【時事】ドイツ人がガンダムを語る『ニホンゴ「再定義」 第3回「ガンダム」』が無性におかしい【めっちゃ笑える】

機動戦士ガンダム

2023/04/30
ニホンゴ「再定義」 第3回「ガンダム」 | 小説丸
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 当連載は、日本在住15年の〝職業はドイツ人〟ことマライ・メントラインさんが、日常のなかで気になる言葉を収集する新感覚日本語エッセイです。

 
 ということで、ドイツの方が、何も知らない海外の人に「ガンダムとは?」をどう説明すればよいのか、みたいなことを色々語る読み物。ちなみにこの人のガンダムの知識は半端じゃないので、かるーい外国人エッセイみたいなのを予想していると、落差で目ん玉飛び出ます(笑)

 面白すぎるんで、以下、引用の嵐で。
 

 そう、ガンダムは「日本語」だ。しかも単なる固有名詞ではない。おおまかにいえば1990年以降に成人化した日本人の「大きな原体験」のひとつであり、絶大な知名度を誇り、私が直接接した日本人(文化的サンプルとしてそこにいくぶん偏りがあるのは間違いないが)では、悪く言う人を見たことがない。

 

 だがそのコンテンツとしての文化的価値と意味を、的確かつ端的に外国人に伝えるのは、実はなかなか難しい。単語の知名度とは裏腹に「ガンダム 海外」で検索をかけようとすると「ガンダム 海外 人気ない」という候補が即座に浮上してしまう(2023年4月現在)ありさまだ。またその検索結果をみるに「西欧のキリスト教的価値観では、ロボット的なもの=神の摂理に反する忌まわしい存在」という刷り込みがあって云々という、面白味はあるけど、ドイツ本国に報告すると噛み合わない反論がボコボコ出て来そうな考察が多数あがっていて興味深い。

 

 とはいえ、日本人でガンダム語りをできる人というのは往々にしてガンダム的なアレコレを内面化した上でドラマ構造の一般論を語ろうとするので、がんばって話を聞いても、その内容を第三者的な観点で再構築しにくい傾向があるのだ。これが何気に困る。魅力といっても自明ですからそれ以上因数分解できないんですよ、みたいな感じになるので。

 うむむ、実にもどかしい! どこに適切な表現があるのか?

 

 ここで非常に興味深いのが、ガンダムにシビれた層のけっこうな割合が、ガンダムを卒業しないまま大人になったらしい点だ。ドイツなどと異なり日本で「アニメ・マンガ趣味は成人になるまでに卒業すべきもの」という通念がなぜか徹底的に崩れてしまった、その大きな原動力のひとつがまさにガンダムであるように思われる。


 その「卒業拒否」は何をもたらすか? 端的にいえばコンテンツの高度化だ。「ビジュアルや設定の緻密さを鍛えぬけば、基本同じ内容でも、どんな知的権威だって納得せざるを得ないモノになる!」という、オトナ対応ガンダム作品の発生である。昭和中期的な大人の無理解に抗しながらガンダム愛に燃えていたお子様たちが内心抱いていた、それは切実な夢であり文化的野望なのだ。また、そういった怒りや怨念が無い場合でも「今、オレたちが観たい」ガンダム像を追究するパワーは強かった。

 

 ということで「ガンダム」には、クリエイターとファンの相互作用によって、そもそも子供向けだったものが、成長し成熟し、ついに大人向けコンテンツに至ったという特性があり、これは文化的にかなり特異で興味深い事象といえる。社会的影響力の大きさなどを踏まえると「コンテンツ」というより「ジャンル」と呼称するほうが適切かもしれないが、いずれにせよ他に例を見ない話だ。


 まさにこの点こそガンダムの文化的価値として、どんな欧米インテリに対しても語るに値するといえよう。真の文化的底上げとは何なのか? 理不尽な権威性に対するルサンチマン昇華としての価値は? そしてそれを踏まえてガンダムの「子供向け玩具」由来のデザイン的意匠性は、シンボルとしていかなる意味を持つのか? などなど、興味は尽きない。

 
 こんな面白いガンダム分析初めて読んだ(笑) 
 
 
機動戦士ガンダム サンダーボルト (1) (ビッグコミックススペシャル)