と先人が100万回くらい考察したかもしれない事を考えてみる。
とりあえず、「火吹き山の魔法使い」とか一連のファイティングファンタジーシリーズがゲームブックなのは間違い無い(というかここを基点に決めないと何処にも進めなくなる)。まあ、「火吹き山」など、ストーリーをそのままボードゲームにしたものが成立しているくらいだし、サイコロは使うし、とにかく「ゲーム」なのは間違い無いだろう。
次に、学研から出ていた懐かしの「きみならどうする」シリーズはゲームブックだろうか? なんとなく違う気がする。あれはあれで小学生辺りには楽しい読み物だったが(タイムトンネルでなんとも微妙な結末にたどり着いたよなぁ)、あれは「面白い本」であってゲームではないような気がする。サイコロは使わないし、読んでいるだけだし、ゲームとは言い辛いだろう。あれは「分岐のある変った読み物」でいいのではないか。
じゃあ、「送り雛は瑠璃色の」はどうなんだ? 和風ゲームブックの傑作として名高いが、実はサイコロを振る(乱数)要素は無い。だがこれを「ゲームブックではない」とする人は少数派であろう。かくいう私もまたこれはゲームブックに入れたいところではある。
うーむ、「生物と非生物の境目」とか何とかいうタイトルの本が有った気がするが、ゲームブックとゲームブック風読み物の差はなんなのだろうか。それとも、今私は「送り雛」はゲームブックではない、という隠された真実に到達したのだろうか。
とかゴニョゴニョと考えてみましたが、1980年代後半ならともかく、ゲームブック市場すら存在しない21世紀に考えても仕方ないですね。でもまあ「TRPG冬の時代が来た理由」とかと一緒で、オタはこういうことをつい考えてみたくなるものなんですよね。
☆追記(2011/11/05 09:30)
知り合いの方から意見を頂きましたが、「乱数要素が無くても、持ち点やアイテムの管理があり、フラグやらマッピングがあり、真のエンディングを目指すものはゲームブックであろう」とのこと。なるほど。