ダークサイドミステリー NHK https://www.nhk.jp/p/darkside/ts/4847XJM6K8/
放送 NHK BSプレミアム。毎週木曜夜9時放送。
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【※以下ネタバレ】
他の回の内容・感想
本当の謎は、人間の闇
背筋がゾワゾワ、心がドキドキ、怖いからこそ見たくなる。世界はそんなミステリーに満ちている。世間を揺るがした未解決の事件、常識を越えた自然の脅威、いにしえの不思議な伝説、怪しい歴史の記録、作家の驚異の創造力…。こうした事件・出来事を徹底再検証!
人智を超えた謎に迫る「幻解!超常ファイル」を拡大スピンオフ!今度は人間や自然が生み出した謎と恐怖に満ちた事件・伝説の正体に、栗山千明、志方あきこ、中田譲治のダークなトライアングルで引き続き迫ります。
内容
ダークサイドミステリー「空のタイタニック・ヒンデンブルク爆発の謎」
[BS4K] 2021年06月03日 午後9:00 ~ 午後10:00 (60分)
爆発事故の生々しい映像と実況音声。巨大飛行船ヒンデンブルク号の事故はなぜ起きたのか?爆弾テロ?操船ミス?ナチスの圧力?知られざる飛行船黄金時代の夢と野望に迫る。
全世界、衝撃の映像。全長245mの巨大飛行船が着陸寸前に突然、大爆発し墜落。豪華客船タイタニック沈没と並ぶ、ヒンデンブルク号の悲劇だ。事故の原因は、20世紀前半の飛行船の栄光と汚名の歴史そのもの。空を自由に飛ぶ夢の乗り物か?世界初の本格的な戦略爆撃を行った“空の魔王”か?ヒトラー、ナチスのプロパガンダの道具か?巨大飛行船の始祖・ツェッペリン伯爵から悲劇の事故まで、人類の夢と野望のすべてがここに!
【ナビゲーター】栗山千明,【ゲスト】東京都立産業技術高専准教授…草谷大郎,ツェッペリン飛行船研究家・作家…本城宏樹,【語り】中田譲治,【司会】青井実
今回のテーマは「飛行船ヒンデンブルク号爆発事故(1937年)」。
●ツェッペリン伯爵と飛行船
太古から人類は空を飛ぶことを夢見ていた。そして1783年にフランスで熱気球により人類は初めて空を飛んだ。さらに1852年には気球に動力を組み合わせた飛行船が誕生した。
そして飛行船の黄金時代を作ったのがドイツ人のフェルディナント・フォン・ツェッペリン伯爵(1838~1917)である。ツェッペリンはまだドイツが統一される前のヴュルテンベルク王国出身。二十歳の時に軍隊に入り、技術系の将校として世界中の戦場を視察して回った。25歳の時にアメリカ南北戦争で偵察用の気球に乗り、空からの偵察が極めて有効なことに感銘を受けた。
1871年、ドイツは統一されドイツ帝国が誕生した。ツェッペリンは新生ドイツが空から相手を攻撃する軍事力として飛行船を利用することを思いつく。しかし当時の飛行船は水素の入ったガス袋で飛行していたが、船が大きく重くなればガス袋を大きくしなくてはならなくなり風の抵抗を受けるし、撃たれればすぐにガスが抜けてしぼんでしまう、という問題があった。
ツェッペリンはこの問題を解決するため「硬式飛行船」を考案する。これは金属の骨組みを作ってその中に水素を入れた袋を格納し、骨組の外部を布で覆うというものだった。こうすれば空気抵抗を抑えられ、敵国の爆撃も可能となる。
ツェッペリンはこのアイデアを政府や軍に売り込んだが全く相手にされず、仕方なく52歳で軍隊を辞めると、飛行船作りの会社を設立した。やがて技術革新が進み、鉄の重さの1/3のアルミニウム合金が使えるようになったり、蒸気機関よりはるかに軽いガソリンエンジンが実用化されたりして、硬式気球は現実のものになった。
1914年、第一次世界大戦が始まると、ツェッペリンは飛行船によるイギリスへの爆撃を提案。そして1915年1月19日にツェッペリン飛行船L3(LZ24)がイギリスを爆撃した。全長153m、最高時速83Km、爆弾500Kgを搭載しており、20名を殺傷した。この攻撃は大ニュースとなったが、イギリスは非戦闘員に対する非人道的攻撃と非難し、飛行船は「赤ん坊殺し/Bavy-killers」と呼ばれた。
ツェッペリン飛行船による爆撃はその後も行われたが、飛行機による迎撃が行われたことで、速度が遅く脆弱な飛行船は撃墜され、兵器としての飛行船の寿命は終わりを告げた。そしてツェッペリンも失意のうちに78歳で没した。
●飛行船の新たな用途
第一次世界大戦がドイツの敗北で終わった後も、ツェッペリン飛行船会社は存続していた。社長のフーゴー・エッケナーは、世界の空を飛行船で繋ぐという夢を持っていたが、現実は会社はアルミの鍋やコップを作る日々だった。
そんなある日、ツェッペリン社にアメリカから飛行船の注文が届き、エッケナーはアメリカ国民から反発を受けるのではないかと危惧しつつも、「ロサンゼルス号」を建造し、1924年に自ら乗り込んでアメリカまで届けた。すると予想に反してアメリカ国民は大歓迎し、エッケナーは国賓扱いを受けた。ロサンゼルス号は全長200mと当時世界最大で、しかも太平洋を3日で横断できる夢の乗り物だった。
この快挙にドイツ国民も大喜びして、次は自国に飛行船が欲しいとツェッペリン社に寄付した。そして1928年には「グラーフ・ツェッペリン号」が完成する。容積はロサンゼルス号の1.5倍で乗客20名を乗せることが出来た。そして1929年にはドイツ・日本・アメリカを経由する3万キロ超の旅を成功させ、日本の霞ヶ浦に寄航した時には30万人が出迎えた。1931年には北極探検も実施している。そして9年間で500回の飛行を無事故で達成して見せた。
●ナチス登場
エッケナーは、体積・航続距離・乗客数全てが「グラーフ・ツェッペリン号」の二倍という大型飛行船を計画するが、1929年の世界恐慌で頓挫してしまう。そこにナチスの宣伝相ヨーゼフ・ゲッベルスが現れ資金援助を申し出たため、エッケナーは渋々提案を受け入れた。
こうして「ヒンデンブルグ号」が完成した。全長245mで世界最大、容積はグラーフ・ツェッペリン号の倍、乗客50人、最高時速135km、航続距離18000km、大西洋を二日半で横断できた。
しかし、ヒンデンブルグ号は早速ナチスのプロパガンダに利用され、グラーフ・ツェッペリン号と共に国会選挙でヒトラーに投票するように呼び掛ける役目に使われた。また1936年のベルリン・オリンピックでもヒトラーの開会宣言の前に登場させている。
このあと、ヒンデンブルク号はアメリカとブラジルへの定期運航を開始したが、これも外国へのプロバガンダという目的があった。やがてエッケナーは悪天候の際にプロバガンダ飛行を中止するように指示するものの、船長のレーマンは無視、エッケナーはナチスを非難するような言葉を口にするがそれをナチ党員に聞かれ、社長を追い出され社会的に抹殺された。
●大事故
1937年5月3日。ヒンデンブルク号は乗客乗員97人を乗せてアメリカに向けて飛び立ったが、事前に爆破予告が届いていた。そして5月6日19時25分にレイクハースト海軍航空基地に到着したものの突然大爆発を起こし墜落した。この事故で乗客乗員35人と地上作業員1人が死亡した。同乗していた社長のレーマンも死亡した。
爆破予告に加え、ヒンデンブルク号は爆発しやすい水素ガスで飛行していた。安全なヘリウムガスはアメリカがドイツ向けの輸出を許さなかったため利用することが出来なかった。また飛行は悪天候に見舞われて遅延しており、乗員はナチスの威信を損ねるまいと遅れを取り戻そうと躍起になっていた。つまり事故につながりそうな条件がいくつも重なっていた。
エッケナーは渡米して事故調査委員会に参加した。FBIも捜査を開始し、乗客の曲芸師ジョセフ・スパーが立ち入り禁止区域をうろついていた事を突き止めるが、スパーは貨物室のペットに餌をやっていただけだと主張し、結局無罪放免となった。
関係者への聞き取りの結果、爆発直前に飛行船の後方で外皮がはためていたという証言が得られた。これはそこから水素が漏れてたことを意味する。ヒンデンブルク号は悪天候によるスケジュール遅れで着陸を焦っており、着陸前に無理な方向転換を行っていたが、そのために船体に負荷がかかり、船内のワイヤーの一本が切れてガス袋を切り裂いたと推測された。また飛行船は飛行中に船体に静電気をためて飛行する。これが漏れ出した水素に引火したものと考えられた。
しかし詳しい事故原因の調査までは行われず、結局この事故を最後に飛行船時代は終わりを告げた。
●現代の飛行船
現代では、飛行船は成層圏まで飛行させ、人工衛星よりも低い位置で台風を観測するとか、通信の基地で使うとかの用途が考えられている。