2023.6.20
フィクション共創による仮想社会構築ムーブメントとしてのPBM(プレイバイメール)とその意義──「NPO法人 日本PBMアーカイブス」の取り組みから[前編]
中川 大地
https://macc.bunka.go.jp/1826/
に触発されて、卓上ゲーム40年の歴史を備忘録的にまとめてみました。PBMも含めて「コンピューターゲーム以外」のゲームをまとめたつもり。まだまだ粗はあるかもしれませんけど……
■1970年代以前
不毛時代。今でいう「ゲーム」は存在せず、おもちゃ会社が子供向けに作ったパーティーゲームか電子ゲームがある程度。それらにやり込み要素は無く、刹那的に暇をつぶすものに過ぎなかったので、小学校を卒業すると同時に興味を失う程度のものしか無かった。
70年代後半頃にはウォーゲームが海外から輸入され翻訳ルールを付けて販売されてはいたが、ごく一部のマニアだけのものに過ぎなかった。
■1980年代
1981年に国産ウォーゲームが各社から発売され、ミリタリー好きの中高生の間でブームを巻き起こし、同年末には専門誌「タクテクス」が創刊された。ウォーゲームのテーマは史実の戦争だけでなく、アニメ「機動戦士ガンダム」のような戦争テーマアニメの中の架空の戦いもゲーム化されていたため、アニメ好きの中高生にも広く購入された。
1984年にTRPG「トラベラー」「ローズ・トゥ・ロード」が発売され、日本でもTRPGの歴史がスタートした。しかし当時はTRPGはまだどのようにプレイするかが解り辛く、この頃は一部マニアに支持されるにとどまった。
同じ1984年にゲームブック「火吹山の魔法使い」が発売され大ヒットとなり(一説では100万部売ったと言われる)、この後3年に渡る大ゲームブックブームを巻き起こした。
1986年。コンピューターゲーム雑誌コンプティークで「ロードス島戦記」の連載開始。この作品はリプレイ形式でTRPGのプレイの様子を描き、読者の中高生たちに「TRPGとは何か」をレクチャーした。この連載は大人気となり、その後のTRPG人気の火付け役となった。
また同年から1989年にかけて、ゲームグラフィックス誌で読者参加型ゲーム「イングリッズ・レース」と「フィクショナル・トルーパーズ」が連載され人気を博した。
1987年頃になるとウォーゲームのブームは終わりを迎え、さらに翌年1988年頃にはゲームブックのブームが同じ運命をたどった。この頃になると中高生の間ではゲームは「コンピューターでプレイするもの」が常識となり、手でサイコロを振ったりする従来のゲームは古臭い物と見なされ見向きもされなくなっていった。しかしTRPGはそれまでに全く無かったタイプのゲームという事でコンピューターゲームと共存し、ますます人気が高まっていった。
1988年に入ると、コンプティーク誌で読者参加型ゲーム「ロボクラッシュ」「トップをねらえ!」がスタートし好評を博した。
また同年(1988年)後半には、遊演隊の運営するPBM「ネットゲーム88」が開催された。本作はTRPG雑誌に告知が行われ、リアルで行うロールプレイングとして参加したTRPG愛好者から高い評価を得た。
■1990年代
1990年代に入ると中高生の間でTRPGは完全に定着し、新作が大量に発売され、サポート雑誌も次から次へと創刊された(1990年ロールプレイングゲームマガジン、1991年コンプRPG、1992年ログアウト、1994年電撃アドベンチャーズ・RPGドラゴン)。
また遊演体の「ネットゲーム90 蓬莱学園の冒険!」(1990)が大成功をおさめ、以後同社や他社から同様のPBMが次々と誕生した。またゲーム雑誌でも「読者参加型ゲーム」として同種のPBMが盛んに連載され、90年代前半は「ロールプレイングゲーム」的な物一色の時代だった。
しかし1995年に入るとTRPG人気に陰りが見え始める。この年からサポート雑誌の休刊が始まり、1999年までで5誌あった雑誌は全滅した(1995年ログアウト→1996年コンプRPG→1997年RPGドラゴン→1998年電撃アドベンチャーズ→1999年ロールプレイングゲームマガジン)。ゲーム雑誌の消滅と共に読者参加型ゲームも消えていき、遊演体も1998年を最後にネットゲームから撤退した。
TRPGの衰退と入れ替わるように、TCG(トレーディングカードゲーム)のブームが到来した。1996年の「マジック:ザ・ギャザリング」発売やその後の国産TCGの発売で、中高生の間でTCGの大ブームが巻き起こり、ゲーム業界はTCG一色となった。
1999年には専門誌「GAMEぎゃざ」が創刊され、またTCGをテーマとした小説も発売され人気を博すなど、TCGはかつてのTRPGが占めていた地位を完全に奪い取ってしまった。
TCG大ブームの陰で、海外で大人気となっていたボードゲーム「カタン」が輸入・発売され、一部ゲーマーに注目された。カタンをきっかけに、ドイツがカタン同様に大人でも楽しめるボードゲームの大国だという事実が知られるようになり、一部ショップがカタン同様に海外ゲームを輸入して独自の日本語説明書を付けて発売するようになった。
■2000年代
2001年頃になるとTCGはブームのピークを過ぎ、少しづつ売り上げが落ち始めた。しかしかつてのウォーゲーム、ゲームブック、TRPGのブームの終焉時とは異なり、この時期にはTCGの代わりとなるジャンルが存在しなかったため、TCGの失速と共にアナログゲーム市場自体が人気を失い始めた。
この時期、TRPGは既にマイナージャンルとなってフレイヤーは激減していた。またボードゲームは依然として僅かな愛好者たちが海外から輸入したゲームをプレイしているだけのニッチな存在に過ぎなかった。
2002年。玩具大手のエポックとコンピューターゲーム会社のカプコンが、それぞれボードゲーム市場に参入した。エポックは輸入ゲーム5タイトルを「ノンデジタル・ストラテジー・ゲーム」として、またカプコンは「カタン」日本語版などを「ブレインスポーツ」として、それぞれそれまでになかった娯楽として売り出した。しかしどちらもビジネスとしては失敗し、すぐに両社は市場から撤退してしまった。
2003年。TRPG人気はわずかではあるが回復し始め、専門誌「ロール&ロール」(アークライト/2003年~)と「RPGamer」(国際通信社/2003年~2006年)が創刊された。しかしTRPGジャンルの人気は十数年前の大ブーム時の足元にも及ばなかった。
2000年代半ばになると、TCGの人気が右肩下がりとなっている中で、TRPG・ボードゲームの人気もパッとせず、アナログゲームは低迷状態に陥ってしまった。
2006年にはTCG市場は最盛期の4割程度にまで落ち込んだ。この年、ホビージャパンはTCG「マジック:ザ・ギャザリング」の販売から撤退し、TCG専門誌「GAMEぎゃざ」も休刊させた。
直後、ホビージャパンはTCGに代わりボードゲーム輸入販売に参入し、また新雑誌「ゲームジャパン」を創刊した。しかし雑誌の内容はアナログゲーム(TCG・ボードゲーム・TPRG)以外にコンピューターゲームを扱っており、もはやこの頃にはアナログゲームだけでは雑誌が成り立たなくなってしまっていた。
しかし、それから三年がたち、2009年頃になるとTCGの売り上げが徐々に回復し明るい兆しが見え始めた。この復活の理由としては、メーカーがルールの簡略化など入門者の取り込みに動いたこと、また1990年代後半頃に小学生だった世代が自分でカードを購入できる社会人となりゲームに出戻って来たこと、等があげられる。
■2010年代
2011年にはホビージャパンはTCGの復活を受け「ゲームジャパン」を休刊させ、改めてTCG専門誌「カードゲーマー」を創刊した。
また、同じ頃ボードゲームがついにブレイクし、一般ゲーマーにも人気が出始めた。その理由としては、2009年に発売されたカードゲーム「ドミニオン」がヒットした結果、TCGプレイヤーもドミニオンを発見してプレイするようになり、それを契機に新しい層のプレイヤーがボードゲームに流入したことがあげられる。
またさらにTRPGにも追い風が吹き始めていた。この頃、ネットの動画でTRPGのリプレイの配信が流行となり、それを視聴することで全く新しい層がTRPGのプレイヤーとなっていったのである。
2015年頃にはボードゲームは一般向けメディアでも取り上げられることが多くなり、完全に娯楽として定着した。アナログゲーム、特にボードゲーム人気の高まりとともに、アナログゲームイベント「ゲームマーケット」の参加者は急速に増加し、イベントの開催規模も拡大していった。
2017年。国産TRPGとボードゲームの雑誌「ゲームマスタリーマガジン」創刊。
2018年。海外TRPGの雑誌「ウォーロックマガジン」創刊。