニー・ホプキンス」が診断されている。専門分野で独創的な才能を発揮し成功する人も多い。

 このアスペルガー症候群の由来となったのがハンス・アスペルガーで、自閉症研究のパイオニアと言われる。


●特殊能力を持つ子供たち

 アスペルガーは1901年生まれ、子供の頃から成績は抜群で、医学の道を志し、1929年に小児科医となる。

 1932年・26歳の時「治療教育診療所」に配属される。そこは発達障害の子供たちが送られてくる場所だったが、この診療所は子供たちを病人として扱うのではなく、普通に遊ばせて、その無意識の行動や言動を観察し、それを元に教育的な治療方法を話し合う、という世界最先端の運営を行っていた。


 アスペルガーはここで、発達障害の中に様々な才能を持った子供たちを見いだす。

CASE1 計算能力少年
 オリジナル計算方法を使う。例えば「47-15」という計算を「(47+3)-(15+3)→50-18」や「(47-7)-(15-7)→40-8」のように自分にとってキリの良い数字にして計算


CASE2 言語感覚少年
 優れた言語感覚。言葉では表現できないが頭で理解している


CASE3 毒薬少年
 毒薬をコレクションしたり、オリジナルの毒薬を調合する。


 アスペルガーはこういった子供を観察し、極めて狭い特殊領域が異常に肥大化し、物事の本質を見抜く非凡な眼力があるとした。アスペルガーの患者の中には、大学に進学しニュートンの本の誤りを見つけ出した子供もいた。1944年、アスペルガーは観察記録をまとめた論文を発表した。その中でアスペルガーはこういった子供たちのために医者は声を上げる権利と義務があると書いている。



アスペルガーのもう一つの顔

 だがその一方で、アスペルガーナチスドイツの「安楽死作戦」に加担したとされる。

 オーストリアの隣国ドイツでは、1933年にナチス党が政権を取ると、優生学から障がい者たちを「社会のお荷物」と呼び断種政策を開始した。

 1934年5月、アスペルガーは28歳で診療所の所長に抜擢された。

 1939年、オーストリアナチスに占領され、ウイーン大学はナチス信奉者の集まりとなり、反対する者は追放された。

 1939年、第二次世界大戦がはじまると、ナチスはさらに不要と見なした子供たちを専門の施設で殺害する「安楽死作戦」を行い始めた。ウイーンでは「シュピーゲルグルント児童養護施設」がその舞台となり、市内で「教育不可能」と見なされた子供たちがこの施設に送られ殺害された。

 そして、アスペルガーは、診察した子供のなかで「教育不可能」と診断した子供をシュピーゲルグルントへ送る措置を取った。その数は解っているだけでも40人以上に及ぶ。



●戦後のアスペルガー

 1945年、ドイツが無条件降伏し第二次世界大戦は終わった。ニュルンベルク裁判ではナチスに協力者たちも裁かれたものの、ヒトラーの命令に従っただけ、という事で無罪になった。

 戦後のアスペルガーは1946年・40歳の時に小児科医院の院長となるが、以後発達障害の子供たちについて研究することはなかった。1980年・74歳で死去。



●その後

 1981年、イギリスの医師ローナ・ウィングは、従来の発達障害の子供たちとは異なる症例を見いだした。そして過去に先行して発表されていたアスペルガーの論文を発見し、アスペルガーに敬意をあらわして「アスペルガー症候群」と命名した。

 2002年、ウィーンでナチスに殺された発達障害たちの子供たちを追悼する集会が開かれた。

 2010年、アスペルガーナチスの「安楽死」に関与していた資料が発見された。


感想

 またモヤモヤする回でした。まあ今の時点でアスペルガーを非難するのはたやすいことですが、同じ立場にいたとして、当時の空気の中で「俺はナチスには断固協力しない!」と言えたかどうかという話ですよね。やったことはやった事で責任があるわけですが、一方的に攻め立てるのもなんとなく気が咎めるというかですね……
 
 
 

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