【科学】感想:NHK番組「フランケンシュタインの誘惑 科学史 闇の事件簿 2021」『ナチス 人間焼却炉』(2021年10月28日(木))

ホロコースト―ナチスによるユダヤ人大量殺戮の全貌 (中公新書)

フランケンシュタインの誘惑 科学史 闇の事件簿 https://www.nhk.jp/p/ts/11Q1LRN1R3/
放送 NHK BSプレミアム

【※以下ネタバレ】
 
※他の回の内容・感想は以下のリンクからどうぞ
perry-r.hatenablog.com
 

科学は、人間に夢を見せる一方で、ときに残酷な結果をつきつける。
理想の人間を作ろうとした青年フランケンシュタインが、怪物を生み出してしまったように―
輝かしい科学の歴史の陰には、残酷な実験や非人道的な研究、不正が数多くあった。
そんな闇に埋もれた事件に光を当て、「科学」「歴史」「倫理」に迫るシリーズ。


ナビゲーター/ナレーション 吉川晃司 (ミュージシャン)

 

ナチス 人間焼却炉 (2021年10月28日(木)放送)

 

内容

10月28日木曜
NHKBS4K 午後9時00分~ 午後9時45分
フランケンシュタインの誘惑「ナチス 人間焼却炉」


ナチスの大量虐殺・ホロコースト。人類史上最悪の大虐殺を支えたのが大量の遺体を焼き尽くし灰に帰す「高性能焼却炉」だ。開発を一手に引き受けたエンジニアの恐るべき闇―


科学史の闇に迫る新シリーズ。500万人以上が犠牲になったナチスの大量虐殺・ホロコースト。人類史上最悪の大虐殺を支えたのは、大量の遺体を焼き尽くし灰に帰す「高性能焼却炉」だった。この開発を一手に引き受けたエンジニアがクルト・プリューファー。彼が作り出したのは、遺体をいかに効率よく処分するかだけを追及した「死の工場」だった。1980年代末にようやく明らかになった恐るべき実態と人物像に、最新研究で迫る。


【ナビゲーター/ナレーション】吉川晃司

 
 今回のテーマは「火葬技術者クルト・プリューファー」。


●火葬を極めた男

 クルト・プリューファーは、1891年ドイツ・エアフルト生まれ。貧しい労働者階級の出身だったが、苦労の末に地元の大企業トプフ&ゼーネ社へと入社した。

 23才で第一次世界大戦に従軍し、除隊後は会社に戻ると29歳の時に焼却技術部門に配属となった。この部署は工場のボイラーなどを扱う部署で、プリューファーは火葬設備の担当となった。

 ヨーロッパはキリスト教の教えで土葬が一般的で、火葬は異端者や魔女裁判で人を焼き殺すために使われていたことがあり、拒否反応が強かった。しかし産業革命による人口爆発で墓地が不足し、火葬で遺灰にすれば埋葬する数が増やせるため、徐々に広がりつつあった。

 プリューファーは火葬が成長市場になると見て、制度や技術を研究した。ところがそんな時、世界恐慌が到来し、プリューファーは会社に解雇をほのめかされることになってしまう。しかしヒトラー政権が誕生し、景気が回復したことでプリューファーは解雇を免れた。


 1934年にドイツで火葬が合法化されたが、そのやり方は細かく定められていた。

・一人ずつ棺に入れて行う
・煙や臭いを発生させない
・遺体を直接炎に触れさせてはならない

 プリューファーは、炉の周囲に高温のガスを通すことで、遺体を火に触れさせずに自然発火で焼却する炉を開発した。また講演で死体の処理について「死者の尊厳」を重視することを訴えた。プリューファーの設計した炉はヒットし、会社を火葬設備のトップメーカーに押し上げた。



●尊厳ある「火葬」から尊厳なき「焼却」へ

 1939年、ナチスドイツはポーランドに侵攻し、第二次世界大戦が始まった。この頃、プリューファーはナチス親衛隊からブーヘンバルト強制収容所の火葬設備の依頼を受ける。この収容所は、ユダヤ人弾圧の激化で大量のユダヤ人が収容されるようになったが、衛生状態の悪化により大量の死者が出ていたのである。

 プリューファーは大量の遺体を迅速に処理するため、新型の炉を設計した。それまでの火葬設備は、棺を入れる「炉室」は一つの炉に一つだったが、プリューファーは二つの炉室をセットにした。それにより、無駄に逃げていた熱を二つの炉で効率よく利用できるようにした。さらに、遺体は棺に入れずに焼却することで、焼却時間を2時間から15分に短縮した。これはドイツの法律を完全に無視していた。

 プリューファーは、設計図上で、それまでの設備では「火葬室」と書かれていたものを「焼却室」と書いていた。ユダヤ人の死体は、ゴミや動物の死体と同じものとして扱っていたのだった。この設備はナチスを大いに満足させた。

 その一方で、プリューファーは一般向けの火葬設備も取り扱っていた。しかし、この頃のプリューファーに良心が咎めたと思える形跡は全くない。


 やがて、ナチスはプリューファーに他の強制収容所の焼却炉も注文し、その中にはナチスドイツ最大のアウシュビッツ強制収容所も含まれていた。プリューファーの炉は性能は向上したのに価格は据え置きでナチスを喜ばせた。

 この頃、プリューファーは会社に対して昇給昇進を何度も訴えたが、火葬の市場はまだ小さく、その売り上げは全社の売り上げの3%程度だったため、プリューファーは社内ではあまり重視されていなかった。しかし、1941年に社長のルートヴィヒ・トプフが徴兵されそうになった際、プリューファーは知り合いのナチス将校に手紙を書き、社長は火葬設備建設に不可欠な人物と書いたところ、社長は兵役を免れた。プリューファーはナチスとの関係により、会社内で影響力を持つことになった。



●「死の工場」完成

 ナチスドイツは、1941年、ついにヨーロッパに住むユダヤ人の根絶・大量虐殺を開始した。六つの強制収容所ユダヤ人虐殺に使用され、収容されたユダヤ人は労働力になるかどうかを選別され、七割以上のユダヤ人が即刻ガス室で殺害された。

 プリューファーは虐殺の犠牲者の遺体を処理するため、さらに効率的な焼却設備を設計した。それまでの「二つの炉室に二つの熱源」から「三つの炉室に二つの熱源」とすることで、熱をより効率的に使用できるようにした。また、一つの建物で、地下を虐殺用のガス室、地上を焼却設備、とすることで、熱をさらに効率的に使用できるようにしたりもした。

 プリューファーはユダヤ人虐殺に積極的に関与したが、しかし反ユダヤ人的思想を持っていた兆候は全くなかった。プリューファーにとっては全ては仕事だった。

 アウシュビッツ内には、このガス室と焼却設備を組み合わせた建物が五つ作られ、ユダヤ人からは「死の工場」と呼ばれた。アウシュビッツだけで1日8000人が焼却されたとされる。



●人間焼却炉の終わり

 1943年、ドイツはスターリングラードの戦いで大敗し、以後劣勢に立たされる。1945年1月、ソビエト軍アウシュビッツ間近に迫ると、ナチスは大量虐殺の隠蔽のために強制収容所内の焼却施設を爆破解体した。そして1945年5月7日、ドイツは降伏した。

 プリューファーは、ナチスに協力したとしてアメリカ軍に逮捕され、その翌日会社の社長は自殺した。プリューファーは証拠不十分でアメリカ軍からは釈放されたものの、次はソビエト軍に連行されてしまう。プリューファーは1943年までは強制収容所で何が行われているか知らなかったととぼけたが、1943年以降は知っていたことを認めざるを得なかった。

 それでもプリューファーは、自殺した社長に仕事を強制されていたと嘘を並べ立てたものの、裁判なしで有罪となり、25年の強制労働となった。このとき57歳。そして、4年後の1952年に拘禁中に脳卒中で死んだ。享年61歳。


 戦後長らくプリューファーとトプフ&ゼーネ社が語られることが無かったが、1970年代になって、研究によりプリューファーの行いがだんだん明らかになっていった。2011年、会社の跡地に市民たちによって、二度と過ちを繰り返さないための博物館が作られた。


感想

 この番組では、ナチスが絡んだ回には酷い話しかありませんが、今回も同じ類でした。しかしまあ、誰しも同じ立場に立たされたら嬉々として同じことをやってしまうかもしれませんけどね……
 
 
 

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